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2024年6月18日 07時09分に生成された05時00分のデータです
2020-09-19 21:04:02
3分で流す日本思想 伊藤仁斎『童子問』「卑近の中、自ずから高遠の理が有るなり。」
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伊藤仁斎(1627-1705)
童子問(1691-1705)
岩波文庫版が入手し易いと思います。
音楽:おとわび(https://otowabi.com/)
広告・コメント頂いた方、どうもありがとうございます。○小問題 ✕少問題 近づくこと(なれとは言ってない) 絶対があれば営み無し。よって無限遠点。指すものであって着く所ではない。 人の本能は「目的を見出すこと」よって断続的。 本質と実在があれば表像がある。これ輪郭。常に衝突。白線であり公正である。 ...
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2021-03-22 23:10:02
【神道シリーズ・シーズン2】第25回・荻生徂徠(古文辞学の立場より孔子・朱子批判)江戸時代に入り、林羅山、山崎闇斎、中江藤樹など朱子学や陽明学の研究は全盛となり、本来の古典的な儒教の教えが隅に押しやられてしまっていた中、古学派の伊藤仁斎は儒教本来の孔子が論語で訴えた徳目修身の原点に立ち返り朱子学・陽明学を批判していたところ、苦学独学で儒教を習得した荻生徂徠はその伊藤仁斎の朱子学批判では飽き足らず、孔子の論語ではなく、孔子以前に中国の先王聖人らが打ち立てた礼楽刑政の思想に立ち返り、先王たちの礼楽を
たんなる仁義礼智という、個人で習得すべし徳目として把握していた孔子を痛烈に批判し、さらにはその孔子の論語の立場にたつ伊藤仁斎も厳しく批判した。
荻生徂徠は、孔子とか朱子と言った先王聖人の時代からみて後世の学者たちによる六経の偏向的解釈を論破する為、古代の中国語を学び、五経も日本語の訓読みではなく、オリジナルの中国語の発音で読み理解するという方法論を採った。
そこから徂徠が得たものとは、本当に理解すべきは堯舜以前の時代から先王たちにより築かれて行った経世済民を目指す礼楽の制度そのものがあればこそ民は仁義礼智のような徳を身に着けた民なれ、天下も丸く治まるのだ、という政治制度の重要さで、それを孔子や朱子のように個人の努力で皆が徳目を習得する修身に心がけるとか、宇宙の理と個人の性を一致させる努力などに歪曲して解釈されてることが許せなかったのである。
尚、この徂徠の、古典をその時代の言葉で読み解くという古文辞学という方法論は、対象はまったく異なるものの、後の国学者本居宣長の古事記の万葉仮名読みによる分析にも引き継がれていくことなり、この宣長の古事記解釈はその後の復古神道を産むきっかけとなり、一方荻生徂徠はその復古神道派からは中国かぶれの批判的評価が下されるという皮肉な運命になるのであった。- 93
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