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2024年5月25日 06時21分に生成された05時00分のデータです
2022-03-10 17:22:37
清沢冽『暗黒日記』を読む~戦時中、冷徹な観察眼を持ち続けた人『笹幸恵の軍事トリビア』#67戦前に活躍した外交・政治評論家、清沢冽(1890-1945)の著書『暗黒日記』の現代語訳版が東洋経済から出版された。
清沢は反軍国主義の主張を貫き、戦時中は情報局から執筆禁止者に指名され、完全に干されていた。
清沢は言論発表の場を奪われた中、現在のおかしな風潮を日記に残し、後に検証する史料にしようとした。
清沢は終戦前に死去したため、自身によって時代の検証をすることはかなわなかったが、しかし清沢が遺した膨大な日記から、現在の私たちが学ぶことは無限にある。
あの時代、本物の言論人は世の中の風潮をどう見ていたのか?
そして現代の我々は、当時の日本人と比べて、少しは進歩しているのだろうか?大本営 = 厚労省 現代のきよさわさんは、よしりん先生ですね。日記と漫画という媒体もまたよいです。玉川氏に見せたいですね。戦争に例えるのなら。ありがとうございました。 素敵なスカーフですね。 バカすぎてw 笹さんの辛辣な言説はそこからきてるのか! 大...
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2019-03-15 15:49:25
「墓島」と呼ばれたブーゲンビル島~北部ソロモン、孤立無援の島『笹幸恵の軍事トリビア』#31今回は、悲劇の戦史シリーズ。
ソロモン諸島北部のブーゲンビル島は、戦時中はドイツ語読みで「ボーガンヴィル島」、略して「ボ島」と呼ばれていた。
この島では75年前の3月に激闘が行われた。この時点で既に日本軍は壊滅的な大敗を喫していたのだが、悲劇はまだこれからだった。補給の一切ない見捨てられた島で、日本軍撃滅の執念を燃やす豪軍を相手に絶望的な「持久戦」が継続され、「ボ島」が「墓島」と呼ばれるようになるほどの惨状が繰り広げられていったのである…すごい話だな~何も言えない 知られていない戦いですね よく生きて帰ってきました 棄兵ですな まだやる? 大本営はメンツだけで作戦してるのか? うっわ… 壊されたのか… 花の第六師団を投入するほどの作戦? 何でそこまでするかなあ 実質勝負はついていたけ...
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2019-08-01 16:09:21
ダンピール海峡と魔のサラワケット ~東部ニューギニア 苦難の51連隊 『笹幸恵の軍事トリビア』#36今回お届けするのは、東部ニューギニア戦線のごく一部の戦闘経過。
ごく一部でありながら、そこに端解されるのは悲惨に次ぐ悲惨!
ラバウルから東部ニューギニアに送られた51師団は、輸送船が空襲によってわずか20分で壊滅する「ダンピール海峡の悲劇」に遭遇。半数が海の藻屑と消える。
ほうほうの体で上陸を果たした3000名ほどの兵を待っていたのは、さらに過酷な運命、「魔のサラワケット越え」だった。
だが、まだそれでも彼らの味わう苦難はまだ序の口だったのである……!暗号が解読されているとは思わなかった? 目指すはフィリピンなんだからそうするでしょ 当たり前だけど 作戦のミスでしょ 多くの兵隊を自ら葬った将軍に同情しちゃいかんよ 笹さん、日本軍って自分のことしか考えなかったんかね? 原住民から前もって情報は得なか...
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2020-09-04 13:35:08
ナウル守備隊 知られざる感染症の悲劇 『笹幸恵の軍事トリビア』#49小林よしのり著『ゴーマニズム宣言SPECIALコロナ論』の第13章「インカ帝国の滅亡」には、南米大陸に白人がヨーロッパから持ち込んだ感染症が瞬く間に広がり、免疫を持っていなかった現地の住民が全滅していく様子が描かれている。
これを読んで連想したのが、ナウル守備隊の悲劇。
赤道直下にある面積約21平方キロメートルの小さな島・ナウルは、約4000人の日本軍が守っていた。
この日本兵たちは敗戦後オーストラリア軍によって武装解除されるが、悲劇はここからだった。
恨みに燃えるオーストラリア兵は、日本兵を過酷に扱い、ブーゲンビル島タロキナ(トロキナ)で「死の行軍」を強いる。
その後、日本兵はブーゲンビル海峡のビエズ島、マサマサ島に収容されるが、そこで待ち構えていたものは…よく話でてくるね よしわるしだね 知らなんだ さすが笹さん 事実上豪州軍の復讐ですな 敵愾心を煽ってくれますね 戦争犯罪だ…
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2020-07-15 16:13:31
縁の下の力持ち「海軍設営隊」~建設部隊が戦局の帰趨を決した!? 『笹幸恵の軍事トリビア』#47ゴー宣道場開催に欠かせない、当日の会場設営、警備等の運営を担う門下生有志のボランティアを、「設営隊」という。
始めた頃から、誰言うとなくいつの間にか定着していた名称だが、実は旧日本海軍にも「設営隊」という組織があった。
その任務は海軍の土木建築を担うことにあり、彼らがいなければ作戦遂行もままならない、まさに「縁の下の力持ち」と呼ぶべき存在だった。
設営隊が編成されるまでには、どんな変遷があったのか?
そしてその編成は?
陸軍や、米軍ではどうなっていたのか?
などなど、戦史ではあまり語られない、しかし欠かすことのできない重要な存在だった裏方に今回はスポットを当てる!本来機械化は新しい雇用を生むんだけどね システマチックだよね なかなか難しいって?あんた意思ねーな。客寄せパンダ は? 笹えて(笑) 今は雇用を守らず機械化するよね~ あー 物量だなぁ… 戦いなれてやがる sea bee 縦割りか… それを知りたい!...
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