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2024年6月15日 07時09分に生成された05時00分のデータです
2023-04-05 21:37:37
voicepeak りりせ&フリモメン 岩国市の古い神社巡り〜二つの八幡宮〜 初稿 岩国市玖珂町/周東町初稿 別に7月の午後の夏の絵を中心に今御朱印祭用に再度編集してるのでそれまで公開にしておく・・これは没にして差し替えるかな。いくつか入れてないものもあるしポカもあるよね。
完成したので明日上げます。修正期限に間に合わなかったぜ・・・
玖珂町、周東町の神社2社紹介 ナレーション重複あり^^;
久重山 岩隈八幡宮(玖珂)= 御朱印あり
玖珂の鎮守=祖生の岩隈八幡宮〜吉川公により元禄時代に遷座した。
のちに祖生にも御社が再興された。sm41980145
元々は三毛入野命を祀っていた熊毛宮と言われのち和銅7年八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の賀茂神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
泉山 椙杜八幡宮 = 御朱印あり
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の北側を通る)である。神社の正面入口は旧山陽道沿い。
歴史〜創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人 太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所〜訴訟裁判事務所管=初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘(すぎのもりしょう)を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。
戦国末期以降〜大内滅亡毛利へ帰順する.毛利防長侵攻に伴い杉氏との鞍掛合戦を経て玖珂郡を掌握するに至る。毛利の時代に世継ぎが無く毛利重臣 志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。後に長府藩家老へ移転する。後に藩公交代に伴い藩内の問題から長府藩を辞し本流は絶えた。
〜椙杜社は 同じ題材ながら登山祭とは編集などを変え神社動画として再編しています。
掲載映像の参拝時期と御朱印拝受時期は異なります。
どうしても尺の関係で入れてませんが付近おすすめスポットは、ドライブイン山賊ですね
滝もあるし和風な感じで面白いとことろ。
立ち絵はVoicepeak公式のものをお借りしていますうぽつです∩^ω^∩ まったくです。
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2023-03-25 19:27:02
【voicepeak】古の伊勢斎王ゆかりの「斎宮(いつきぐう)神社」と可愛い天井絵 山口県岩国市周東町西長野斎宮(いつきぐう)神社=岩国市周東町西長野 国道2号線の北側の田園地帯に鎮座する古社。
大同二年創建 伊勢神宮・斎王の斎宮(いつきのみや/さいぐう)ゆかりの御社で(この付近が荘園だったらしい)倭姫を祭神として祀る。 令和四年 晩秋
幾多の戦乱で衰微しながら現在まで継承されてきたようです。
山口県神社誌によれば昔は椙杜八幡宮の摂社でのち独立した神社となったようです。
拝殿の天井絵がなかなかいい。本殿も良きかな。
先日動画作成にあたりGooglemapを見てみると締め柱と狛犬が西国街道沿い(県道144号)島田川の近く辺りにあり、まっすぐ神社へ参道が伸びているようです。
ただ現代は岩徳線と国道2号線が途中横切る・・。続編 sm42075344
2024.5再訪 お掃除されていました氏子のおばさんとお話ししましたら色々教えていただけました。
現在宮司さんは玖珂天神の宮司さんで、川上妙見宮と斎宮さんを管轄されてるとのこと。
祭も昔は賑わい神輿が練り歩いたそうですが今は担い手がいない為にお祭りも小規模になったそうです。
☆広告大変 恐れ入ります^^;人 感謝感謝です。
参考
斎宮=斎王の御所並びに事務方の斎宮寮から構成された。
斎王=伊勢神宮の伊勢狼に奉仕する(皇族の親王、女王が任命された)古代から後醍醐帝の頃1330年代まで続いた。
