タグ両部神道を含む動画:19件 1ページ目を表示
2024年6月19日 07時10分に生成された05時00分のデータです
2018-11-19 22:25:02
【神道シリーズ】第39回・両部神道①(まずは真言密教とは何か?から)いよいよ日本の中世から近世にかけて圧倒的な宗教的ヘゲモニーを握った真言密教系神道である両部神道のお話に入りますが、その前にまずは真言宗(真言密教)とは何か?を理解していないと、両部神道のみならず、その後に展開された伊勢神道や吉田神道という中世から近世にかけて重要な役割をした中世神道を理解することが出来ません。
ちなみに、伊勢神道は両部神道(真言密教系)と道家(道教)の結合によって生まれ、さらに吉田神道は、その伊勢神道(両部神道+道教)に儒教思想が加わって出来ています。
奈良時代までは雑密と言う未完成な呪術中心の密教の下で朝鮮半島由来の古代信仰(神祇信仰)と習合が進み、神宮寺の形成により雑密仏教が神祇信仰を支配する仕組みが出来ていましたが、中世以降は純密と言われる真言宗系密教が神祇信仰をその傘下において発展していきます。- 797
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2015-05-15 09:34:15
【鎌倉仏教シリーズ】第16回・平安仏教①真言宗(その2)5-1空海が日本で開宗した真言宗は、ただ単に日本に密教をもたらしただけではなく、朝廷・貴族のみならず地方の信仰・祭祀にも多大な影響を与えました。中世(鎌倉時代以降)になると、真言宗は古事記の神話を密教的に解釈して書き換え(中世日本紀)、この密教的に書き換えた神話を弘法大師信仰とともに全国へ伝えました(高野聖)。そして、この真言宗的に解釈された日本神話を両部神道と呼び、今日の地方信仰にまで続く道を開きます。
マイリス作ってくれ
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2018-12-03 22:32:02
【神道シリーズ】第41回・両部神道③大日如来=天照大神説が中世日本を支配する日本の神道とはいつ形成されたのか?と言う問いに対して、縄文時代とか弥生時代からと信じてる人は多いように見受けますが、実際宗教としての神道が作られ始めたのは鎌倉時代(元寇以降)で、完成を見たのが室町時代(吉田神道)と言うのが学者たちの間で共通してる認識です。
もちろん仏教伝来(6世紀)以前に朝鮮半島からの移民による氏神信仰というのが渡来豪族たちの間で存在していたのですが、仏経が伝来するとすぐに豪族や朝廷の間で仏教信仰が始まり、8世紀になると神身脱落と言って、氏神たちがこぞって仏教徒になり、護法善神として仏教を守りながら(神たちが)仏教の修行に励むという時代になりました。
9世紀に真言密教や天台密教が広まり、鎌倉時代の元寇を境に真言密教による神道(両部神道)が形成され、密教理論による神国日本論が展開され、天照大神が大日如来の化身であり、日本は第六天魔王の支配下にあるという思想が平家物語や太平記と言った大衆文学の間にも見られるようになり、まさに(真言密教による)両部神道は中世の精神支配(国民を含めて)を確立します。
今回は、その両部神道の理論書とも言われる麗気記や中臣祓訓解などを紹介していきたいと思います。
両部神道はその後、真言系の当山派修験として全国に広がり、古事記や日本書紀に出てきた神々に密教的解釈を加え、所謂「八百万の神」の伝承や信仰を作って行きます。直木孝次郎説ですかw 古い説ですね
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2018-11-26 22:31:03
【神道シリーズ】第40回・両部神道②(伊勢神宮と両部神道の歴史)密教によって伊勢神宮が再興する平安時代始めの真言宗開宗(806年)以降、朝廷の信仰は真言宗中心となり、中には真如法親王のように平城天皇の皇太子でありながら皇位継承を拒否し、出家して真言僧となり、インドへの求法の旅へと出て行方不明となった皇族も出るほど皇室はこぞって真言密教の信仰に熱中しましたが、鎌倉時代に入り13世紀の元寇の時代を迎えると、真言宗の主流派は伊勢神宮の内宮(禰宜・荒木田氏)への接近を図り、伊勢神宮を真言密教の理論に当てはめ、内宮を胎蔵界、外宮を金剛界とし、神宮全体を真言密教の大曼荼羅として描くようになります。
