キーワード旧山陽道を含む動画:88件 ページ目を表示
2024年11月13日 07時01分に生成された05時00分のデータです
2020-04-21 00:15:02
<周南の神社巡り> 高水神社(旧 高水三所権現) 周南市清尾(2019初夏) 第二稿高水神社 =元々は 熊野 三所権現(本宮、速玉、那智)を祀っていた神社と言われる。 後背の清尾山に 夫婦岩という巨岩が 鎮座し神社の御祭神の影向石と言われる。
三所三宇(三つの社殿) 七堂伽藍(七つの寺と社坊)を建立し 社号を高水三所権現と号した。明治後 権現号が禁止されて高水神社と改称したという。旧社格 村社。
御祭神=伊邪那美命、速玉男命、事解男(ことさかのお)命
社殿は簡素な流造りで木の感じからもなかなか時代を感じせる佇まい。覆い屋で覆われていませんのでよく間近に拝見できます。拝殿も吹き抜けでいい感じです。
拝殿周りの渾々と水をたたえた手水舎や石造物などもなかなか味がありいいですね。
本殿奥の森から沢が流れています。
境内や森の感じもよく緑も多い。熊手の掃き目が美しくいつお参りしてもいいかんんじ。
夫婦岩には 同じく清尾山の麓ですぐ隣の 周防七福神の真言宗三光寺 境内から登ることができる。
三光寺はおそらくは、高水神社の神宮寺だったのでは?と思います。
現在は神社から夫婦岩への道は通行不可能だそうです。
周囲は田園風景の中にあり、社頭を流れる小さな石光川は 瀬戸内へと注ぐ島田川へと流れている。
神社前を出て右へ行けば岩徳線を潜り旧山陽道へ接続します。左へ行くと熊毛インター方面へ。
宍戸家の郷校跡の徳修館(孔子などを祀る聖堂)などがある。
この辺りは江戸時代は三丘領主 毛利一門 宍戸家の支配地域だったかと。
縁起は境内に見当たらなかったので、山口県神社庁の記載の記事を参照しています。
ルート参考=国道2号線から県道8号線へ入り周南市熊毛支所方面へ〜途中8号線から別れ〜徳修館を過ぎて島田川を渡る手前のT字路を左折石光川沿いに進むと右手に三光寺、少し行くと高水神社がある。 島田川を渡ると県道144号線へ接続。 2020年1月の画像追加して再編集。
関連=熊毛 呼坂宿と徳修館sm35971361 熊毛半島の賀茂神社 sm36844729
防長路シリーズ〜https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=pc_watch_description_series- 757
- 00.0
- 10.1
- 00.0
2009-06-08 00:23:53
広島市内ぐるぐるドライブ 旧山陽道(西国街道)大山~船越峠2009 6/7(日) 11:00~12:00頃撮影 毎度、安物のデジカメでサクッと撮って手間を掛けずにアップしている、ぐるぐる車載動画シリーズです。広島市西部は比較的開発されていますが東部は、ようやくバイパス建設を始めた状況…。ということで今回は江戸時代のメインストリートである旧山陽道(西国街道)大山峠下~船越峠間です。道は、軽がやっと通れるような超狭いクネクネ道やバンピーなところが多いので凝視すると車酔いします、注意してください。 広島ぐるぐる動画リスト(低画質)mylist/8363768 広島ぐるぐるドライブリスト(中画質)mylist/15073091
狭いねえ 歩いて見たいわあ 曲がいいなw 懐かしい 険道区間 船越峠は地獄だぜ ここから先は本当に譲り合いが大事 ←海田町役場 この道よく見てたよ(^ω^) この曲なついな 交通量多いのにこの道幅だとしんどいよね 曲は? ここから広島市安芸区。 まだ...
- 556
- 203.6
- 00.0
- 71.3
2011-01-17 22:04:05
【けんけん動画】山口県道246号線《長府・旧山陽道》山口県下関市の長府を通る、県道246号長府前田線を走ります。
かつての山陽道を踏襲する区間だそうで、細めの道が続く県道です。
●撮影日:2011/ 1/17
●BGM:煉獄小僧さん(煉獄庭園:http://www.rengoku-teien.com/)
◆うpリスト その7:mylist/21813201/車載動画以外:mylist/16971374うぽつう upotu 巡回 うぽつ 極端に狭くはないけどただの市道にしかみえん 長成中校区まで行かんのね クリボー横に出たか やべーなつかしいな 教習のコースで通ったかな? 例のガードレールもないしね KOBELCO 乃木さん通り 出身中学です 功山寺^^
- 411
- 338.0
- 10.2
- 41.0
2021-04-12 00:48:02
【 旧山陽道 関戸宿跡 】 吉田松陰先生「東遊記念碑」の桜 令和三年春嘉永4年(1853年)春 松蔭先生22歳 初の東(江戸)遊学 したことを記念した石碑。
傍に立つ桜木の花。隣は解体された旧本陣跡である。
二十年くらい前 初めてここへ来た時も桜が咲いていたなと思い出します。
記念碑の立つ場所は関戸公会堂の街道に面した場所にある。
詩文は石碑裏面に刻まれている。松蔭先生がこの地で詠んだ漢詩であります。
前回は秋に訪れたが春の桜が印象深いので記録しておく。
関連=吉田松陰 歌碑と小瀬川の渡し場跡の桜 sm38512625
ここ関戸の画像は何回か挙げていますがまあ好みなんで四季折々趣がある。
山口県 西国街道 吉田松陰 詩碑 神社 宿場町 跡の風景。
令和3年4月 宮島桜の名所散策 sm38597393
広告いただき謹んで御礼申し上げます。- 394
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2018-11-14 11:34:02
【西国街道行く】広島市西区己斐(西広島駅)〜古江〜草津〜西区井口駅(商工センター入口電停)西国街道行く(1)
広島市西区己斐(西広島駅)〜西区井口駅(商工センター入口電停)まで歩きます
西広島駅駅〜別れの茶屋〜古江和風堂〜草津(鷺森神社、海蔵寺、慈光寺、小泉本店、草津八幡)
〜井口駅
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
別れの茶屋はパン屋さんになっています 赤飯むすびと可愛いパンを買いました。
別れの茶屋 江戸の昔、広島城下から西へ旅する人をこの茶屋あたりまで見送り名残を惜しんだということからこの茶屋が別れの茶屋と呼ばれた。風情がある名前ですよね。
和風堂=武家茶道上田宗箇流の総本山。元浅野家の家老上田氏が家元。
鷺森神社=街道沿いに建つ。これも古い神社。昔は弁財天も祀っていたらしい。
海蔵寺や草津八幡宮は街並みや広島湾が見えて景色大変がよろしいです
海蔵寺 は中国僧が建立した禅宗の寺院。長州征伐の時の談判がここで行われるなど歴史の舞台ともなる。本堂の北側には江戸時代元禄期の池石庭園がある。
草津八幡=草津の氏神。元は海に近いところにあったらしいが、だんだん内陸へ遷座し近代以後、新たに開かれた力箭山中腹に鎮座した。
慈光寺=日蓮宗。現在の本堂は戦後再建された。海中より引き上げられた草津の妙見大菩薩も祀る。
現在は妙見堂はないが、妙見様は本堂にあると思われる。山門は古い被爆建物。
街中にはうだつのある昔の町家が点在しているそうです。
草津あたりが昔の景色というか佇まいが垣間見えていいです。
草津は三次の浅野家の領地で漁業や水産加工で栄えました。- 333
- 00.0
- 00.0
- 10.3
2023-03-24 10:00:00
1分弱登山祭2023f(Voicepeak)りりせ&フリモメンと行く♫ 神社登拝「八幡様の鎮まる・岩隈山と泉山」 岩国市周東町1分弱登山祭2023f 〜 登山外伝かな。少しの登山と神社と神社にまつわる歴史解説動画です。
長い石段はいいぞ!