総勢60余人がこの斎王を務めた。
☆由緒書及び斎宮博物館サイトの解説参照
広告感謝感謝であります ^^;人
歴史好きな人様
蒔田様
龍休宗庵様おつ うぽつ うぽつです∩^ω^∩ 綺麗! なるほど~勉強になります!龍宗 いいですね~癒やされる\(^o^)/ おつです。
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2021-02-01 18:00:03
【山口県神社案内】横町と呼ばれる割拝殿が珍しい「 旧郷社 廣瀬八幡宮 」 音声ガイド付き 山口県岩国市錦町広瀬独特なこの地方でいう「横町」という構造を持った 割拝殿がある。左右に分かれた板の間があり、中央に通路(馬道)が通る造り。雨なので休日の時間潰しに音声ガイド付きで全面的に作り直した。
清流錦川沿いの岩国市錦町は、山口県で標高の高い地域で旧玖珂郡錦町と云われ2006年岩国市と合併した町。第三セクター錦川清流線の終着駅でもある。今回は車利用だが・・日帰り旅してきた。
横庁(町)往時は、祭礼時、神事に臨んで、裃(かみしも)をつけた東の名主12名、西の名主12名がそれぞれの座が定められていたそうです。
割拝殿弘化4年建立、神殿は天保六年再建で共に岩国市に重要文化財指定。
神殿は大型の三間社流れ造で江戸時代後期の典型的な神社建築。装飾の彫刻が多く大変見事なもの。
手持ちの歴史散歩の本が見つからないので岩国市HP文化財説明記事、神社庁広瀬八幡の項 参照しました。
境内社は色々あるが画像が見つからず(旧PCからレスキューできれば 記録なのでまた作り直す^^;)
社殿左の天満宮・高良社(合祀されている)と龍神社の鳥居だけですw
境内広場には車でも入れる模様。正面参道は旧な石段があり大きな古木が多い。
木材の古さびた感じや樹々建築など風情がある社殿や境内であります。令和2年 猛暑 夏の記録として
行き方 錦川清流線錦町駅下車・・駅前通りを右へ歩き案内看板があるので(JA広瀬支所横)山の方へ行くと鳥居や石段が見える。小高い山上にある。
車なら国道187号線で錦川沿いに遡り、途中で別れ広瀬へ。公民館あたりに駐車できる。
プレゼンソフトkeynoteを活用してみた・・初見でもなんとか使えたw。
関連=周防山代地方関係 廣瀬 船津権現山(白山社)巨樹群 sm37406541
岩国吉川氏関係寺社 岩国阿品弥山 sm37835288 由宇榊八幡sm37985018- 68
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2020-11-11 09:41:02
岩国の神社巡り〜延喜式内社論社 岩隈八幡宮(令和二年春)岩国市玖珂(久重山)岩隈八幡宮(旧玖珂の総鎮守)〜元来は熊毛大神を祀っていたと云われる。
和銅七年(714年)宇佐八幡宮より勧請、初め下祖生にあったものを元禄四年(1691年)参勤交代の大名の参詣に便利な様に吉川広紀 (ひろのり)公により遷座された。
玖珂の三市をはじめとして、近郷53ヶ村の 総氏神であった(山口県歴史散歩より)
情報がないので詳細は不明だが、社殿はおそらく古いものを移築したものではないかと思われる。
その後、下祖生(現岩国市周東町)に災害が続くので元の岩隈山に神社は再勧請されて居ます。動画あり。
延喜式内社熊毛神社論社(元は下祖生なのでまあそちらが本来の論社でしょうね)ただ熊毛郡から延喜式神名帳の時代には玖珂郡は分離していたらしいっす。相当な古社は間違いない。
国道から入口が狭いので一昨年まで参拝を躊躇っていました。狭いの入り口だけで車でも入れます中は広い駐車場あり。残念ながら宮司さんは今は居られないので、高森の椙杜八幡宮で祭祀をされていますからそちらで希望なら御朱印はいただけます。
国道437号線が岩徳線をくぐり国道2号線と合流する辺り〜国道2号線の脇に参道への入口がある(古い狛犬がある)入り口が狭いが車で入れる。わずか山の方へ入ると駐車場あり、さらに拝殿下広場へも入れるが道が狭い。令和三年初詣に行きましたら宮司さんが新たに就任されていました^^
まあ山なので静かで雰囲気はいいです。杉などの大きな木もあったりします。社殿が大きくて見事。 境内者宗本神社の石鳥居からの眺めがいいですね。
防長路巡り https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=user_series- 67