仏教信仰が盛んだった当時、伊勢神宮でも氏寺で出家得度する伊勢神宮の神職(宮司、禰宜ら)が後を絶たず、こうした背景の中、伊勢神宮の内宮は次第に真言密教の支配下に入って行きます。
天照大神を大日如来の化身と位置づけ、真言宗による「神国日本」論を展開し、皇室や伊勢神宮の持つ荘園全体に大きな影響力を広めて行きます。
やがて両部神道は伊勢神宮に留まらず、真言宗の学僧、勧進僧、高野聖などを通じて全国の修験道に絶大な影響を与え、古事記や日本書紀に出てくる神々を密教理論の上で解釈を加えた新説を持って地方の信仰対象に比定して行き、密教的な本地垂迹説により日本全国の修験道を塗り替えて行きます。
そして、やがて記紀の中では名前の羅列だけだった神々にも「八百万の神」の地方伝承を作って行きます。- 284
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2015-05-15 11:17:13
【鎌倉仏教シリーズ】第16回・平安仏教①真言宗(その2)5-4空海が日本で開宗した真言宗は、ただ単に日本に密教をもたらしただけではなく、朝廷・貴族のみならず地方の信仰・祭祀にも多大な影響を与えました。中世(鎌倉時代以降)になると、真言宗は古事記の神話を密教的に解釈して書き換え(中世日本紀)、この密教的に書き換えた神話を弘法大師信仰とともに全国へ伝えました(高野聖)。そして、この真言宗的に解釈された日本神話を両部神道と呼び、今日の地方信仰にまで続く道を開きます。
見てきたようなことを言うんじゃない 古事記を粗末にするのは、Pだけだ 改竄されないようにするため天武天皇は古事記を編集した。 様々な豪族たちが一族の間に伝えてきた「帝紀」(天皇の系譜)と「旧辞」(古い伝承)には、すでに多くの改ざんが加えられ、原型をと...
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2015-05-15 10:08:16
【鎌倉仏教シリーズ】第16回・平安仏教①真言宗(その2)5-2空海が日本で開宗した真言宗は、ただ単に日本に密教をもたらしただけではなく、朝廷・貴族のみならず地方の信仰・祭祀にも多大な影響を与えました。中世(鎌倉時代以降)になると、真言宗は古事記の神話を密教的に解釈して書き換え(中世日本紀)、この密教的に書き換えた神話を弘法大師信仰とともに全国へ伝えました(高野聖)。そして、この真言宗的に解釈された日本神話を両部神道と呼び、今日の地方信仰にまで続く道を開きます。
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2018-08-20 22:32:02
【神道シリーズ】第29回・諏訪信仰(諏訪大明神>本地・普賢菩薩千手観音菩薩大日如来)今日に続く信仰諏訪信仰と言えば諏訪大明神と言うのが古今一貫しているものですが、この諏訪大明神という名前が出てきたのは平安時代で、弥生系(中国江南地方より陰陽五行思想や社稷思想<穀物信仰>を持って移民した人たち)の諏訪の地元民の信仰していた洩矢(もりや)神(蛇神・ミシャグジ神)の諏訪に出雲系(スサノオ族=新羅系移民)の建御名方神が同地に居ついてから、諏訪の信仰が二重構造(洩矢神信仰と建御名方信仰)になっていたところに、10世紀頃になると真言宗系の両部神道の影響が広がり、諏訪湖の本地は大日如来、諏訪大社上社は普賢菩薩、下社は千手観音菩薩が本地と、仏経の神様となり、これが諏訪大明神と呼ばれるようになり、その後、室町時代、南北朝時代、戦国時代と武士を中心とした厚い信仰が広まるようになります。
この諏訪大明神という考え方は、明治時代に破壊されようとしましたが、地元や全国の諏訪神社に伝わる伝承信仰の力は強く、またたくまに復活して、今日でも諏訪大社と言えば諏訪大明神が信仰の中心になってます。煩悩だらけはひどい。煩悩は肯定できないけど、否定することとそれと寄り添い続け、観察することは違う。否定したところで自分の煩悩に無自覚になるだけだ。 愛染明王(吽)は金胎一致、煩悩即菩提の象徴で扱われたことがあった『中世天照大神信仰の研究』 両部と上下...
