タグ北畠親房を含む動画:4件 1ページ目を表示
2024年6月18日 07時09分に生成された05時00分のデータです
2009-05-02 18:10:10
神皇正統記神皇正統記は、南北朝時代に公卿の北畠親房が、幼帝後村上天皇のために、吉野朝廷(いわゆる南朝)の正統性を述べた歴史書。史書としての正確さや論理性はいささか不備があるものの、足利尊氏に小田の小城に追い詰められた中で書かれ、読まれた書であり、現代に於いても日本の国体(くにがら)について考える時、不可欠の書だと思います。山鹿素行「中朝事実」→sm6938281 本居宣長「直毘霊」→sm5015829 本居宣長「玉くしげ」→sm5058142 賀茂真淵「国意考」→sm5000813
←それな 近代日本に利用された言葉 その他南朝方「キレそう」 南朝は尊を使っても高にこだわるのが親房 この前置きの真情がワカランとは・・・ わざわざ「高氏」と書いているところに器の小ささを感じるわ つまり「忠」は君たる者の「有徳」なくして成立しないと...
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2013-03-01 23:43:03
田丸城(三重県度会郡玉城町)三重県度会郡玉城町にある田丸城です。
田丸城は南北朝時代の延元元年(1336年)に北畠親房によって南朝方の拠点として築かれました。
天正3年(1575年)には織田信長の次男で北畠氏の養子となった織田信雄が大河内城を廃して、
本拠を玉丸城に移しました。城を大改築して本丸・二の丸・北の丸を設け、本丸に3層の天守が
築かれました。天正8年(1580年)に放火によって田丸城は全焼し、信雄は松ヶ島城を築いて
移りました。
城址紹介 静岡県 mylist/35938606、愛知県 mylist/35726874、岐阜県 mylist/35803017
三重県 mylist/36013454、滋賀県 mylist/36013523、長野県 mylist/37255841
その他 史跡 mylist/36010755、ダム巡り mylist/37255876、ブロマガ ar303163地元や、懐かしいな いい城でございました。 コメントを頂き有難うございます。昭和3年の...
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2023-03-11 00:04:00
【ゆっくり】紀勢旅行記 4日目中編【多気北畠氏館城跡】あれはイノシシか?クマか?
きっと虎だよ虎だよ
バリケード作らなきゃ
2022年の10月6日から10月9日までの旅行を
旅先で撮った写真をスライドショー形式(たまに動画もあるよ)で流して
ゆっくりのきめえ丸で振り返る動画です
主に100名城に選出されたお城を巡っての旅行です
今回の行先は紀伊半島の東部
解説も編集も言葉の意味もガバガバなのは許して下さい
ソフト: ゆっくりMovieMaker4
BGM : 甘茶の音楽工房様
魔王魂様
効果音:効果音ラボ様
地図:GoogleMap
例のフォント画像:水曜どうでしょう様よりへー ほえ~ うぽつ おつー うぽつです おつ クマでなくてよかった あからさまにニンジャなのだ うぽつ うん? なるほど いいけしき
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2020-12-07 23:10:03
【神道シリーズ・シーズン2】第14回・「神皇正統記」北畠親房(伊勢神道を継ぐ者たち①)渡会家行の後、後継者なく途絶えそうになっていた伊勢神道は、内宮の荒木田氏により救出され引き継がれることとなったものの、その法統も南北朝の戦乱の中、再び途絶えようとしていた時期に、南朝の重臣の北畠親房や天台僧の慈円らによってその流れが引き継がれることになりました。
伊勢神道自体の復興は江戸時代の 度会延佳の時代を待たねばならなかったものの、この南北朝時代に伊勢神道の流れを継いだ北畠親房の「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」の中では、道教的な思想が中心であった伊勢神道に儒教(朱子学)的なイデオロギーを注入したのが特徴で、実はこの流れはこの先の吉田神道や江戸時代の儒家神道・水戸国学・復古神道にも強い影響を与えて行くことになります。- 73
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