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2020-07-07 10:00:02
周防岩國 山代地方 生見川の瀬音が響く「程野八幡宮」岩国市美和町岩国市美和町北中山 山口広島・県道2号線に沿い。生見川の傍の小高いところに鎮座するこの地区の鎮守程野バス停のすぐ近く。沢音が高い緑の田園の中にある。
戦前は無各社(国や地方団体から弊をもらわない神社)であるがなかなか歴史はあるようです。
昔は四つの小社(ミズハノメ社、オオヤマツミ社、八幡社、若宮社)があり江戸時代に合祀して 「四社大明神」としたものの明治になり八幡宮として届けたので八幡宮と号した。
社格の無いまま。ご祭神の八幡神は生見八幡宮より勧請したものであるためか御旅所ということで維持管理されていました。
昭和二十二年 法人格を取得した神社となり「程野八幡宮」となり今に至るそうです
(山口県神社庁記事 参照)
拝殿は瓦葺き、社殿は小振りの流れ造で彫刻も綺麗なもので山間の神社ながらなかなか見事な感じです。沢や川の音を聞きながらいい感じでした。狛犬は古そう。
沢音に鳥の声の他になにも聞こえぬところでした。
sm37231503 県道2号線終点 浅原〜美和町 程野までの車載。うぽつ
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2023-01-02 10:00:00
晩秋の上関 竈(かまど)八幡宮参拝記(山口県熊毛郡上関町長島) R4.11上関は古代においてはは竈戸関と呼ばれていた(地形からの名称らしい)また風待ちの港などとしても用いられていたそうです。後代に上関と呼ばれるようになる。
周防長門の海には下関〜中関〜上関と瀬戸内航行する運搬船の海の関所(番所)があり荷物などを検査したりしていた。
戦国期は大内氏の支配地域となり後には毛利の支配もうけ海上勢力能島村上水軍も活躍し上関城もあった(船舶から通行料を徴収していた)
海上交通の要衝でもあったようです。江戸期は北前船の風待ちの寄港地として大いに栄えたようです。
wiki参照
竈八幡宮=由緒書によれば〜はじめ祓戸九柱神を奉斎し後、香椎から神功皇后、文徳天皇の御代再度八幡神の三柱を勧請され竈八幡宮と呼ばれた。
日美の木という山上(おそらく?)から後に現在地へ遷座し境内山上で旧宮地へ向けて
日美祭も戦前までは行われたようです。
年末からはじめ〜新年にようやく完成。- 65
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2021-12-17 15:09:02
白鳥古墳に鎮座する 日本武尊を祀る「白鳥神社」ショート版 山口県熊毛郡平生町佐賀白鳥古墳は熊毛半島の中間の熊毛郡平生町の佐賀の海に臨む舌状丘陵の上に造られている。
全長120m 山口県最大の前方後円墳で後円部の径65m 高さ8m、後方部の幅62m 高さ7.5mもある巨大なもの。
5世紀半ばに築かれた瀬戸内海航路の拠点 に置かれた周防国の支配者の古墳。
神社は後円部の真上に鎮座する。江戸時代社殿再建のおり異物が出て今も 保存されているそうです。半島には古墳が多く神花古墳、阿多田古墳などがある。
御祭神 ヤマトタケル命(日本武尊)
昨年は駐車用が工事中で社前まできただけだが今回は参拝と港を見て歩いた。景色がいいですね。晴れたり曇ったりの一日でした。白鳥稲荷という神社も近くの高台にある(去年は間違えて先にそちらへ参拝した)駐車場からの景色が良い。
資料として現地の平生町の史跡解説を引用しています。
熊毛半島 大星山からの景色 sm37602958(別垢)- 60
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2020-11-22 22:32:02
清流 宇佐川の傍に在る〜「須川 河内神社」と社叢の杉(野趣あふれる石の手水鉢) 岩国市錦町須川岩国市錦町須川 須川河内神社=国道434号線沿い 宇佐川のそばにある江龍寺<俊道様>のすぐ近くにある。杉が多くあり鎮守の森もなかなかいい。手水が野趣溢れる感じでなかなかです。
岩国の天然記念物おきぬ様と呼ばれる300年の大杉を見に行きたかったんですが ここでなくて少し上流に上須川河内神社がありそちららしいです。Google マップには載っていませんでしたんで^^;
しかしここも大きな杉がありいいところだと思います。