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2020-01-27 22:41:02
【神道シリーズ】第80回・早池峰神楽(両部神道<真言宗>がもたらした古事記の真言密教的解釈の当山派(真言系)修験芸能)早池峰神楽は平成21年(2009年)にユネスコの無形文化遺産に登録されましたが、この世界的に有名な神楽は岩手県早池峰山の麓の3つの地域に
3つの早池峰神楽が現在存在しています。
もともと早池峰神楽が始まったのは室町時代後半の15世紀後半頃からですが、9世紀より天台宗の拠点であった早池峰山信仰の中心の4つの院を持つ
妙泉寺のうち、西登山口の大迫(おおはさま)に位置する池上院妙泉寺は
14世紀に真言宗の支配下になり、その真言宗の進出には真言系の修験道と、真言密教が作った両部神道の思想や歴史観も同時にもたらされました。
両部神道の教義書(理論書)である「中臣祓訓解」の中に登場する瀬織津姫(せおりつひめ)(←古事記・日本書紀には出てこない神)が早池峰の地にもたらされ、十一面観音を本地とする早池峰権現の垂迹の姿としての瀬織津姫とされました。
一方、両部神道(真言密教神道)に基づく古事記解釈による早池峰神楽は
当山派(真言系修験道)の山伏たちの芸能として大迫の大償地区で発生し(15世紀後半)、その後、(大迫の)岳地区に伝わり、やがて江戸時代になると遠野の大出にも伝わり、3つの早池峰神楽が形成されて今日まで至っています。- 231
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2015-05-15 10:44:11
【鎌倉仏教シリーズ】第16回・平安仏教①真言宗(その2)5-3空海が日本で開宗した真言宗は、ただ単に日本に密教をもたらしただけではなく、朝廷・貴族のみならず地方の信仰・祭祀にも多大な影響を与えました。中世(鎌倉時代以降)になると、真言宗は古事記の神話を密教的に解釈して書き換え(中世日本紀)、この密教的に書き換えた神話を弘法大師信仰とともに全国へ伝えました(高野聖)。そして、この真言宗的に解釈された日本神話を両部神道と呼び、今日の地方信仰にまで続く道を開きます。
口密はこうみつではなくくみつ じゅうじゅうしんが正解です読み間違えごめんなさい(動画作者) ごめんなさいね、十住心は「じゅうおうしん」が正解です(訂正します) 住と往のちがいも分からんのか?小卒? じゅうしんて書いてるのになんでおうしんて言っちゃって...
