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2021-11-26 18:00:00
名管領・細川頼之の苦悶 苦しみながら彼が残した功績<足利義満解説・前日譚 第9回>前回⇒sm39605926
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信長解説シリーズ⇒series/83634
番外編シリーズ⇒series/107537
主要参考文献
生駒孝臣『楠木正行・正儀』ミネルヴァ書房
伊藤俊一『荘園』中公新書
小川信『細川頼之』吉川弘文館
小川剛生『二条良基』吉川弘文館
小川剛生『足利義満』中公新書
亀田俊和『観応の擾乱』中公新書
亀田俊和・杉山一弥編『南北朝武将列伝』戎光祥
川添昭二『今川了俊』吉川弘文館
佐伯智弘『皇位継承の中世史』吉川弘文館
桜井英治『日本の歴史12 室町人の精神』講談社学術文庫
荘園史研究会編『荘園史研究ハンドブック』東京堂出版
新田一郎『日本の歴史11 太平記の時代』講談社学術文庫
日本史史料研究会編『初期室町幕府研究の最前線』洋泉社
平野明夫編『室町幕府全将軍・管領列伝』
森茂暁『南北朝の動乱』吉川弘文館
山田徹『南北朝内乱と京都』吉川弘文館
山田邦明『室町の平和』吉川弘文館
論文
水野圭士『細川頼之政権と持明院統の分裂』
山田徹『土岐頼康と応安の政変』
音源
https://soundcloud.com/baron1_3
https://dova-s.jp/
https://ucchii0artist.wixsite.com/ucchii0
http://peritune.com/
https://soundeffect-lab.info/
https://vsq.co.jp/special/se_ikusa/焼けば良いのにな この後も六角は自分たちに明確な不利益が無い限り親幕府なんだが今回は不利益出ちゃったからな 土岐氏は味方側の主張だが土岐氏は元々反頼之急先鋒で幕府内にほぼ居ない 上層部は割と冷静な対応 いやそこは朝廷幕府じゃなくて各派の方に出せよw ...
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2019-09-30 23:48:01
西国街道を行く 廿日市市大野 向原の石畳と九州探題今川了俊歌碑西国街道廿日市市 大野地区にある 向原の石畳(復元)を歩いてみた。
昔の西国街道の姿を少しだけイメージできます。
宮島に一番近い温泉 宮浜温泉の駐車場に停めて歩きました。
実物の石畳遺跡は保存のため埋め戻されています。
背後の高い山は経小屋山 古代の防人が一切経を守護神に祀ったからとと云われます。
また、街道の石畳の実物ですが、ここから少し先の鳴川の鉾ノ峠ヘ向う山の入り口のところにはそのまま残っています。
今川了俊(貞世)の歌碑
遠州今川氏の祖で、足利三代義満に仕えた。九州探題として九州の南朝方を駆逐する司令官となる。
優れた歌人でもあり、九州へ赴くときに西国街道通り、各地で歌や紀行文を残している。
『道ゆきぶり』がそれです。また自らの体験を記した「難太平記」なども表した。
廿日市には今川了俊の歌碑があと2箇所有ます。- 97
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2022-09-20 18:45:03
西国街道 大野中山 疣観音堂と今川了俊歌碑 広島県廿日市市西国街道(旧街道の山陽道)の廿日市の宮内〜四郎峠を西へ下ったところにあるお堂。弘法大師のイボ取り伝説のある御堂である。端正な石仏の観音像である。
川のの合流点にありここよりやや下った場所が一里塚の松があった場所らしい。
今川了俊は貞世と言い遠州今川氏であるらしい足利義満に仕え九州探題として赴任、大内氏や九州大名の力を糾合し南朝方と戦を繰り広げた。
文化人としても優れ 和歌、紀行文(道ゆきぶり)、歴史書(難太平記)などを残す
今川了俊公の歌碑(後2箇所)歌碑の歌は道ゆきぶりに書かれているようだね。
JR大野浦駅、宮浜温泉に近い向原石畳道の上の方にあり
防府市の鞠生にもあるらしいんだけど(老松神社参拝の後に探したが迷ってしまい)いまだ行けてない。
この旧山陽道(高速建設などもあり大体この辺りだが)四郎峠(この辺りを昔大野氏とかいう兄弟が入植開拓したとか言われ大野四郎が開拓したことからその名があるらしい)はさみしいところなので昔は追い剥ぎなんかも出ていたらしい。
今川了俊は地御前神社、厳島参拝後 地御前あたりから山に入りおおの中山へ抜けたと何かで読んだ(HPか本だか忘れたんだが)ありがとう
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2021-03-28 00:38:05
桜の咲いた大内氏の前進基地〜門山(かどやま)城跡の山を麓から眺めて。 広島県廿日市市岩国方面へ抜ける途中 串山交差点から旧道へ入ろうとしたら線路脇から眺めが良さそうなので撮影。駅前の一里塚石碑と城山も見てきた。
門山城は大内氏が厳島への船の出入りなども監視できる格好の場所で、安芸国支配の出城の一つだったらしい。山の東側に妹背の滝と言う大きな滝があり厳島神社兼帯七社の一つだったという
古社 大頭(おおかしら)神社が鎮座する。大正期に滝のそばへ遷座したらしい。滝の上部の砂防ダム湖のあたりに登山口の一つがある。
太田社=大頭神社摂社。桜が多く眺めも良い。山裾を走る山陽自動車道沿いの道があり桜も多く太田社の裏を通り西へ向かう。
厳島合戦前に毛利軍により落城し廃城となる。以前も動画で一里塚の石碑は撮影したことがあるがせっかくきたので再度掲載。- 17
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