広告恐れ入ります^^;人 感謝感謝であります。
岩隈山=岩隈八幡宮
元々は三毛入野命を祀っていたと言われのち八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の賀茂神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
江戸時代に吉川公により、玖珂の久重山麓へ遷座したが、祖生で災害など続き領民の願いで
旧社地へ社殿再建し玖珂の岩隈八幡から祖生へ再勧請した。
現在の社殿は明治初め再建らしく吉川公が資材を寄進しているそうです。
泉山=椙杜八幡宮 御朱印あり(石段下に社務所あり)
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の北側を通る)である。神社の正面入口は旧山陽道沿い。
歴史〜創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人 太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所〜訴訟裁判事務所管=初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘(すぎのもりしょう)を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。
戦国末期以降〜大内滅亡毛利へ帰順する.毛利防長侵攻に伴い杉氏との鞍掛合戦を経て玖珂郡を掌握するに至る。毛利の時代に世継ぎが無く毛利重臣 志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。後に長府藩家老へ移転する。
もし間にえば(元気があれば)旧山陽道を柱野から玖珂辺りまで踏破したいが・・夢かもね^^また。。。だよねー 長い。。。 えっちだ めっちゃ元気 おつー この二人、教官とスチュワーデス感あって良いなあ
- 326
- 3711.3
- 195.8
- 20.6
2019-02-11 21:08:08
自販機食堂・旧西国街道(旧山陽道)車載(御庄宿、柱野〜欽明館自販機コーナーへ)小瀬〜関戸宿へ出た後の続き(欽明館うどん自販機で昼食へ) 関戸〜多田あたりとか御庄あたりも 容量不足で大半の画像がとれてませんでしたので(道間違えて 2号線 錦橋方面へ行ったり余分な動画撮ったり w)
かろうじて残された画像をいかしてあげましてと。
関戸〜御庄(新岩国駅 裏辺り旧山陽道)〜柱野(旧山陽道。岩国市街との分岐 思案橋を過ぎた辺り)〜欽明路(欽明館へ)小エビ(オキアミ?)入りのかき揚げのおうどんでお昼食べてきました。
思案橋(旅人が街道其のまま行くか、錦帯橋の有名な城下へ行くか思案したという)渡って進めば岩国城下へ通じている道です。道祖峠というのを通って城下へ入ったらしい。グーグルmapを見ても岩国城下〜川西の旧道が山陽道って書かれてますね。
川西へ向かう途中 旧道で大きくカーブした狭隘部分(樫渕とか言われたあたりらいい)途中道が狭いので大型は無理なんですが通過しようとしたトレーラーが立ち往生したり、離合が大変だったりうまく撮れてない部分はカットしてたります。途中がバイパス工事中の時期でした。
余談 動画撮れなかったですが帰りは川西から旧道経由で錦帯橋まで行きました道幅は狭かったけど面白かったですこんど歩いてみたいです。
途中 宇野千代の墓所のある教蓮寺、宇野千代生家などがあります。
あと令和3年2月にまた行ったら 玉ねぎと多分ナルトの破片?のかき揚げうどんになっていました。
自販機の古さも味の饂飩かなうどん値上がりしてる(TдT) 現役なんだなぁ
- 297
- 20.7
- 00.0
- 10.3
2023-04-07 09:58:02
【御朱印祭2023】voicepeak りりせ&フリモメン ☆岩国市の八幡宮巡り★ 修正済み 山口県岩国市玖珂町/周東町御朱印祭2023参加動画 玖珂町、周東町の八幡宮2社紹介
夏の神社の風景。初稿とは前半を別バージョン夏らしくスポット紹介もちょい追加。
久重山 旧県社 岩隈八幡宮(玖珂)= 御朱印あり 玖珂の鎮守 吉川広紀(ひろのり)公により
元禄時代に祖生岩隈山より玖珂山陽道沿いへ遷座した。 のちに祖生にも御社が再興された。
元々は三毛入野命を祀っていた熊毛宮と言われのち和銅7年八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の賀茂神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
祖生・岩隈山の岩隈八幡宮sm41980145
泉山 旧郷社 椙杜八幡宮 = 御朱印あり
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の北側を通る)である。神社の正面入口は旧山陽道沿い。
歴史〜創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人 太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所〜訴訟裁判事務所管=初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘(すぎのもりしょう)を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。
戦国末期以降〜大内滅亡毛利へ帰順する.毛利防長侵攻に伴い杉氏との鞍掛合戦を経て玖珂郡を掌握するに至る。毛利の時代に世継ぎが無く毛利重臣 志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。後に長府藩家老へ移転する。後に藩公交代に伴い藩内の問題から長府藩を辞し本流は絶えた。
〜椙杜社は 同じ題材ながら1分弱登山祭とは編集などを変え神社動画として再編しています。
掲載映像の参拝時期と御朱印拝受時期は異なります。映像はできるだけ新しいいものを使用しています。
付近おすすめスポットは、ドライブイン山賊なので映像を追加しました。
滝もあるし和風な感じで面白いとことろ。撮影2022夏と2023年3月
立ち絵はVoicepeak公式のものをお借りしていますおつです。 おつです。 元気なりりせちゃんすこ おやおや おっぱいのかみ おお、ええやん!! 可愛い うぽつです∩^ω^∩ 色鮮やかでよいですねー かえるさん、かわいいw ここは自分もお気に入り\(^o^)/
- 238
- 218.8
- 187.6
- 20.8
2019-02-22 00:01:02
車載 西国街道(旧山陽道) 周防の難所 中峠、欽明路峠越え旧山陽道走ってみた!つづき
関戸から多田へはだいぶ端折っています。
関戸(再訪)〜御庄(新岩国駅 裏辺り旧山陽道)〜御庄川ぞいに進み〜岩国城下との分岐 思案橋を過ぎ〜柱野〜欽明路バイパス横断(車が途切れないので旧山陽道側から来た車の方が信号ボタン押してくれましたw)
街道について幾つかしらないことを古道一人旅さんのHPで色々知りました。街道の歴史について詳しいサイトです。http://www.sakura64.sakura.ne.jp/
勉強になりますよ。^^人 感謝。
前回の小瀬峠越えから日をあたらためて、お天気の日に再度この方面を午後から走ってみたが
遅く出たらダメですねw
その2は 旧山陽道をびくびく走り中峠〜欽明峠を越えて玖珂の欽明寺まで。(ちょっと入るつもりが狭い)
帰りは祖生バイパスを通りました(少し撮影してます)いい道ですねえ。
サムネは中峠を越えたところ林道分岐。
訂正=欽明路峠から七曲りへの途中越えた高架ですが、自動車道は山陽自動車道でした(すこし先に玖珂パーキング、玖珂インターなどがある)
*玖珂には国道2号線沿いにいろり山賊砦があり(レストラン・ドライブイン)古民家とか色々移築してて面白いですよ
他にR2沿いに岩隈八幡宮や祖生(そお)には岩隈八幡の元宮が再建されて鎮座。
鞍掛山(毛利VS大内軍団の杉氏の鞍掛合戦の舞台)や比叡神社(大杉あり)などあり
欽明寺=伝説で欽明天皇が筑紫遠征し都へ帰る時この地に立ち寄られた故事による。元禅宗〜のち日蓮宗寺院。現在のお寺は昔の茅葺のお寺が延焼で焼け、近代に建て直されたものらしい。
西国街道 木野(この)〜両国橋〜小瀬峠越え〜関戸まで sm34599992左古宿川
- 231
- 10.4
- 00.0
- 00.0
2018-07-18 01:12:25
厳島神社外宮 地御前神社(もうひとつの厳島神社) 広島県廿日市市地御前厳島神社の外宮 地御前神社
今はJRが社殿裏を走り 鳥居の前は広電や国道2号線が走る。
かつては島が人が住まない時代 神官や僧侶も地御前に住み 島へ通ったと言います。
祭神や創建は厳島神社と同じと言われています。
今は時に走る電車の喧騒の中佇んでいます。
社殿は朱塗りで美しいが拝殿の横からしか見えない。
御祭神は厳島神社本社と全く同じく。
地御前神社参道は 宮内別れ交差点から北へ入り旧山陽道をゆく。
宮内串戸JR駅へ入る少し先で左折 し小さい橋を渡ったところから始まる。
墓地や町家などの狭い間を抜け小学校や大歳神社、釈迦堂の前を通り 踏切を越えれば境内。
途中には真宗のお寺などもあります。 かつては境内は広かったんだろうと思われます。
行き方
JR宮内串戸から徒歩(少し遠い)宮島街道(国道2号線)沿いに西へ歩けば行けます。
または地御前参道を西へ西へ歩く(途中何箇所か分岐あり)
広島方面からならバイパスを走らず旧国道2号線(宮島街道)沿いに
漁港を過ぎたあたりに踏切がありそこを渡たっても境内に入れる。
広電地御前駅からが公共交通だと最短距離。踏切を渡り 左に入る道がある 小学校方面わずかです。
動画の道がそれ。
祭
旧暦6月17日の管弦祭 2018年は7月29日夜満潮の頃管弦船が神社前の海へきます
初夏の御陵衣祭 拝殿で間近で舞楽など拝見できます。