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2019-01-22 09:08:01
【神道シリーズ】第45回八百万の神②(一目で分かる図解・修験道の構造)八百万の神と言うと、古事記に出てくる神々の信仰が古来からあってそれに対する国民の信仰があったような勘違いをしてる人が多いですが、実際に現在の地方信仰に繋がるような八百万の神信仰は8世紀の奈良時代の頃から雑密(呪術密教>主に朝鮮半島より伝わる)の私度僧たちにより、役小角信仰の全国拡散を通じ、そして、本格的には9世紀になってから本地垂迹説が進み、既に全国に広がっていた仏の眷属をそれぞれの山の本尊とする信仰と、既に護法善神(仏教守護者としての氏神)となっていたすべての公家・貴族の氏神の本地(本来の姿としての仏の眷属)を設定(比定)する動きと、されに元寇来襲を境に真言密教の両部神道理論の下、密教勢力による日本書紀解釈(真言密教的解釈)が進み、その解釈研究活動が伊勢神宮や宮中に及び、中央・地方の、既に存在していた〇〇権現(仏の眷属の仮の姿としての神)の、さらに仮の姿としての「古事記・日本書紀に出てくる神々」が当てられて(比定されて)行きます。これが今日に続く「八百万の神」の信仰となります。
純粋な仏教もないよな
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2015-05-15 11:57:10
【鎌倉仏教シリーズ】第16回・平安仏教①真言宗(その2)5-5空海が日本で開宗した真言宗は、ただ単に日本に密教をもたらしただけではなく、朝廷・貴族のみならず地方の信仰・祭祀にも多大な影響を与えました。中世(鎌倉時代以降)になると、真言宗は古事記の神話を密教的に解釈して書き換え(中世日本紀)、この密教的に書き換えた神話を弘法大師信仰とともに全国へ伝えました(高野聖)。そして、この真言宗的に解釈された日本神話を両部神道と呼び、今日の地方信仰にまで続く道を開きます。
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2020-08-31 23:19:02
【学習用】伊勢神道の基本構造解説(両部神道⇒伊勢神道⇒吉田神道⇒儒家神道の流れの概略)伊勢神道の詳細説明をするにあたって、両部神道から伊勢神道、そしてその後の吉田神道や江戸時代以降の儒家神道の一貫した流れを理解しておかないと伊勢神道自害がよく分からなくなってしまうので、1時間17分ではありますが、この概略を初心者にも分かりやすく説明した動画を作りました。
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2020-08-24 23:15:03
【神道シリーズ・シーズン2】第1回・伊勢神道①(伊勢神道の基本構造)神道シリーズ・シーズン2では、両部神道から伊勢神道、吉田神道、儒家神道、復古神道と、中世から近世の終わりまでの神道各派の流れを解説していく予定です。
まず、最初に伊勢神道ですが、伊勢神道は、真言宗系の両部神道を土台として、そこから密教的要素を排除し、代わりに道家(道教・陰陽五行)思想で理論付けするという形で形成されますが、この流れは後の吉田神道や江戸時代以降の儒家神道(垂加神道・吉川神道など)に引き継がれていきます。
今回はこの伊勢神道形成までの過程の概略を説明し、第2回以降にはそれぞれの過程の詳細説明をして行こうと思っています。- 152
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2020-10-19 23:10:02
【神道シリーズ・シーズン2】御流神道と三輪流神道(両部神道主要二派)11世紀頃から発生してきた真言宗を中心とする(一部天台宗寺門派も含む)真言密教系神道理論は12世紀から15世紀にかけ両部神道を形成し、中世の日本の宗教界を支配していくことになりますが、その両部神道は主に室生山で発生した御流神道と三輪山で発生した三輪流神道が中心となって行きます。13世紀後半より形成された伊勢神道や15世紀に形成された吉田神道もこの両部神道(真言神道)を下敷きにしており、ある意味日本における「神道」という宗教を成立させた根本にもなってる存在だと言えます。
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2020-10-05 23:11:02