防長路めぐり https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=user_series- 58
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2022-04-19 19:24:03
【小行司〜こぎょうじ〜】多賀山海抜330mに鎮座「多賀神社」 山口県熊毛郡 田布施町大波野の飛地神社編・多賀山330m山頂には多賀神社が、鎮座しており信仰の山である。昔 多賀大社を勧請したもので、イザナミ、イザナギの大神を祀る
小行司は、熊毛郡田布施町大波野の飛地で周囲は光市、柳井市、岩国市に囲まれた場所。
山頂の石段のところからはからは展望もよく熊毛半島や周防灘の海も望まれる。
一つ謎が神殿の真下にミニチュアな小さいオヤシロがあるんですが北?の方を向いています。云われ不明です。
田布施のHPに毎月20日が祭礼だとか書いてありましたが行けたら聞いてみようかのう。
アクセス
県道138号線沿いに登山口がある。
柳井市伊陸〜しばらく西に走り途中岩国市周東町田尻あたりから138号へ入る。山中の力士小桜碑、郷江集会所が目印である。広いところへ駐車して県道を少し歩くと多賀神社の小さい道標がありここから登山口。
もう1ヶ所はここからしばらく走りますと峠に多賀神社の表示があり参拝用林道からのルートもある。車で入れます。地図で見たら別に黒杭から林道?もあるみたい。
多賀神社のある山頂の雰囲気は大変よろしいです。山桃の神木や木漏れ日、森が私はいいと思います。南側の眺めも良い。今年2回目。
境内がいいんですよ。雰囲気が清々しい聖域の感じがします。木漏れ日のさす晴れた日に行ってほしいですね。地面は箒の掃きめがあって踏むのが申し訳ない感じ。
登りとか特に縦揺れしちゃんうんだよね スタビライザーいいけどチャイナ製のいろんなソフト入れるの好きじゃないんだよなぁ。
頑張って編集した。動画部分の素材がイマイチなのは反省です。車で行った時の前回の写真消しちまったからなあ。タイトルがズレてた ミスがw このまま行きます^^この屋根はいいなぁ
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2020-10-18 19:55:02
<山口県の神社>石造の参道が美しい 鎮座九百年 旧郷社「賀茂神社」 山口県柳井市 伊保庄( UonoSyou)周防国旧熊毛郡 伊保庄(うおのしょう)の賀茂神社。
賀茂神社にある、県下で二番目に古い在銘石鳥居は柳井市の重要文化財指定。
阿月の領主=乃美元貞(後の浦元種)が願主として寄進したものという。
本殿は明治時代の再建ながら地元山口県の名工の差配によるもので見事な造りである。
大変趣のある境内で参道の石畳などがよい。神社の向こうに島陰や海も見える。
初秋ながら境内は名残の蝉時雨 聞こえた。
900年前に創建され古社で、京都の賀茂神社の神霊を勧請して奉斎したもの。
由緒=寛治7年宮中の武陵伝の行事〜競馬会(うまくらべえ)が、京都賀茂神社にて催されることになった時に20箇所の荘園が寄進されたがその一つがここ伊保庄。その縁で分祀されたお社。
背後の森は市の天然記念物指定で植物の種も多く大木も多いという。
延喜式内社熊毛神社論社にもなっている、これは当社へ合祀されている古社の祭神が熊毛大神なのでその古社の関係らしいです。
令和2年9月初秋に訪問した。この後 大星山へ向かった。
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2021-01-27 12:41:02
大同二年創建 めずらしい割拝殿の「 旧郷社 廣瀬八幡宮 」 本編 山口県岩国市錦町広瀬清流錦川沿いの岩国市錦町は、山口県で標高の高い地域で旧玖珂郡錦町と云われ2006年岩国市と合併した町。第三セクター錦川清流線の終着駅でもある。日帰り旅してきた。
独特なこの地方でいう「横町」という構造を持った 割拝殿がある。左右に分かれた板の間があり、中央に馬道が通る。
横丁(町)往時は、祭礼時、神事に臨んで、裃(かみしも)をつけた東の名主12名、西の名主12名がそれぞれの座が定められていたそうです。
割拝殿弘化4年建立、神殿は天保六年再建で共に岩国市に重要文化財指定。
神殿は大型の三間社流れ造で江戸時代後期の典型的な神社建築。装飾の彫刻が多く大変見事なもの。