観光の中心からは外れており静かですが、観光でもしお時間があればお参りください。
武・漢発コロナ大流行禍の年(令和2年)梅雨時の様子 sm37384152
地御前漁港近くから宮島の眺め sm37993318管弦祭の絵馬かなぁ
- 225
- 10.4
- 00.0
- 00.0
2017-01-21 07:47:06
韋駄天【オリジナル曲】【矢掛の風景】矢掛町のPR動画を作ってみました 地図で言うと岡山県の左下あたり 旧山陽道の宿場町だったところです 最近は倉敷の奥座敷として観光に力を入れています。やかげ観光ネットをご覧ください。→http://www.yakage-kanko.net/WELCOME矢掛へさて音楽ですが、主に自分がこんな曲を聴きたいと思うものを作って楽しんでいます。ピアノは30年以上前に少しだけ習っていましたが、もともとあまり技術はありませんし、老眼で譜面を読むこともしなくなり、その場の雰囲気で適当に弾く習慣がついてしまいましたが、これが結構楽しかったりします。楽しいことはもっといっぱいやりたいのですが、今はまだ少しずつ、できることからですね。
- 210
- 21.0
- 10.5
- 21.0
2019-07-13 20:53:03
周防國 旧玖珂郡 「祖生新宮神社、伊陸 高山寺、氷室亀山神社」日帰り参拝の旅山口県の西 周防(すおう)の旧玖珂郡 を廻りました。周防西部シリーズ
まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどる。
新緑なので旧道を少し車載してます。
「新宮神社」岩国市周東町 祖生(そお)にある古社
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうで その関係で厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。社殿奥は木の伐採や土砂が積んであり工事中のようでした。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
伊陸(いかち)は、柳井市の山間部にある集落 祖生と氷室ケ岳を隔てて南側に位置する地域
「高山寺」足利尊氏直義兄弟が各国に設けた、旧周防安国寺遺構である。多くの修行僧、行者の集う相当な大寺だったようですが 今は火災で焼失し(残念です)本堂や山門が再建されています。 木犀(もくせい)の大木と本堂裏に江戸時代の様式の庭園があるそうです(未見です)
「氷室亀山神社」氷室があったという氷室ケ岳は、周防富士と呼ばれ秀麗な山容で霊峰とされた。 氷室大権現として崇敬された。氷室神社は山の8合目の堂屋敷という場所にあったが、麓の大元の地へ 遷座さらに室町の頃 現在地 氷室池のそばに鎮座した。氷室池は遷座の頃埋められて今はない。
明治以後 亀山神社と菅原神社と合祀され現在の社号となる。
山は細い林道が通り、以前登った時、山頂には石祠が2つかな?いまもある。景色は抜群です。
サムネは周防富士 氷室ケ岳の山容懐かしい… うぽつ
- 204
- 21.0
- 00.0
- 00.0
2023-04-13 16:28:02
♫voicepeak♫ 〜 御朱印祭 2023〜 りりせ&フリモメンと行く「 岩国、下松 花の神社巡り」斎宮神社・花岡八幡編桜の開花にわせて急遽 参拝日帰り旅。御朱印はR4/1/4初詣のものであります。
EM1mark3のカメラテストしてきた。iPhone se2の写真で補完した。
動画はダメだけどSDカード今調たら写真ならまあまのがあったのでスライドでも作るかねえ。
公開予約するつもりがうっかりエンターしちまったミスった^^;
この後 大内氏の守護神妙見様 降松神社へも寄って帰りました。余力があれば桜の記録を上げたいがここも2022.1.7に御朱印をいただいている。一応ほぼできたので二十八日にあげます。下松参拝行完結。
斎宮(いつきぐう)神社=岩国市周東町西長野 国道2号線の北側の田園地帯に鎮座する古社。
大同二年創建 伊勢神宮・斎王の斎宮(いつきのみや/さいぐう)ゆかりの御社(この付近が荘園だったらしい)倭姫を祀る。今回は桜と参道入り口も見てきた。昔は椙杜八幡の摂社になっていたらしい。
花岡八幡宮
古社 花岡八幡宮 のある周防花岡は京都から下関へ至る旧山陽道に沿った、宿場町跡である。江戸時代は毛利藩の花岡宰判勘場(代官所)があり都濃郡の政庁が置かれた場所。
神社自体も今でもその社殿は相当な大きさをお誇りかつての栄えが偲ばれます。
かつては神仏習合の花岡八幡は九つの社坊を抱えた大寺院だったようです。
伝説では鎮座の時神託があり全山花に覆われたゆえ 花岡と称されたと伝わる。
和銅2年(709)創建で、周防国守の奈良東大寺大仏再建の重源上人の時代にも再建されている。
大内氏、陶氏、毛利と歴代領主に尊崇されてきた。現社殿は文化文政時代再建のようです。彫刻もよく社殿の規模もなかなか凄い。
豊臣秀吉も参詣に訪れたらしいですね。
華岳山 閼伽井(あかい)坊 (通称で花岡大師とも言われ)真言宗の寺院。閼伽井=仏や神へ供える水の井戸のことである。虚空蔵菩薩は近年建立された御本尊らしい。元々は観世音菩薩様かな。
閼伽井坊には重要文化財指定の美しい閼伽井坊塔婆=「多宝塔」が付属しているがこれは花岡八幡宮境内にある。室町時代の再建=御本尊は大日如来様。元は藤原鎌足が全国に建立した十六塔の一つと言われる。塔の映像は旧作動画の引用です。
名誉住職さんが名物和尚で昔KRYラジオなどでも出ていました。講演も聞いたことがある。うぽつです いいところだ 神仏分離はよくなかった さくらなのか おつです。 いいところですな オツです∩^ω^∩ うぽつです∩^ω^∩
- 198
- 147.1
- 189.1
- 10.5
2024-04-28 09:00:00
ニコニコ登山祭 ♪♪ 「信仰の山 小方行者山299m」〜 石佛の参道を行く 広島県大竹市大竹市の信仰の山 小方行者山。標高299m. 今回登山祭に合わせてようやく登山した山。 山頂までと探索で途中までと合わせて2回登ったわ^^;。
初稿は非公開のままだったので修正した上で再うP 長いよ。
場所はgoogleMap記載の玖波行者山の西側の小方にある山ですが、大竹市小方のゴルフ練習場もぐ太くんの西側にある堰堤から登った山。山名Google Mapには出てないね。
南側に亀居城がある。地図上の新幹線の線路あたりよりは南側で記載がない場所。真下に高速が見える。
旧山陽道の間宿・小方にある山で、聞くところでは今も神社を氏子さんが守っておられるそうです。
詳細は不明ながら元々修験道系の山のようですね。
山道が参道で玖波行者に比べ道が歩きにくい部分があったね。ルートはしっかりしている。
小方行者山 広島県大竹市小方 今も地元に守られた信仰の山でした。
撮影 LUMIX G9Pro 足元が悪いので上手く撮れなかった・・。
音楽 ニコニコモンズより ソタカ様 田中芳典様の曲をお借りしました。
広告御礼申し上げます(=^ェ^=)
龍休宗庵様
春乃あさみ ♤様
中華三振様
deco様
しづ様
nopposan様綺麗な川やなぁ おつおつ やったぜ。 exボイス+1919 SSRG ええやん おっすおっす うぽつです∩^ω^∩ うぽつ おつです。
- 192
- 2211.5
- 2010.4
- 10.5
2019-11-18 19:29:04
西国街道(旧山陽道)車載で峠越えと周防熊毛郡 呼坂(よびさか)宿の街並み風景と徳修館周防国 呼坂(よぶさか)の宿場を車載と散策しました(いくつか修正して再度上げ直しました)
玖珂郡の周防高森 高森天神前〜車載で中山峠を越えて旧熊毛郡に入ります。
高森天神前〜中山峠〜(県道142号)〜高水村塾跡〜呼坂宿散策〜安田の徳修館跡の聖堂のある公園と孔子像。
昔この県道142号は迷い込んで走ったことがありました。
正覚寺、高水村塾跡〜しばらく行くと高水駅に至る。駅からまっすぐ西へ行くと呼坂宿跡のある通りへ。
去年高水駅方面は烏帽子岳登山できています。
この高水辺りに熊毛神社論社の大歳神社があるはずなんですが見つかりませんでした。
昔の家並みも少し残っていますのでまあまあいいです。駐車場探すのが大変ですけど。
余談ですが、鶴声軒のモナカ(柚白餡)が美味しかったので後日また買いに行っちゃいましたw 店主さんがとってもいい方ですよ^^
山陽自動車道熊毛インターに近い、安田地区にある 徳修館は、江戸時代付近の三丘領主毛利藩一門の宍戸家の郷校(領内の学校)のあった場所。
史跡指定建物は聖堂(孔子や孟子などを祀ってある)で周辺は公園。孔子像は孔子の故郷の支那から贈られたもの(その頃は友好的だったんだろうね)
さらにこの安田地区から少し東へ行くと清尾地区にいたり、周南七福神の真言宗三光寺やかつては熊野三所権現を祀っていた古社の高水神社があり(いつ行きましても掃き清められていてすがすがしいです)
高水神社の奥の院が夫婦岩という影向の巨岩で三光寺から登れるそうですがまだ登拝はしたことがないんですけどね。確実登山でしょう。
徳修館の近くにに宍戸家館もあったそうで今も子孫の方が住んでおられるそうです。
近くにはラドン温泉の呼鶴温泉や三丘温泉などもありドライブがてらにいいですね。
間違えて 違うタイトル読み込み間違いしてました・・すいません ^^; 直しました。2019 春- 191
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2023-10-13 19:00:00
Voicepeak版 【日帰り旅行祭2023】防府旅2021 旧山陽道宿場町 富海(とのみ)と夕暮れの防府天満宮参拝 総集編日帰り旅祭2023参加させていただきます。長くまとめのリニューアルできずにいたがなんとか終わり。
第2作山口県防府市への日帰り散策旅。訪問時=2021年12月19日 総集編
#00:00 旧山陽道(古道)海の眺めと橘坂、手かけ岩
#05:00 旧山陽道や漁港からの景色
