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2024年6月7日 06時21分に生成された05時00分のデータです
2023-04-07 20:46:02
ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス ニ長調 作品123(カラヤン指揮フィルハーモニア管 1958年録音)Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=5bI9-DTloKU)。
ヘルベルト・フォン・カラヤンはベートーヴェンのミサ・ソレムニスの録音にことのほか熱心で、その生
涯において公式なものだけで6種類以上、演奏会の実況録音を含めると10種類以上の録音があるといわれ
ています。
その中で最初のスタジオ録音となるのが、1958年にフィルハーモニア管弦楽団を指揮したものです。後
年のベルリン・フィルとの録音の方が完成度は高いものの、50代のカラヤンの演奏はいい意味で若さを
感じさせる勢いがあり、一方で要所をきちんと押さえたドラマティックなものとなっています。
また、シュヴァルツコップやゲッダなどのソリストも優れた歌唱を聞かせていることから、一部の好事家
の間では「カラヤン最良のミサ・ソレムニス録音」と高く評価する意見もあるとのことです。
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(メド・ソプラノ)
ニコライ・ゲッダ(テノール)
ニコラ・ザッカリア(バス)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
フィルハーモニア管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団- 76
- 00.0
- 11.3
- 00.0
2024-01-19 16:10:02
ロッシーニ:小ミサ・ソレムニス(室内楽版)Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=CqrzmdevQSI)。
イタリア屈指のオペラ作曲家であったロッシーニは、1829年に作曲・初演した「ウィリアム・テル」を最
後に39歳でオペラ作曲から引退し、以降の音楽活動は極めて低調になりましたが、作曲から完全に手を引い
たわけではなく、自ら経営するレストランで演奏するための小曲や「スターバト・マーテル」等の宗教曲も
手掛けました。
1863年、71歳のロッシーニはフランスの銀行家アレクシス・ピレ=ウィルの依頼により、ミサ・ソレムニ
スを作曲しました。通常、ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ、盛儀ミサ)はカトリックの典礼のなかでもっとも
荘重かつ大規模なミサ曲であり、ベートーヴェンの作品に象徴されるように大規模な編成で演奏される曲で
あることが多いですが、ロッシーニはその常識を破り、歌手が12人(独唱者4人と合唱者8人)、伴奏は2台
のピアノとハルモニウムのみという室内楽曲と同レベルの小規模編成で作曲しました。歌手が12人なのは
「最後の晩餐」に出席した12人の使徒を意識したとロッシーニは述べており、完成した曲に「小ミサ・ソレ
ムニス(Petite messe solennelle)」と名付けました。これが、ロッシーニが最晩年に作曲した最後の大曲
となりました。
この作品は1864年3月14日、フランスのルイーズ宮私設聖堂で初演されました。作品に対する評価は賛否両
論で、ある批評家が「ロッシーニは自分自身を凌駕した」「フーガは、博学さにおいてバッハに匹敵する」
と絶賛した一方、ヴェルディはロッシーニが宗教曲を手掛けることに批判的で「(ロッシーニは)音楽の勉
強を止めて、別の『(セビリアの)理髪師』の作曲を薦める」と酷評したといいます。
なお、ロッシーニは1866年に本作を大規模な管弦楽による演奏のために編曲しており(sm43316040)、現
代ではこちらの版の方が演奏機会が多いですが、ロッシーニ自身はオリジナルである小規模編成版の方が好
きだと明言しています。
パトリツィア・ヤネチコヴァ(ソプラノ)
モニカ・ヤゲロヴァー(アルト)
Aleksander Kruczek(テノール)
David Szendiuch(バス)
Michal Bárta、Lukáš Michel(ピアノ)
Jakub David Smešný(ハルモニウム)
パオロ・ガット指揮
チェコ・フィルハーモニー合唱団
Petr Fiala(合唱指揮)- 31
- 00.0
- 13.2
- 00.0
2024-01-26 14:40:02
ロッシーニ:小ミサ・ソレムニス(管弦楽版)Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=23kxe3tl8S8)。
1863年、71歳のロッシーニはミサ・ソレムニスを作曲しました(sm43288946)。この作品は歌手12人、
伴奏はピアノ2台とハルモニウムのみという小規模編成で演奏されることから、ロッシーニは「小ミサ・ソ
レムニス(Petite messe solennelle)」と名付け、1864年に行われた非公開初演では、参加した聴衆の間で
高く評価されました。
ほどなくして、本作の出来に感動した多くの聴衆から「演奏規模を拡大した、管弦楽伴奏による編曲版を作
ってほしい」という要望がロッシーニに届くようになりました。当初、ロッシーニは小規模編成による演奏
こそ本作にふさわしいと考え、管弦楽への編曲に取り掛かるつもりはありませんでした。
しかし1867年になって、ロッシーニは考えを改めて管弦楽編曲版を作成します。といっても、その動機は
「どうせ自分が死んだ後に誰か別の作曲家が編曲するだろう。そうなれば、自分の作曲意図とかけ離れた編
曲がされるに違いない。だったら、作曲者である自分があらかじめ編曲した方がずっといい」といった後ろ
向きなものでしたが、ロッシーニは単なる管弦楽編曲版の作成にとどまらず、讃美歌「救いの力ある聖体よ
(O salutaris hostia)」をソプラノのアリアに編曲した楽章を追加し、女声合唱を取り入れる(ロッシーニ
は少年合唱団の響きを嫌っていた)など、実質的に改訂版といえる出来になりました。しかし、ロッシーニ
が教会に演奏許可を求めたのに対して、教会は聖堂内での女声合唱を拒否し、激怒したロッシーニは「管弦
楽版は自分が死ぬまで絶対に演奏するな」と要求しました。その要望通り、管弦楽版は彼の死(1868年11
月13日)から約3か月後の1869年2月24日に初演されました。
現在では、ロッシーニ自身が室内楽版を好んだにも関わらず、本作は管弦楽版で演奏される方が多くなって
います。
アレクサンドリーナ・ペンダチャンスカ(ソプラノ)
マヌエラ・カスター(アルト)
ステファーノ・セッコ(テノール)
ミルコ・パラッツィ(バス)
ミヒャエル・シェーンハイト(オルガン)
リッカルド・シャイー指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス合唱団
ライプツィヒ歌劇場合唱団
Sören Eckhoff(合唱指揮)- 27
- 00.0
- 13.7
- 00.0