手持ちの歴史散歩の本が見つからないので岩国市文化財説明記事、神社庁広瀬八幡の項 参照しました。
境内社は色々あるが画像が見つからず(旧PCからレスキューできれば 記録なのでまた作り直す^^;)
社殿左の天満宮・高良社(合祀されている)と龍神社の鳥居だけですw
境内広場には車でも入れる模様。正面参道は旧な石段があり大きな古木が多い。
木材の古さびた感じや樹々建築など風情がある社殿や境内であります。令和2年 猛暑 夏の記録として
行き方 錦川清流線錦町駅下車・・駅前通りを右へ歩き案内看板があるので(JA広瀬支所横)山の方へ行くと鳥居や石段が見える。小高い山上にある。
車なら国道187号線で錦川沿いに遡り、途中で別れ広瀬へ。公民館あたりに駐車できる。
備忘録的に自分の好きな場所モノの記録を動画にしていますが、なかなかここは良かったです先入観はいけないですね侮れない。昔来たことあるんはずなんだけど・・忘れてたw 時間が経つと観方が変わりますね。
関連=岩国域
廣瀬 船津権現山(白山社)巨樹群 sm37406541 岩国阿品弥山 sm37835288 由宇榊八幡sm379850181 錦町広瀬
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2022-10-20 09:41:02
豪壮な御社殿と多宝塔〜周防降松の古社 花岡八幡宮参拝記 再編集 山口県下松市末武神社自体も今でもその社殿は相当な大きさをお誇りかつての栄えが偲ばれます。
かつては神仏習合の花岡八幡は九つの社坊を抱えた大寺院だったようです。
伝説では鎮座の時神託があり全山花に覆われたゆえ 花岡と称されたと伝わる。
和銅二年勧請の古社 花岡八幡宮 のある周防花岡は京都から下関へ至る旧山陽道に沿った、宿場町跡である。江戸時代は毛利藩の花岡宰判勘場(代官所)があり都濃郡の政庁が置かれた場所。・・・少し短め。
和銅2年(709)創建で、周防国守の奈良東大寺大仏再建の重源上人の時代にも再建されている。
大内氏、陶氏、毛利と歴代領主に尊崇されてきた。現社殿は文化文政時代再建のようです。彫刻もよく社殿の規模もなかなか凄い。
豊臣秀吉も参詣に訪れたらしいですね。
華岳山 閼伽井(あかい)坊 (通称で花岡大師とも言われ)真言宗の寺院。閼伽井=仏や神へ供える水の井戸のことである。
閼伽井坊には重要文化財指定の美しい閼伽井坊塔婆=「多宝塔」が付属しているがこれは花岡八幡宮境内にある。室町時代の再建。元は藤原鎌足が全国に建立した十六塔の一つと言われる。
2022年初詣の再編集版 映像の整理と音声ガイドにSiriを追加と音楽を変えた。花岡八幡宮は圧倒されます(^o^)また行きたいです\(^o^)/ うぽつ
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2022-01-24 11:50:03
旧山陽道 周防花岡(2)〜 「花岡八幡宮」参拝記 第2稿 短め 山口県下松市末武和銅二年勧請の古社 花岡八幡宮 のある周防花岡は京都から下関へ至る旧山陽道に沿った、宿場町跡である。江戸時代は毛利藩の花岡宰判勘場(代官所)があり都濃郡の政庁が置かれた場所。・・・少し短め。
神社自体も今でもその社殿は相当な大きさをお誇りかつての栄えが偲ばれます。
かつては神仏習合の花岡八幡は九つの社坊を抱えた大寺院だったようです。
伝説では鎮座の時神託があり全山花に覆われたゆえ 花岡と称されたと伝わる。
和銅2年(709)創建で、周防国守の奈良東大寺大仏再建の重源上人の時代にも再建されている。
大内氏、陶氏、毛利と歴代領主に尊崇されてきた。現社殿は文化文政時代再建のようです。彫刻もよく社殿の規模もなかなか凄い。
豊臣秀吉も参詣に訪れたらしいですね。
旧山陽道〜石畳の参道〜神社へ至る石段下の旧社坊の一つ(九つのうち唯一残った)閼伽井坊へまず参詣した。sm39925154
(2)は花岡八幡宮へ参拝初詣客は結構いたました。
華岳山 閼伽井(あかい)坊 (通称で花岡大師とも言われ)真言宗の寺院。閼伽井=仏や神へ供える水の井戸のことである。
閼伽井坊には重要文化財指定の美しい閼伽井坊塔婆=「多宝塔」が付属しているがこれは花岡八幡宮境内にある。室町時代の再建。元は藤原鎌足が全国に建立した十六塔の一つと言われる。西国街道 良い社殿 花岡大師
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2021-08-09 02:47:02