#07:00 国津姫神社
#07:31 旧山陽道散策 本陣跡・大和屋船蔵
#09:50 空間茶店(自然食系古民家カフェ)
#10:20 防府天満宮参道
#13:00 茶室芳松庵の庭園
#15:40 夕暮れの防府天満宮、本寺堂
防府・富海 見所紹介リスト
旧山陽道・富海宿跡(防府市富海)=橘坂と手懸岩(ビュースポット)富海漁港、国津姫神社、富海宿跡(本陣跡、大和屋政助船倉)
空間茶店=防府天神商店街スローフード、オーガニック素材の古民家カフェ
防府天満宮=日本三天神にも数えられる防府天満宮と境内風景、本地観音堂 芳松庵庭園
Voicepeak と公式立ち絵利用しています。音楽はニコニ・コモンズ(親登録します)
撮影=この時はiPhoneSE2でした。
広告御礼申し上げます
赤城山登頂記念 様
しづ 様
てスパる5 様
slave 様
ありがとうございました ^^人ニャーン いい漁港町だ きれい うぽつ うぽつうぽつー うぽつです 数年前にお参りしたな、懐かしい うぽつ うぽつです∩^ω^∩ いいですねえ なるほど 声が渋いw いい画だなあ ほんと なんてことない町並みがいいね ねこちゃーん うぽつー
- 187
- 2211.8
- 2513.4
- 42.1
2019-05-01 23:06:02
岩国市 玖珂町・千年杉の比叡神社と周東町・鮎原妙見宮 参拝記まず初日旧山陽道の小瀬川の桜を鑑賞して~関関トンネル~バイパス欽明路経由で玖珂へ
(1)比叡神社(岩国市玖珂町谷津 )昔は山王宮とよばれ805年日吉大社より勧請。
産土神として鞍掛城の杉氏や蓮華山城の椙杜氏にも尊崇され吉川公の信仰もあつかったと言われる古社。社頭の大杉は千年杉と言われ巨樹である。桜の参道も良しです。本殿までは長い石段を登ります。
(2)鮎原劔神社(岩国市周東町川上)周東町にある鮎原妙見宮と呼ばれた古社。由緒書によれば、 むかし旅の僧が妙見菩薩を感得し祀られた。この辺の山に密教寺院がいくつかあったらしい。
その後、801年蓮華山頂〜さらに蓮華山の尾根のひとつ高羅山へ遷座したという。その後麓に祀られていた劔社、毘沙門社、四天王社など三社の摂社より常は遥拝した。のち三社を下居殿として合祀。
明治に毘沙門天四天王などを廃し(仏教色を排除)本宮を劔社と合祀鮎原劔神社となる。武道に徳のある神とされる。吉川氏の尊崇も篤かったと言われる。戦後の洪水により境内が被災し往時の建物や庭も荒れ果てその後現在の形へ再建された。社殿はやはり長い石段の上にあります。
参道のきゅうそう橋という大正期の石造橋(地元の方は太鼓橋と呼ぶらしいです)が、珍しくなかなか立派です。社殿の奥に少し行くと小さい奥社があるらしい(参拝時はわからなかったので行きませんでしたが)ここが元宮かは不明。2回目の参拝。
山口県て歩くと妙見様って多い気がするんだけど?周防戦国大名の大内氏(渡来系らしい)の氏神が北辰妙見菩薩ってことも関係あるのかなとも思います。- 182
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2022-05-22 22:10:00
山口県の里山「源氏山(水晶山)」岩を巡りながら瀬戸内海の島々の展望1 (詳細版)大谷峠から登山道へ行った詳細記録版1。元は二本で上げるつもりを一本に再編したので元動画に手を入れたもの。
玖珂郡和木町 大谷地区から登山します。県境の小瀬川沿いの関が浜から小さな川沿いに遡りますと
林道で大谷地区へ抜け、
展望の岩を巡りながら海や島、山々の見える低山は大変楽しい。しかも短時間で登れました。
関ヶ浜〜大谷集会所〜大谷峠〜登山道〜採石場の上の岩〜展望の岩場〜山頂〜縦走へ〜中電巡視路の標識で大きな道へ降りる( 室の木・麻里布方面へ降りる道)〜湿地そばを抜け〜最初の大谷峠へ戻る。
→降りたところからは見えないんだが、実際は室の木方面へ数メートル行くと平家山への分岐と目印のテープが見えるが、わすれていた。
大谷ルートの集会所からだと大体15分もあれば登れます。
初めてだし景色がいいんでじっくり見て写真撮影などしたので2〜30分かけて歩きました^^
大谷地区は山の中にある
和木町の瀬田八幡宮の山の横を鉢が峰方面へ行くと蜂ヶ峰へは行かず奥へ進みますと斎場あたりを更に過ぎ、大谷地区へ至るこれが一番近かったな。
同じく和木町の関ヶ浜から妙見神社の前を川沿いに遡り一番奥で、旧山陽道往還の石碑から林道へ
狭い道を山越えして大谷地区へ至る。あの辺は廃棄物処分場があるのでトラック走るかもなぁ。
岩国市室の木(医師会病院横)から住宅を抜けると大谷林道があるがだいぶ狭い。基本農業用で規格が違う道なので普通車両の通行は遠慮してくれみたいに書かれていた。まあ知らんから走ったが・・。 のどかな林道なんでウオーキングやサイクリングの人などがいるので注意。
桜ヶ峠を通り大谷地区へ至る。ここはのんびり歩くのがいいでんしょうな次回はそうします。
またここの峠は岩国山への登山口でもある。
反省
1回作ってしまうとそこから削るのが難しい・・・引き摺られちゃうわ
ストックを忘れた・・。自分の責任で登るものなんで準備は肝要ですね
他に岩国市街の麻里布〜室の木の千日観音堂付近からも登山道があるようです。コースは法師崎のやまある記のHPを前から読んでたので参考にした。里山ガイドの「防長山野へのいざない」にも記載があるようです持ってるんだけどどこにあるやら。道に見えない 松が生えてるのね 水晶かぁ・・・、もうとれないんだろなぁ うぽつ うぽつです。 ええやん ほう おっすおっす
- 175
- 1810.3
- 2715.4
- 10.6
2019-04-07 09:04:01
<山口県神社案内>延喜式内社熊毛神社・論社 岩隈八幡宮〜岩国市周東町祖生(そお)第二稿岩国市周東町 祖生の岩隈(いわくま)山に鎮座(祖生は同じ旧玖珂郡でも山陽道沿いの玖珂町(くが)からやや内陸)訪れたのは2月(風がまだ冷たかったです)
玖珂から県道70号線に入り玖珂インターを過ぎ 途中左に通津周東線県道115号へ入り少し行くと常夜灯が山の麓にあるのでそこが参道入口。小高い山の上です。
元々は三毛入野命を祀っていたと言われのち八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の春日神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
江戸時代に吉川公により、玖珂の久重山麓へ遷座したが、祖生で災害など続き領民の願いで
旧社地へ社殿再建し玖珂の岩隈八幡から祖生へ再勧請した。
現在の社殿は明治初め再建らしく吉川公が資材を寄進しているそうです。
余談
玖珂六郡の総鎮守・玖珂の岩隈八幡は国道2号線沿い(旧山陽道沿い)に今も健在。
しかし先年宮司をされていた社家がなくなられ宮司さん不在のようです。社務所も宮司宅を兼用だったため今はありません。大鳥居の先に駐車場あり〜拝殿前まで車で入れますが道が途中少し狭い。
岩国市周東町高森の椙杜(すぎのもり)八幡宮の連絡先が案内に記載されていましたので宮司代行されている模様。
先月 椙杜八幡宮も行きましたが 椙杜荘の地頭 蓮華山城の椙杜氏(鎌倉幕府問注所初代執事・三善康信の流れをくむ氏族だそうです)により、室町時代に鶴岡八幡宮から勧請された八幡神社で、泉山という木々の茂った小高い岡の上にありました。石段が急ですごいですw 旧山陽道の街道近くです。社殿など そうとう年季が入ってましたので修復とかしたいところでしょうね。- 173
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2020-05-19 09:16:03
旧山陽道を走る〜中峠、欽明路峠 越えて 玖珂まで。2020.4柱野の小学校を過ぎた交差点のところから細い旧道へ入る〜二軒屋〜中峠5分辺りから〜欽明路峠〜七曲〜欽明寺まで。
旧山陽道は西国街道ともいう街道。山陽道の中でも欽明路峠は難所の一つだった言われます。国道2号線は難路を避けて大きく多田方面から迂回していますからね。現代はバイパスが貫通している。
標高200メートル程度の二つの峠越えのあとバイパスの上を渡り玖珂まで七曲というクネクネしたカーブの続く道を欽明寺まで降る。
昔の七曲は欽明路バイパスの建設で途切れて、現在はバイパスを橋で渡りより昔よりは緩やかながらカーブの急な新道が作られている。
七曲がり新道ですが、途中空き地へゴミが放置されてるところがありさえないです(カットしてます)
山陽道ルートに詳しいに詳しい古道一人旅さんのHPを拝見しますと昔、陸軍の車両が落ちたこともあるほどのカーブの連続だったらしいです。今もバイパスのところまで旧道が一部残るらしい。
ちなみに峠を降りたところが欽明寺である。寺院の建物は昭和になり再建された新しいもののようですが雰囲気はあります。欽明天皇腰掛石などもあるが洒落でしょうね。
バス停近くに周防武田氏の屋敷跡がある(安芸の国守護 武田氏の末裔)
中峠は雰囲気があります 急坂なため道路に(コンクリート舗装かな?)横溝が切ってありガタガタします^^; 欽明路峠は標識もないのではっきりしませんが中峠から一旦下りて登るところかと思う。
定期的に走っているのだが 今年の春4月の記録。田植えの頃また走りたいかな。
「周防なる 磐國山を 越えむ日は 手向けよくせよ 荒しその道」 万葉集
車載シリーズ https://www.nicovideo.jp/series/27367?ref=user_series旧山陽道の峠だと尾道の防地峠もお勧めしたいけど,あまり面白い道じゃないからな 今のカット離合したのかな 欽明路峠ってこんな道なのか
- 166
- 31.8
- 00.0
- 00.0
2019-09-29 11:37:02
高杉晋作墓所のある東行庵と長府乃木神社 山口県下関吉田、長府乃木神社 旧県社だそうです
下関市長府
長門二宮「忌の宮」の裏手にある。隣が武道場。
乃木は江戸藩邸に生まれその後16年間長府に暮らしました。
