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2024年6月27日 07時10分に生成された05時00分のデータです
2019-06-22 19:45:02
吉川元春の武将二宮俊実(佐渡守)建立 禅宗寺院 松巖院と江戸期築庭の庭園 山口県岩国市藤生松巖院は、岩国市藤生にある戦国毛利の一族 吉川元春の武将二宮佐渡守俊実の建立した禅宗寺院(臨済宗だったらしいですが 現在は単立寺院)です(動画は岩国の小瀬の渡し場跡の桜〜松巖院と進みます)
二宮佐渡守は、吉川軍主力の武将だったそうです。厳島合戦や石見攻略などでも活躍した。吉川元春〜広家と仕えたそうです。
境内奥の木立の中に二宮佐渡守の御墓と陶晴賢の供養塔があるそうです(未見)
開山は真如周伯和尚と由緒書きにありました。
吉川公の要請で八十を過ぎて「二宮俊実覚書」をしたためたと言われ 陰徳太平記など軍記の基本史料となったそうです
江戸時代19世紀(文化から天保年間)に住職月渓和尚により作られた二つの庭園があり作庭者や時期の記録(安政2年の文書に記録がある)も残り貴重な遺構とされる 市の名勝指定 1山門から本堂前に蘇鉄と苔の平庭(塀越しに瀬戸の海と島が借景となる)
2本堂南側にある築山や石組み、植木、池などのある回遊式の池泉庭があります。
築山には観音堂や地蔵がある。樹木が多く植えられているお庭でした。
庭園系のサイトの意見にありましたが樹木が多過ぎて確かに石組みが少しみづらいかなとはおもいました。今でも十分いいですけどね。
*本堂南面の平庭は簡素で苔と借景もよく大変結構でした。
付記=また山門下の石地蔵は切支丹地蔵であるそうです(後で知りました)
小高い境内に海や山の息吹を感じながら手を合わせたいですね
この日行きますと本堂は閉まっていたので外からお賽銭を入れ手を合わせました。
*行かれる場合 修行寺なのでまず御参りをさせていただいてから静かにお庭など拝見しましょう
僕は、このお寺の平庭からの借景の景色はいい〜〜なあと思います またお参りしたいです。- 167
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2022-06-24 09:33:02
初夏の禅刹「松巌院’(しょうがん いん)」参拝と寺院庭園 山口県岩国市藤生5月の夕方ごろに3度目の参拝(コロナ以来久しぶり)
吉川氏の武将 二宮佐渡守俊実(としざね)により慶長二年1547年建立の寺院。
二宮佐渡守俊実(としざね)
吉川氏家中の勇将で、厳島合戦に置いても吉川勢の主力として勇戦した。
厳島では小早川隆景の危急を救い、陶氏の重臣を討ち取るなど武勲を挙げた。
また陶晴賢の捜索にて首級を見つけ出したのも二宮俊実である。
*境内奥の林間の墓地には二宮佐渡守の墓碑と並んで陶晴賢供養塔がある
また毛利の石見攻略時の本城常光攻めなどでも活躍した
その後無常感を深く感じ、仏教に帰依していったという。
庭園は安政6年(1859年)頃の今北洪川(いまきたこうせん)著「松濤軒記」〜
江戸時代の天保15年(1844年)以前に当時住職の中谷月渓 和尚が作庭したとものと記載され作庭者や作庭時期が記録して残る庭園は資料としても価値がある。(日本庭園学会誌1966巻4号抄録記事参照)
1平庭の枯山水(蘇鉄、苔に石組の庭になっている)
2池泉庭園
斜面を利用した?築山の石組が滝のように配され橋がかかる。
水流があるようで石組下に小さな池を作っている。庭には大きな宝篋印塔がありますね。
今度石組なお参詣時には詳しくみてみたい。樹木などの植栽は多い感じです。
築山上には観音堂があります(地蔵尊も確かあった)
注)今北洪川(いまきたこうせん)元儒者で25歳で相国寺で出家した臨済僧。幕末〜明治期の代表的な禅僧と言われる。安政5年〜明治初め頃まで岩國の永興寺に住したらしい。明治後東京 麟祥院へ移る。さらに鎌倉円覚寺管長となる。雲水、在家にも禅を指導したという。wiki参照。
麓の火力発電所は2020年廃止されたようですね。
*広告恐れ入ります^^;人
今回は祖生新宮神社、長宝寺の帰り夕方近くだったので 疲れててささらっとしかみていませんがまた
機会があればゆっくり拝見したいです。
追加版予定。
追加情報7/2
本日スズメバチを見たのだが本堂と接続する茶室?の柱あたりに消えた隙間から内部へ?
巣がある可能性もあるかな?冬までは注意だね。多分もう寒くなるまでは行かない。そこの石柱は 十字架形の石に地蔵が彫ってあって(元はキリシタンのものらしい) すごい庭だな ん~(^^;枯れ杉にでも見立てておこう ウリボー?! うぽつ~
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