【周防山代地方の古社】 生見八幡宮(いきみはちまんぐう) 岩国市美和町生見神社のみに編集。県道2号天尾〜浅原線を浅原方面〜走ってきたのだが県境をこえて美和町生見(ikimi)にある神社。生見川沿いにあり山を背にしている。
田園と稲の緑、夏の山、雲空がいい写真が撮れた。
山代街道点描写真まとめ(亀尾川〜程野の山里〜生見八が幡重複しますが)sm39152180
社殿は拝殿は昭和の再建らしい。本殿が文化十年(江戸後期)再建で三間社流れ造。
拝殿の中に賽銭箱があり扉を開けて中で参拝する形式になっている。
由緒
貞観年間の創建で、都より藤原公忠が宇佐神宮に参籠し神霊を奉斎しての帰路、間道筋伝いのこの辺りを通過中に伊木見(いきみ)を通過し宿泊。その世の霊夢にてお告げありこの地へも分霊し祭神を祀ったことに始まる。山口県 神社庁HP より。美しいなぁ 可愛い これは良い狛犬
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2022-03-16 22:01:02
沼八幡宮 山口県熊毛郡平生町沼八幡宮。熊毛半島付け根あたりにある平生町の神社。
おそらく創建は7〜800年前のようです。神輿庫の横に石柱があったのですが写真を忘れました。
参道が長く木立の中を登ります。15年ぶりくらい2回目。
社頭からは大星山など熊毛半島の山が見えています。またこの辺の山麓には大野毛利氏の墓所などもあったりするらしいです。
常夜灯が巨大でしたね。
長い参道の木漏れ日がいいっす。天候の良い明るい日に行きたい。
田布施町との境、田布施川が近い辺りにあります。たぶん山は赤子山だと思います。登山サイトにも出てた。気になってましたできれば一度登りたい。山の北側は柳井あたりらしい。ここいいよね(^o^)
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2021-02-02 21:18:03
【山口県神社案内】横町と呼ばれる割拝殿が珍しい「 旧郷社 廣瀬八幡宮 」(映像と字幕・音楽のみ) 山口県岩国市錦町広瀬内容はおんなじ。音楽だけ。独特なこの地方でいう「横町」という構造を持った 割拝殿がある。左右に分かれた板の間があり、中央に通路(馬道)が通る造り。
清流錦川沿いの岩国市錦町は、山口県で標高の高い地域で旧玖珂郡錦町と云われ2006年岩国市と合併した町。第三セクター錦川清流線の終着駅でもある。今回は車利用だが・・日帰り旅してきた。
横庁(町)往時は、祭礼時、神事に臨んで、裃(かみしも)をつけた東の名主12名、西の名主12名がそれぞれの座が定められていたそうです。
割拝殿弘化4年建立、神殿は天保六年再建で共に岩国市に重要文化財指定。
神殿は大型の三間社流れ造で江戸時代後期の典型的な神社建築。装飾の彫刻が多く大変見事なもの。
手持ちの歴史散歩の本が見つからないので岩国市HP文化財説明記事、神社庁広瀬八幡の項 参照しました。
関連=周防山代地方関係 廣瀬 船津権現山(白山社)巨樹群 sm37406541
岩国吉川氏関係寺社 岩国阿品弥山 sm37835288 由宇榊八幡sm37985018- 34
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2022-07-12 22:30:03
晩春の周防山代地方阿賀(あか)の古社 「 速田神社」 2022晩春岩国市湖者速田神社。神社部分だけ。美和町の阿賀 。里の鎮守 速田神社。
何度か来ているが久々に記録動画(ここへくる前にカフェに寄ってきて夕方近く)
山里ながら古来厳島神社とも関係が深かったようで言い伝えでは厳島明神から神供米が送られていたこともあったらしい。
今も御烏喰式(おとぐいしき)も行われる。
現在の社殿は江戸時代後期の建立のようで三間社流造り〜岩国市の有形文化財指定。
現在地には阿賀の藤木というところから明治時代遷座した模様。
祭神など由緒など境内になく不明。おそらく市杵島姫など宗像神を祀っているのではと思われる。
縁起が不明なため探して美和町阿賀ブログラブHPの縁起に関しての記述を参照しました。
縁起説話については「神が女人姿で降臨し、早稲(イネ)を速く成熟して見せ里を守ると告げて田圃へ消えた」というものだそうで市杵島姫などを連想させるきもしますが・・どうなんでしょう。