もともと境内地に大正三年に復元された旧乃木家があり、その後大正九年に神社が建立されたそうです。乃木夫妻の銅像などもあります。
交通安全の手作り案山子が・・・少々アヤシイですw
東行庵
下関市吉田 清水山
現在の東行庵は、明治十七年建立。
付近を江戸時代以前の幹線道 旧山陽道(西国街道)が通る山間の地区である
もともとは山縣有朋の庵無鄰菴を高杉晋作の側室 梅処尼(おうの)に譲ったもの。
高杉晋作の遺言で奇兵隊ゆかりの吉田清水山に葬る。
梅処尼や高杉の家族、奇兵隊隊士なども眠る山。
顕彰碑は明治43年建立 伊藤博文の碑文と揮毫は枢密院の杉孫七郎(周布政之助の甥)あと発起人の中に山縣有朋さんがいます(高杉陶像の少し下に銅像が建っている)
伊藤博文さんは、顕彰碑の完成を見ることなく ハルビンで無法にも暗殺されました。
石碑には漢文で文章びっしりです。僕は読めないけど^^;
碑文冒頭は名文ですよね 好きです・・・「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し・・・・」
雷電=どうやら伝説的関取 雷電爲右エ門のことらしい。
案内してくれた友人は3回ここから下関海峡ウオークで関門海峡まで歩いたとかすごい。(^^;;
夕方で御詣りと境内散策のみで帰りました。東行記念館の二階に下関市営の資料館あり(未見)
東行墓の奥にはさらに奇兵隊隊士の墓所などあるようです。
下関旅本編1 乃木さんと高杉先生をまとめてでした。
下関旅本編2では住吉神社〜関の明神、唐戸市場と赤間神宮(少し触れて)〜忌の宮へsm36349982うぽつ
- 164
- 10.6
- 21.2
- 00.0
2019-10-02 15:55:02
西国街道行く 四郎峠〜鳴川石畳遺構〜鉾ノ峠〜玖波宿西国街道行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
ルート=宮内から四郎峠〜中山の疣観音(今川了俊歌碑)〜JR大野浦(今川了俊歌碑)をいくつか紹介して鳴川手前まで車載。
廿日市市の西端 大野鳴川(なるかわ)〜石畳道〜鉾ノ峠〜唐船浜(からふねはま)〜玖波(くば)宿跡へ
大野向原あたりからさらに山へいくあたりから残念社(長州征伐の時、幕軍伝令で長州軍に撃たれた依田半蔵を祀る)経由の古道(四境の役の古戦場)ですがで山道でもありパスしてます。寂しい古戦場を一人では歩きたくないもんな。
山を超えた場合、鳴川手前の団地のあたりに出てきます
石畳道は昔の街道のもので西国街道の遺構です。峠越えはJRのトンネル上を通過しますので少しスリルがある。馬試しと言われる峠は旧道にトンネルができ、国道二号線が海側にできているので使われなくなっており通れない。
唐船浜(とうせん浜)=太閤秀吉がこの浜で外航船を作らせたとか言われます。
玖波(kuba)宿
安芸国最後の宿場(隣の小方(ogata)=休息などに使われた予備的な間の宿と補完しあっていた)
洪量館が本陣で文化人なども集い文化の華が咲いたと言い伝えられている。四境の役(長州征伐)で長州軍に焼かれ灰燼に帰す。その後再建された古民家や蔵などが残り風情ある町並みを一部まだ残している。高札場跡
- 160
- 10.6
- 00.0
- 00.0
2023-04-05 21:37:37
voicepeak りりせ&フリモメン 岩国市の古い神社巡り〜二つの八幡宮〜 初稿 岩国市玖珂町/周東町初稿 別に7月の午後の夏の絵を中心に今御朱印祭用に再度編集してるのでそれまで公開にしておく・・これは没にして差し替えるかな。いくつか入れてないものもあるしポカもあるよね。
完成したので明日上げます。修正期限に間に合わなかったぜ・・・
玖珂町、周東町の神社2社紹介 ナレーション重複あり^^;
久重山 岩隈八幡宮(玖珂)= 御朱印あり
玖珂の鎮守=祖生の岩隈八幡宮〜吉川公により元禄時代に遷座した。
のちに祖生にも御社が再興された。sm41980145
元々は三毛入野命を祀っていた熊毛宮と言われのち和銅7年八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の賀茂神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
泉山 椙杜八幡宮 = 御朱印あり
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の北側を通る)である。神社の正面入口は旧山陽道沿い。
歴史〜創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人 太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所〜訴訟裁判事務所管=初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘(すぎのもりしょう)を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。
戦国末期以降〜大内滅亡毛利へ帰順する.毛利防長侵攻に伴い杉氏との鞍掛合戦を経て玖珂郡を掌握するに至る。毛利の時代に世継ぎが無く毛利重臣 志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。後に長府藩家老へ移転する。後に藩公交代に伴い藩内の問題から長府藩を辞し本流は絶えた。
〜椙杜社は 同じ題材ながら登山祭とは編集などを変え神社動画として再編しています。
掲載映像の参拝時期と御朱印拝受時期は異なります。
どうしても尺の関係で入れてませんが付近おすすめスポットは、ドライブイン山賊ですね
滝もあるし和風な感じで面白いとことろ。
立ち絵はVoicepeak公式のものをお借りしていますうぽつです∩^ω^∩ まったくです。
- 149
- 64.0
- 128.1
- 10.7
2023-03-25 19:27:02
【voicepeak】古の伊勢斎王ゆかりの「斎宮(いつきぐう)神社」と可愛い天井絵 山口県岩国市周東町西長野斎宮(いつきぐう)神社=岩国市周東町西長野 国道2号線の北側の田園地帯に鎮座する古社。
大同二年創建 伊勢神宮・斎王の斎宮(いつきのみや/さいぐう)ゆかりの御社で(この付近が荘園だったらしい)倭姫を祭神として祀る。 令和四年 晩秋
幾多の戦乱で衰微しながら現在まで継承されてきたようです。
山口県神社誌によれば昔は椙杜八幡宮の摂社でのち独立した神社となったようです。
拝殿の天井絵がなかなかいい。本殿も良きかな。
先日動画作成にあたりGooglemapを見てみると締め柱と狛犬が西国街道沿い(県道144号)島田川の近く辺りにあり、まっすぐ神社へ参道が伸びているようです。
ただ現代は岩徳線と国道2号線が途中横切る・・。続編 sm42075344
2024.5再訪 お掃除されていました氏子のおばさんとお話ししましたら色々教えていただけました。
現在宮司さんは玖珂天神の宮司さんで、川上妙見宮と斎宮さんを管轄されてるとのこと。
祭も昔は賑わい神輿が練り歩いたそうですが今は担い手がいない為にお祭りも小規模になったそうです。
☆広告大変 恐れ入ります^^;人 感謝感謝です。
参考
斎宮=斎王の御所並びに事務方の斎宮寮から構成された。
斎王=伊勢神宮の伊勢狼に奉仕する(皇族の親王、女王が任命された)古代から後醍醐帝の頃1330年代まで続いた。
総勢60余人がこの斎王を務めた。
☆由緒書及び斎宮博物館サイトの解説参照
広告感謝感謝であります ^^;人
歴史好きな人様
蒔田様
龍休宗庵様おつ うぽつ うぽつです∩^ω^∩ 綺麗! なるほど~勉強になります!龍宗 いいですね~癒やされる\(^o^)/ おつです。
- 146
- 85.5
- 106.8
- 00.0
2019-11-04 22:40:02
西国街道 福山市松永 今津宿 高諸神社と旧神宮寺薬師寺、蓮華寺参詣 広島県福山市現福山市(旧松永町)今津は旧山陽道の宿場町で 海運業などで栄えた。松永は今津より南(海側にあり)塩田で栄えた町、塩田で薪きなどを使うので材を使い下駄の一大産地となる。
鉄道、山陽本線は松永側を通り今津は繁栄から取り残されていくことになった。
街並みは古いものはあまり残っていない気がしましたが多少はあります。
話に聞くと松永の方へ行くと対象の古い建物や共同井戸とか色々あるらしいでが未見です。
高諸神社=延喜式内社 通称おつるぎさん 古代に漂着した新羅の亡命王族を祀るものと言われる。神社は、古代の岩礁の上にあるようです 古くは船で参詣したとか。忠臣蔵の絵馬が拝殿周りにかかっている。
新熊野山薬師寺=真言宗 寺伝では弘法大師開基と言われる古刹 通称東方院 山門が印象的。
蓮華寺=真言宗 同じく弘法大師開基とされる 通称西方院 江戸時代は脇本陣を務めた。
陰陽石もあるけど雰囲気的に見に行けませんでした。寂れた?感じ。
寺院の雰囲気は大変良いです 今津の散策はこの三箇所が要ですね。
サムネ=蓮華寺- 145
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2013-02-11 17:58:39
【車載動画】岡山険道278号を走った旧山陽道は狭いですね(´・ω・`)http://goo.gl/maps/uBoeS
ひええ あー、通ったことあるなここ 1
- 144
- 32.1
- 00.0
- 00.0
2019-12-20 00:36:02
西国街道を行く 安芸と周防国境「木野(この)」里の風景(広島県大竹市)画質改良西国街道を行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
前より高画質化して若干増補改訂しました。
玖波宿、小方宿を過ぎ、(山越えで)苦の坂峠を越えますと 広島県と山口県の境を流れる小瀬川沿いにある山間の集落である大竹市木野(この)に出る。江戸時代西国街道が通り安芸と周防の国境線として渡し場があった。
