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2023-10-30 08:41:02
私のジャマイカ滞在記⑧ / 44Aワイニーと私① 私はこのジャマイカ滞在記をいつか電子書籍にして出版しようと思うのだが、本当に人生の中での色褪せないネタの宝庫に飛び込んだようなものである。 アオイサンゴ礁の海に浮かぶ島国、ここに飛行機が、到着したときは、周りから拍手が沸き起こり、この国で今から起こる私のエピソードを祝福しているかのごとくであった。 しかし、ひとは十人十色思いもそれぞれ、多くの女子はこの国にロマンスを求めているのではないかと感じさせたし、私についてはラスタなどレゲエの持つ精神的な側面に期待を抱いていた。だから最初に飛行場に着いたとき、白人の若い女子が何やらニコニコと私に話しかけてきたが、私はたどたどしい英語で返すとすぐに顔色を変えて去っていった苦い記憶が思い出される。私は奥手なのだ。 しかし、現在のジャマイカという国はボブ・マーリーの崇高なイメージを看板とする精神的な国である一方で社交的を通り越したワイニー天国という側面を合わせ持っていた。 そして多くの女子、特に日本人の女の子はワイニーやレゲエダンスを求めてジャマイカを訪れている子が大半だった。その証拠としては日本人女子の大半がホットパンツを履いていた。私はラブリッシュやアイシャハウスといった日本人が経営するゲストハウスに2ヶ月の大半を滞在するにいたったのだが、そこのロビーで交流した話の内容は、「ダンスでジャマイカ人にワイニーされたよ。まるで熱帯の嵐が私たちを包み込んだみたいだった」と興奮して話しているのを、私は平静を装って聞いていた者だった。
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2023-10-30 12:40:02
私のジャマイカ滞在記⑨ / 44Aワイニーと私②
物事はふとした瞬間に逆転することがある。その変化には、仲間の影響が大いに関わっているのだ。リッキーベンツ達との出会いは、彼らが悪友と呼ばれることもあったが、決して性根が悪いわけではない。彼らとの交流は私にとって良い経験だったと言えるだろう。
リッキーベンツは、通りすがりの女の子に対しても「プリティガール」と声をかけるタイプだった。エクスペンシブは痩せ型で純朴な青年だが、ラバダブになると積極的で勇ましい姿を見せた。ナディは、日本人宿のラブリッシュにも出入りする親切なドレッドヘアの持ち主だった。他にも印象的な人物はたくさんいるが、特に奥さんが日本人のマリモという名前は印象的で、よく覚えている。
その頃、私はそういったメンツと一緒に様々なダンスイベントに足を運んでいた。ある日のファイアーリンクスのダンスイベントでは、道路上で人々が集まり、ダンスホールレゲエのリズムに合わせて踊っていた。リンクスは音楽をかけ、MCが煽るスタイルで盛り上がりを見せていた。そして、ある時刻になると、ワイニーをして自慢する時間が訪れた。MCは「ワーッ」と叫びながら煽り立てていた。
その矛先が何故か私に向けられ、「ジャパニーズ、ようこそー、ジャマイカギャル」と叫びながら、「ワイニーしろー」と促された。頭が真っ白になりながらも、私は前にいた大柄な女性に対して瞬間的に腰を振った。するとMCは「グワーージャパニーズ」と叫び、会場全体からは轟音のような歓声が沸き起こった。
しかし、その女性は振り返って私を睨みつけ、観衆の中にいた顔見知りの日本人女性達は遠目から冷ややかな目で私を見ていた。それでも、私がその場を歩くと、周りからは英雄のように声をかけられた。翌日からはリッキーベンツ達の話題の種にもなったのだ。
これが、私がジャマイカ人の心をつかんだ瞬間の出来事である。- 10
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