この辺りは岩国往来(岩国城下と山代街道を繋ぐ道)が通っていた。近くの雲照寺付近から県道とは別に昔の峠道があるらしい。県道130号線は雲照寺峠を越えて本郷へ続く。
速田神社という社号にかんして安芸の式内名神大社「速谷神社」が江戸の頃まで厳島の隆盛により
厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していたと云いますのでそこから勧請した可能性が高い。
速谷の御祭神は安芸国造の祖神系=阿岐速玉男命ですからね?うぽつです
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2021-12-26 19:51:02
旧山陽道富海宿3 楼拝殿が素晴らしい 旧郷社 国津姫神社 (山口県防府市富海)旧山陽道(西国街道)に沿った宿場後に鎮座する古い神社。修正版
伝説では、天武天皇の御世 里人が海岸守護のため祖神として、宗像三神(田心姫命、多岐都比賣命、世市杵島姫命)を奉斎したのに始まる。
他に景行天皇の御世 熊蘇征伐に向かう朝廷軍が周防娑婆(さば)に寄港した時にいち早く帰順し周防娑婆一体を領した女首長=神夏磯姫を合わせて祀る。
国津姫とはこの地域の支配者の祖神である神夏磯姫を指すのではないかと思う。
永禄年間、毛利軍の防長侵攻に伴い焼失した為〜毛利元就により再建された記録もあるようです。祭神が毛利が尊崇した厳島神社と同じでもある。
江戸時代 幾度か造営がなされた 鎮座地の浮洲が開墾可能な土地なため藩命で遷座されたものの不作などが続き神威を恐れて十年で旧地の浮洲へ再度遷座されたと言われる。
明治二年 宮坊 神祥院寺が廃寺とされた。神宝などが多く失われたという。旧社格郷社となる
神社庁記事より。
音楽
のる様作ニコニ・コモンズ
KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
忘却の都~ノスタルジックなBGM~- 27
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2022-01-24 08:33:03
旧山陽道 周防花岡(2)〜 「花岡八幡宮」参拝記 山口県下松市末武和銅二年勧請の古社 花岡八幡宮 のある周防花岡は京都から下関へ至る旧山陽道に沿った、宿場町跡である。江戸時代は毛利藩の花岡宰判勘場(代官所)があり都濃郡の政庁が置かれた場所。・・・R4初詣の記録なのでやや長いです。
神社自体も今でもその社殿は相当な大きさをお誇りかつての栄えが偲ばれます。
かつては神仏習合の花岡八幡は九つの社坊を抱えた大寺院だったようです。
伝説では鎮座の時神託があり全山花に覆われたゆえ 花岡と称されたと伝わる。
和銅2年(709)創建で、周防国守の奈良東大寺大仏再建の重源上人の時代にも再建されている。
大内氏、陶氏、毛利と歴代領主に尊崇されてきた。現社殿は文化文政時代再建のようです。彫刻もよく社殿の規模もなかなか凄い。
豊臣秀吉も参詣に訪れたらしいですね。
旧山陽道〜石畳の参道〜神社へ至る石段下の旧社坊の一つ(九つのうち唯一残った)閼伽井坊へまず参詣した。(2)は花岡八幡宮へ参拝初詣客は結構いたました。
華岳山 閼伽井(あかい)坊 (通称で花岡大師とも言われ)真言宗の寺院。閼伽井=仏や神へ供える水の井戸のことである。
閼伽井坊には重要文化財指定の美しい閼伽井坊塔婆=「多宝塔」が付属しているがこれは花岡八幡宮境内にある。室町時代の再建。元は藤原鎌足が全国に建立した十六塔の一つと言われる。- 24
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2021-12-01 22:27:02
国境の小瀬川を見下ろす御社「瀬田八幡宮」 山口県玖珂郡和木町山口県玖珂郡和木町にある神社。県境の川小瀬川を見下ろす山上にあり、弘治年間にはすでにあったといわれ(記録が焼失し創建の詳細不明)。吉川広正公の時代寛永年間に再興され現本殿は正徳年間に再建である。
本殿=山口県指定重要文化財。
麓には幕末の四境の役(第二次長州征伐)の芸州口の戦いで幕府正規軍VS長州軍の攻防の場所。記念石碑もあり、歴史の舞台でもあった。ちなみにこの先の大竹市の玖波宿は長州軍により灰塵に期した。
県道135号線沿い。御朱印あり。
最後 字幕がうまくできてないですが・・そのままにしときます^^;- 20
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