小瀬川(江戸時代までは安芸国側は木野川、周防側は小瀬川と呼んだ)には今は新しく両国橋がかかり車でも渡れる。
車載でまず走り。次いで小瀬川沿いに山が迫る木野の里の景観や旧跡を見て歩いた。
木野の渡し場と古い町並み編 sm35994416
2019 早春- 143
- 00.0
- 00.0
- 10.7
2020-07-10 01:36:02
岩国市玖珂 樹齢六百年の巨樹 春日神社の大杉春日神社のご神木の大杉。岩国市の重要文化財指定。県道136号藤生上久原線の傍らにある巨樹の大杉。道路に沿い笹見川を流れるあたりにそびえる。近くに塔ヶ森の森林公園などがある。
神社は杉の裏の広場にあり小さい鎮守のようでした。
幾度か大きな台風や野焼きの火粉を受け焼けたり空洞化が進んでいるようであるが、保存作業がなされステンレスの結束バンドで固定されているが樹勢は今だ盛んである。
今回で3回目の訪問。 今回は旧山陽道欽明路峠を越え欽明寺方面へ行かず直進し祖生方面へ 行くと県道136号の交点で136号へ入り少しゆくとある。
近くに塔ヶ森があり観音堂や登山ができるようですまだ行ったことがなんですがそのうち。
最後は、春の大杉から136号線を走り途中 笹見川沿いに田園を走った田んぼの真ん中おそらく農道にて。
一面の緑の田んぼから玖珂盆地の山の景色が綺麗なので撮影。鞍掛合戦(毛利軍が後の蓮華山城から攻め下ったという)の舞台の二つの山 鞍掛山と蓮華山が見えた。
微調整して再アップ- 140
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2019-11-23 23:51:02
西国街道を行く 安芸と周防国境「木野(この)の渡し場跡」と古い街並み情緒 (広島県大竹市)画質改良西国街道を行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
前より高画質化して若干増補改訂しました。
玖波宿、小方宿を過ぎ、苦の坂峠を越えますと広島県と山口県の境を流れる小瀬川沿いの山間の集落である大竹市木野(この)に出る。江戸時代西国街道が通り安芸と周防の国境線として渡し場があった。
小瀬川(江戸時代までは安芸国側は木野川、周防側は小瀬川と呼んだ)には今は新しく両国橋がかかり車でも渡れる。
昔の街並みが少し残る通りや厳島神社、史跡の渡し場など川沿いの山が迫る独特の景観などを見て歩いた。
対岸の小瀬(岩国市)集落にはかつて一里塚などあったらしい。
今は吉田松陰「夢路にも帰らぬ関をうち越えて今をかぎりと渡る小瀬川」の歌碑が静かに流れる川を見つめている(揮毫は元宰相 岸信介)
この和歌いいですよね。 2019 早春
小瀬からは山道が小瀬峠を越えて岩国の関戸宿へと続いていた。今は新しく車道に変わり狭隘ながら車で越えることもできる 近くに関々バイパスのトンネルもできている。岩国錦帯橋、新岩国駅方面へ行くには近道になっている。
大竹の(JR玖波駅辺り)玖波宿あたりも古い家並みが少し残っているけどここの木野の方が街並みがいいですね。小瀬峠の向こう岩国の関戸へも行きましたがほとんど残っていません。 客神社や吉田松蔭東遊記念石碑、本陣の崩れかけた土塀が往時を偲ばせるだけです。- 137
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2019-02-09 00:14:01
<車載> 旧西国街道(旧山陽道)木野集落から関戸越えルート大竹市国道186号線を行き、油見トンネルを抜けた辺り〜すぐ左折し
木野(この)集落へ〜両国橋〜小瀬〜小瀬峠〜関戸まで。
歴史のある旧街道筋を走ります。
現在の道は近代になり作られたモノで旧街道そのものではない。徒歩で一部歩ける山道があるようです。かなり昔は難所だったようです。
峠は数メートル掘り下げられ現在の道が作られたようです。
関々バイパスができるまでは抜け道として(岩国〜大竹間)狭いんだが結構交通量があり、すれ違いも多く結構冷や冷やしたものです。
音量訂正しました。
御庄〜柱野〜欽明舘 sm34616606
*欽明路を越えて その2sm34670099こりゃあレアなルートをご紹介ありがとう 岸さん達筆だ こりゃあなかなか通んないルートだねぇ うぽつー
- 135
- 43.0
- 00.0
- 00.0
2019-12-08 20:12:02
西国街道を行く 海田市宿場の町並み風景と船越 岩滝神社参拝 広島県安芸郡海田町安芸郡海田町 海田市と呼ばれた旧西国街道の古い宿場町跡。広島城下から東へ最初の宿場として、瀬野川の河口にあり、西の廿日市とともに海上輸送の基地として栄えたといいます。
古い白壁の屋敷や寺院神社が点々と残り結構雰囲気がある。
今回ルートはJR山陽本線海田市(呉線乗換駅)からまず船越へ向かい初参拝の岩滝神社へ参拝した。
桜の岩滝神社〜西へ街道跡の道を進む〜旧千葉家住宅〜熊野神社(カープ奉納絵馬)〜桜木天神〜 海田郷土館(樹齢300年の大楠と古墳跡)〜春日神社〜中野の砂走り街道松〜終点安芸中野駅まで。
車道なので結構歩きやすく散策にまた行きたいです。
千葉家=町年寄などを務めた旧家。幕府や大名などの天下送り大名送りなど文書等を取り次ぐ役目も担っていたとか。本陣がふさがるなどした場合大名等が宿泊もしたそうですな。
春日神社について補足(字幕が見えずらい為)=春日神社は当時の日浦山城主小坂氏により1223年に奈良の春日大社より勧請し創建され後に安芸国人領主・阿曽沼氏により社殿が修築された。現在の社殿は大正12年の災害の後に再建されたそうです
今回の連れの山仲間のおじちゃんは、千葉家の公開日にまた歩きにいったそうです。庭園は整備が足らずやや残念だったとか。
再編集して再うP^^
海田宿の重要文化財、名勝庭園などのある 千葉家住宅(別アカ) sm38084070- 131
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2023-11-26 20:00:00
【フリモメン動画投稿祭2023】フリモメンと行く宿場町海田「千葉家住宅」と江戸期中期改修の「泉庭」の紅葉2022完全版基本は同じですが、記録として。動画、写真の増補改修完全版(長目) 間に合ったぜ
良い声のリリせちゃんはわしの中ではフリモメンの2号機です。
千葉家住宅の江戸中期に座敷等建て替えの時 1774年改修のお庭(江戸初期築庭)泉庭がある
広島県の名勝指定。座敷棟=県の重要文化財指定。
2022年11月に訪問時のもの(iPhoneで撮影なので画質はそれなり)。
この時iPhoneしかなかったので紅葉の写真が日陰のあたりは厳しいですね。
西国街道(旧山陽道)広島から東へ最初の海田宿。現在も街道の雰囲気を僅かに残す町。そこには旧千葉家住宅が現存する。千葉家は元武士で上総、下総で勢力を張った千葉氏の一族で永正年間(1504〜42年)安芸の国へ下向した。大内氏や毛利に仕えたのち毛利氏が防長移封の時に武士を止め広島城下で商人となり神保屋を起こす。
広島藩により海田宿が整備されると海田にて神保屋は酒造業などを営む傍ら天下送り、宿送りの業務に携わるとともに宿場の重要な役を務めた。
注)天下送り=幕府の公文書や荷物も運搬 継ぎ送り(広島城下及び上瀬野まで)宿(しゅく)送り=広島藩の公文書類、荷物の継ぎ送り(尾道奉行との連絡を中心)〜
家紋が蔵などにありますが=月星紋(つきほしもん)妙見信仰に関係した千葉氏の家紋。
微修正しました。
街道歩きは2019年に行ったかな 再度 海田や瀬野を歩いてみたい。
広告礼申し上げます
めし太郎 様
イルカッパ星人 様
赤城山登頂記念 様
龍休宗庵 様うぽつです∩^ω^∩ こんなにガッツリ空いてる欄間は初めて見た え?これ玄関? おや懐かしい いいねぇ 2号なんかーい
- 127
- 2116.5
- 1310.2
- 21.6
2019-10-02 19:02:02
西国街道行く 鳴川石畳遺構〜鉾ノ峠〜玖波宿,〜小方宿(間の宿)へ 総集編西国街道行く
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
ルート=廿日市市の西端 大野鳴川〜石畳道〜鉾ノ峠〜唐船浜〜玖波(くば)宿跡〜黒川を経て
小方(間の宿跡)までのロングバージョン
石畳道は昔の街道のもので西国街道の遺構です。峠越えはJRのトンネル上を通過しますので少しスリルがある。馬試しと言われる峠は旧道にトンネルができ、国道二号線が海側にできているので使われなくなっており通れない。
玖波宿=安芸国最後の宿場(隣の小方の休息などに使われた予備的な間の宿と補完しあっていた)
洪量館が本陣で文化人なども集い文化の華が咲いたと言い伝えられている。四境の役(長州征伐)で長州軍に焼かれ灰燼に帰す。その後再建された古民家や蔵などが残り風情ある町並みをまだ残している。
間の宿(あいのしゅく)=正規の宿場本陣などがいっぱいの場合、脇本陣などへ宿泊をさせたそうです。
厳(いつき)神社=厳宮(ごんのみや)大明神と呼ばれた古社。かては福島正則の亀居城本丸あたりにありましたが廃城となり妙見丸跡に遷座された。城が忘れさられても社は今に残りました。
その昔、厳島のお島周り式(島を回り七つの浦の神社で神事をする)御烏喰式(おとぐい)式というのがあり養父崎で団子を筏で流し神烏(おがらす)が取りに来るんだそうですが現れない場合は、厳宮(ごんのみや)出しといいこの宮の前まで船で漕ぎ出して拝したと言います
前の動画と玖波宿のところが被りますが、宿場と間の宿の相補的関係があり振り返りながら1本にまとめました。- 121
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2023-11-23 22:31:02
【フリモメン動画投稿祭2023】フリモメンと行く宿場町海田「千葉家住宅」と江戸期中期改修の「泉庭」の紅葉2022抜粋上書き完了。今増補改訂に入ったけど間に合えば完全版も上げます
明日から三日仕事なんだよなあw 厳しい?