【神道シリーズ・シーズン2】第6回・伊勢神道⑥東大寺衆徒たちの伊勢神宮参宮(神宮が仏教の一大拠点となる)12世紀に入ると真言宗化した東大寺は、平家による焼き討ちの後の復興事業で活躍した東大寺衆徒の重源(ちょうげん)(浄土宗ながら真言宗の影響強く受ける)による伊勢神宮参宮をひきりにそれまで仏教禁忌であった伊勢神宮参詣(参宮)が急速に盛んになり、神宮側もその動きを歓迎し、既に敬虔な仏教徒なっていた神宮宮司の大中臣氏、外宮禰宜の渡会氏、内宮禰宜の荒木田氏はこぞって神宮のみならず自らの菩提寺にも僧侶たちを招いて大般若経をあげさせていました。
さらに元寇の時代になると朝廷と仏教勢力(主に真言宗)との繋がりは緊密化し、朝廷が元寇調伏のために200人以上の真言僧を伊勢神宮に派遣して調伏祈願までさせるようになります。- 115
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2020-10-12 22:38:02
【神道シリーズ・シーズン2】第7回・両部(真言)神道の理論書(真言付法纂要抄・中臣祓訓解・麗気記など)今回は、両部神道を形成した両部神道の理論書の主なものを紹介したいと思います。
まずは真言宗小野流(三宝院流の系統)の成尊(せいぞん)著作の「真言付法纂要抄(しんごんふほうさんようしょう)」、そして伊勢神宮の仙宮院で生まれた「中臣祓訓解(なかとみはらえのくんげ)」、それから室生山で生まれた御流神道(真言系)の「麗気記(れいきき)」の三つを中心に紹介します。
特に後者2著は後の伊勢神道や吉田神道の形成に絶大な影響を与えて行くことのなります。- 108
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2020-09-07 23:24:02
【神道シリーズ・シーズン2】第3回・伊勢神道③出家得度する禰宜・祭主(宮司)が後を絶たなかった伊勢神宮の時代平安時代になると宮中や貴族の間で密教(主に真言宗)の信仰が盛んになり、その影響は伊勢神宮にまで波及し、伊勢神宮では禰宜(内宮・外宮の祭祀の中心)や祭主(宮司)の大中臣氏ら神職たちがこぞって自ら氏族の菩提寺を創建し、仕事上では神宮で祭祀を行いながらもプライベートでは仏教信仰が中心で出家・得度する人たちが後を絶ちませんでした。
こうした背景の中、宮中および神宮では観音信仰が盛んになり、やがて天照大神=観音菩薩論が出現定着し、さらに神宮の仙宮院から大中臣氏による「中臣祓訓解」、つまり両部神道(真言神道)が誕生することとなります。- 104
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2020-09-14 23:18:02
【神道シリーズ・シーズン2】第4回・伊勢神道④和光同塵と百王思想伊勢神道が形成される背景には前回にも説明しましたように、真言系の両部神道(真言神道)が形成される中で真言密教勢力や天台宗(山門派)の山王神道や天台宗(寺門派)の熊野三所権現などが内宮の天照大神との一体論を唱える中、外宮が疎外され、元寇後税制にひっ迫した朝廷の経済的支援が得られなくなった外宮の立て直しが背景にありました。
真言宗や天台宗によって唱えられた「神国思想」(大日如来が天照の姿で降臨した世界唯一の神の国日本)はその外宮の伊勢神道の形成を促していくことになります。- 91
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2020-09-28 22:57:02
【神道シリーズ・シーズン2】第5回・伊勢神道⑤伊勢神宮および宮中での観音信仰の広がり11世紀頃から伊勢神宮では宮司の大中臣永瀬の出家・得度をひ切りに歴代の宮司(大中臣氏)、外宮禰宜(渡会氏)、内宮禰宜(荒木田氏)が次々と出家得度するようになりました。
そして彼らの菩提寺のすべて真言宗で十一面観音を本尊とし、当時仏教禁忌だった伊勢神宮で、仏経信仰への願いを断てない神宮の神職たちが「観音菩薩=天照大神」一体論を打ち出すことにより、仏教信仰(真言密教)への接近を図って行きました。
その後12世紀になると宮中でも観音=天照論が出現し、天皇の寝室の隣の二間(ふたま)殿に祀られていた天照大神の形見と言われた神鏡が二間観音と同体であるという説が広がり、宮中でも観音信仰が盛んになりました。
この神宮や宮中の観音信仰はやがて真言密教による両部神道を誕生(12世紀中葉)させるきっかけとなって行きます。- 78
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