千葉家住宅の江戸中期に座敷等建て替えの時 1774年改修のお庭(江戸初期築庭)がある。
泉庭=広島県の名勝指定。座敷棟=県の重要文化財指定。
見学は第2、第4土曜前日からの4日間(音声は正しいが、字幕間違えてた^^; )
後半プロジェクトが消失したのでこのままいく。
2022年11月に訪問時のもの(iPhoneで撮影なので画質はそれなり)。
この時iPhoneしかなかったので紅葉の写真が日陰のあたりは厳しいですね。
西国街道(旧山陽道)広島から東へ最初の海田宿。
現在も街道の雰囲気を僅かに残す町。そこには旧千葉家住宅が現存する。千葉家は元武士で上総下総国、で勢力を張った千葉氏の一族である。永正年間(1504〜42年)安芸の国へ下向した。大内氏や毛利に仕えたのち毛利氏が防長移封の時に武士を止め広島城下で商人となり神保屋を起こす。
広島藩により海田宿が整備されると海田にて神保屋は酒造業などを営む傍ら天下送り、宿送りの業務に携わるとともに宿場の重要な役を務めた。
注)天下送り=幕府の公文書や荷物も運搬 継ぎ送り(広島城下及び上瀬野まで)宿(しゅく)送り=広島藩の公文書類、荷物の継ぎ送り(尾道奉行との連絡を中心)〜
家紋が蔵などにありますが=月星紋(つきほしもん)妙見信仰に関係した千葉氏の家紋。
尺とニコニコの動画祭期間の時間の関係上写真中心で短めに。
〜広告御礼申し上げます ^^;人〜
龍休宗庵 様
nanashinogonbei 様
nopposan 様
イルカッパ星人様
めし太郎 様え、あの千葉氏なのか おつ 妙見って言ってるから「あれ?」って思ったら、千葉県の千葉氏と関係あったのか 大胆で躍動感があっていい 2号なん!? おつです。 おツンツン 思いっきり地元 うぽつです∩^ω^∩ おつ うぽつ
- 120
- 2117.5
- 2420.0
- 21.7
2024-03-26 10:48:02
Voicepeak ♪ ♪安芸路巡り「早春の旧山陽道 木野(この)の渡し場跡と中津原の古い町並み」 広島県大竹市木野中津原Voicepeak版 旧山陽道(西国街道) 木野(この)の渡し場跡周辺と街並みの風景。
旧型ですが^^新しいカメラのテスト。
前半、終盤 Voicepeak解説 中盤は字幕とBGM (歌唱入)で構成なので音声ガイドなし。
安芸国(芸州藩)と周防(長州藩)の国境線。船の渡し場があった場所。武士は無料、人は2文、牛馬4文
節約する旅人用に徒歩で渡る浅瀬もあり徒渡りの瀬=70cmほどの水深があったらしいです。
昔々は小瀬川(木野川)周辺は、川船を利用した物資集積地で山間部、沿岸部の物産が行き来した物流の中継で栄えた商業や味噌醤油、酒の醸造も行われ各地へ販路を求めて運ばれた。
また木野や対岸の小瀬など小瀬川周辺は優良な和紙の生産で栄えた地域ですね。
大竹歴史研究会のサイトを見ますと多い時は40艘余りの川船が行き来していたらしいですね。
木野1丁目(中津原)周辺は小瀬川(木野川)の土砂が堆積してできた土壌のようですね。
やや上流は木野2丁目で上木野と呼ばれた。
細かい歴史的なものは大竹歴史研究会の解説を参考にしています。詳しいサイトです。
撮影 Panasonic LUMIX G9 Pro /LEICA DG- VARIO ELMARIT12m-60mF2.8-4
4K撮影。
音楽がニコニコ関連限定なので、ニコニコバージョンです。おつです。 うぽつ いいところだ へぇ
- 119
- 1310.9
- 86.7
- 00.0
2020-02-11 15:08:03
下関旅2一宮 住吉荒御魂神社と関の氏神・亀山八幡、長門二宮・忌宮神社へ住吉荒御魂神社〜亀山八幡宮他〜忌宮(いみのみや)神社〜豊巧神社(とよこと神社)と満珠島干珠島の眺め。他 唐戸市場、赤間神宮周辺へ少し立ち寄りました。
住吉荒御魂神社(長門一宮)
住吉大神(住吉三神、竹内宿禰、応神天皇、建御名方)を祀る日本三大住吉神社の一座。社殿は室町初期の大内弘世の建立で国宝である。拝殿は重要文化財。なんと20年ぶり2回目の参拝でした。
亀山八幡宮=関の氏神とよばれる下関の総鎮守
旧山陽道の街道沿いに面し関門海峡を見渡す高台にある。八幡宮である。下関の鎮守。関門海峡を一望できる大変景色がいいところである。社殿は新しい感じでした。ふく(河豚)の像はでかい。
唐戸市場、下関の近代の古い町並み、赤間神宮至近。鳥居の扁額には野球ボールが挟まって落ちないので落ちない・・と縁起を担いで一部で信仰されるらしい。すぐ下が唐戸市場。
忌宮神社(長門国二宮)
御祭神=仲哀天皇 神功皇后 応神天皇を祀る古社。日本書紀の伝説では豊浦の宮跡と言われる。
境内には鬼石と言われる石があり、新羅軍を率いて攻めてきたジンリンという鬼人の首を埋めた封印した場所とか。これに絡み数方庭という奇祭がある。周防灘に浮かぶ満珠、干珠島は飛び地の境内樹林は天然記念物。
鶏や烏骨鶏が歩いてる。なお鳩がいっぱい注意です餌を求めて群がってきますw
豊功(とよこと)神社=長府毛利家祖の毛利秀元公(秀元の父君 穂井田元清)以下歴代藩主を祀る神社(元は忌宮境内に祭祀されていた)この近くには昔、串崎城があり(一国一城令で廃城になり代わりに居館が建てられた)また、もともとこの地には串崎八幡宮などがあったらしいそれらを合祀したもののようです。初日の出の名所。満珠、干珠島が遠望できます。社殿は再建です。
少し手直しした。
下関旅本編1 乃木さんと高杉先生をまとめて。乃木神社、東行庵風景 sm35746193
令和元年9月の記録綺麗な屋根
- 119
- 10.8
- 10.8
- 00.0
2023-03-17 23:06:04
♫♪Voicepeak☆★【彩澄りりせ&フリモメンと行く神社巡り3】~西国街道~ 玖珂天神 「菅原神社」 山口県岩国市玖珂町Voicepeak神社巡りその3 岩国市玖珂の玖珂天神こと「菅原神社」
西国街道(旧山陽道)沿いの県道に面した神社である。
歴史は江戸期に遡り 大庄屋岡氏が屋敷内に奉斎していたものを玖珂総鎮守旧県社岩隈八幡へ遷座さらに
明治時代に岩隈八幡宮御旅所へ遷座したもの。
もみの木や榊の大木があり市の文化財指定されている。梅の木も鳥居周辺にあるけど少ないかな。
この辺りは、戦国時代 毛利と大内方の玖珂周辺争奪の戦いが行われた場所でもある。
神社案内ガイドは彩澄りりせちゃん(voice peak)さんとフリモメン兄貴です。音声案内は最小限にとどめております。
神社入り口周辺に梅の木はあるんですが初冬なので葉が落ちています。
前に2月梅の頃の動画を上げてたんだけど・・どうも整理したとき消しちゃってたわ。
HDにもデータがないので初冬の風景のみです。
こまめにプロジェクト保存しないとたまに落ちたり、自動保存はしてくれない注意だよん。おつです。 おつ! 梅の木無いのね? うぽつ!
- 118
- 65.1
- 86.8
- 10.8
2021-12-26 23:44:02
日帰り旅 山口県防府「防府天満宮の門前町」1 防府天神商店街〜毛利公寄進の大鳥居前まで【町家カフェで空間茶店で一服】防府天神商店街〜天満宮門前まで【町家カフェで一服。動画の半分はカフェの紹介】旧山陽道の町富海を散策後〜 JR富海駅(旧山陽道の橘坂〜本陣跡の門などを見て国津姫神社参拝 後)から次の防府駅へ。松崎天満神とともに発展した商業のまち。今も賑わう防府天満宮へ。
防府銀座商店街〜天神商店街へ 朝から何も食べていないので、町家を利用した古民家カフェで大休止(昼食)長くなるのでひとまず、天神さま大鳥居前まで到達。
日本で最初に菅原道真の霊を祭神とした神社とされる。当時の国司が土師氏で菅原氏と同族だったことと太宰府に流される前に立ち寄りもてなされてしばし滞在された歴史もあるようです。
空間茶天=天神商店街の天満宮に近いあたりにある。オーガニック野菜や米、昔ながらの純正食品の伝統製法の調味料を使ったカフェ。町家を利用しているので懐かしいい感じの店内である。ゆったり時間をもって訪れたいもの。ランチやドリンク(ケーキ類、やパフェ、有機コーヒー、のほかソフトドリンクもなかなか凝っている)
この後、其の2=黄昏近い防府天満宮界隈を散策参拝します。
音楽(ニコニ・コモンズより拝借)
のる様作
坂道のカフェ。.*:+☆軽快でおしゃれなピアノソロ
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
日帰り旅 山口県防府「防府天満宮の門前町」2防府天満宮参道、庭園、酒垂神社まで sm39825040
旧山陽道 防府市富海(二)旧山陽道散策 富海漁港、本陣跡など sm39780333
旧山陽道 富海(一)橘坂とて手懸岩の海の眺め sm39772962- 117
- 10.9
- 10.9
- 00.0
2022-06-29 00:11:02
【ゆっくりボイス】日本酒の町〜酒都・西条2〜日帰り旅散策「西条酒蔵通り」(旧山陽道)〜ゆっくり〜広島県東広島市西条 広島の酒都西条 ゆっくりボイス系動画お初です^^
伏見、灘と並び三大酒どころとも言われる。蔵元は駅近くの酒蔵通りに集中している。
☆御建神神社と酒造りの鎮守松尾神社sm40708776
西国街道(旧山陽道)に沿って並んだ酒蔵は見事で散策にもってこいです。
西条は江戸時代は四日市宿駅と言われ村としては、次郎丸村と言われた。
明治以後合併で西条・・現在は東広島市である。
本陣(御茶屋)跡は門のみで昔の資料をもとにした再建です。
ウィキペディアの解説や白牡丹酒造の解説、酒蔵通りの解説を読んでいくと
安芸津町(いくつかの地区が合併した。三津)の蔵元三浦仙三郎により
軟水醸造法が開発され初めて安定したいい品質の酒が作れるようになった。
また杜氏集団を教育し広島杜氏の故郷のような場所です。
醸造法の公開とこの杜氏により技術が広がり西条、安芸津、竹原などで安定した品質の酒造が盛んとなり名酒が作られていく。西条などでも新技術の杜氏集団が形成されていきやがて西条、安芸津の組合が発展解消し広島県の杜氏組合となる。
軟水醸造法〜のちの吟醸酒へ発展していく基礎となる。
最近は賀茂鶴のワンカップ純米よく飲みます^^まあ年に数回なんですがね。普段飲まない。
ただ賀茂鶴のね日本酒の梅酒は今度買いたいなあ味が気になる。
R41.7日に日帰りの旅。
*みなさま 広告恐れ入ります^^;
酒や西条に関しては詳しく知らないので以下
wiki西条、酒蔵通りなどの解説部分、東広島市HP,酒蔵通りに置かれた解説、賀茂鶴、賀茂泉、白牡丹などなど酒造会社サイトの記事などを参照一部利用しています。おせわになりました^^;人
ボイスは ゆくも!サイトを利用させていただきました。頑張ったお
使用音楽 ニコニ・コモンズ
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
すてきな一日。.*:+☆軽やかなスウィング・ピアノ作者名:のる様
halfway through one's journey作者名:don様甘旨とキレ旨な酒が「お向かいさん」なのが西条の不思議w うぽつです さすがデカい本陣 お~いいな行ってみたい 煙突いいなぁ 寒そうな赤い実やね 西条!
- 115
- 1210.4
- 1513.0
- 10.9
2020-05-16 22:19:02
令和2年 緊急事態宣言・自粛で静かな【 新緑が映える錦川 錦帯橋と吉香公園風景】 記録 山口県岩国市新緑の色映る錦川を散策した記録。錦帯橋を渡り吉香公園へ。
緑が濃い清流と五連の名橋。
私の定番コースで大竹市の186号線でゆうみトンネルを抜けたところ木野集落から入り
旧山陽道の小瀬渡し場跡の新緑、小瀬川の流れと吉田松陰の歌碑〜錦帯橋と錦川の清流、古社の白山神社、吉香公園の風景など
この時期は城山が若葉で埋まり錦川に映えますな。
2020 .5
田舎でもあり十分な空間があり固まらず、人と密接な接触をしない、マスクなしで喋らない。人がいればマスクをする。食事にしゃべらない。洗わない手で目鼻などを触らない。自他の安全を配慮すれば場所にもよるが、散策など体で動かせます。
京大藤井教授らの提言されるレジリエンス実践ユニットの半自粛方針を支持します^^
*R2年 錦帯橋周辺 岩国城下 吉香公園の秋を探して sm37700712
岩国市美川町根笠(Mikawachou Ngasa) 国天然記念物指定 岩屋観音窟 sm37522898
小さな鍾乳洞にあり木造でありながら石仏になった古い観音様です。
寂地峡(Jakuchi kyou)滝と自然観察路B(合成音声ガイド入り)sm37527628
岩国市錦町宇佐(旧玖珂郡錦町)県名勝 西中国山地国定公園内。綺麗な橋だなあ やるやん 懐かしい うおおおお 岩国城ー KANTAIKYO 感動 いいおと 偉人 松陰先生 跡地って歴史あるな へぇ おお この道知ってる 向こうは広島か 懐かしい のどか いいねー 岩国出身です!この動画出してくれてあざす
- 112
- 1917.0
- 00.0
- 10.9
2022-07-31 09:05:03
高照寺山麓 祖生(そお)新宮神社、長寶寺(創建1200年)岩国市周東町祖生(旧玖珂郡周東町)一分弱登山動画祭であげた氷室ヶ岳の関連として山向こうの祖生(そお)を散策します。
山口県の東部の周防(すおう)旧玖珂郡を廻りました。
この日の行程〜まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどりました(これは毎回定番コースです)新宮神社、長寶寺を回り〜この後先に動画をうpした藤生の松巖院へ行きました。動画は新宮神社から〜
新宮神社」
岩国市周東町 祖生(そお)にある古社。社殿の姿が大変いいです^^
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。
かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうでその関係で大内氏の名により源宗光が厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。
江戸時代は吉川氏の祈願所だった。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
洪福山 長寶寺(ちょうほうじ) 観音霊場の 創建1200年は経つと思われるの古刹
行基菩薩が行脚中に高照山中の高所に補陀落に似た場所を見つけ観音菩薩像を彫り祀ったことから
始まった縁起がある。創建時は密教寺院で大同年間の記録などもあるようです〜1338年普明国師により臨済宗に変わり中興されたが江戸時代古い伽藍を焼失したのち現在地へ寺院を降ろしたということです。
山門をくぐると大変見晴らしのいい境内があり本堂がある。
一段高い場所に観音堂があり、十一面観音菩薩を祀る。
周防三十三ヶ所観音霊場二番。この霊場は大内弘世が勧請した霊場で古いものである。
霊場のHPによれば観音菩薩像は見た感じから藤原期(平安時代)の作ではないかとの記述もあった。
33年毎開帳の秘仏で明治以後は7年ごとにのみ開帳されています。
周防33ヶ所観音霊場、長寶寺サイト参照。
修正機能試してみた いいね^^いいですね~~\(^o^)/ オンロケイジンバラキリク いい彩になってそうだw 母方の実家の傍の山によく似てらすな うぽつ~
- 106
- 54.7
- 76.6
- 00.0
2021-08-23 09:20:02
【巨樹の風景】 旧厳島神社兼帯(けんたい)社「宮内天王社」と社叢 夏の終わりに宮内天王社(みやうちてんのうしゃ)と社叢の風景。ムクロジ(字幕は打ち間違えてます)、イヌマキ、イチョウ、モミ、ケンポナシなど・・大木が多い鎮守の森。
旧西国街道沿いである。元来は海岸近くにあったが、天正年間に津波災害で現在の宮内へ遷座した。
社叢に現在の残る何本かの巨樹大木は鎮座後に人により植えられたものらしい。
神武天皇東征時に海岸近い元宮のあたりに立ち寄ったという伝説があり天王宮と云われたという。ただ八坂神社と称したところを見ると元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だったのではないかと思うんだがどうだろうか(詳細は不明)
主祭神=素戔鳴命、神武天皇のニ座 と相殿神がある。
祭祀は廿日市天満宮により兼務で行われています。
明治後は八坂神社と改称したが戦後昭和44年頃 氏子の希望で宮内天王社へ社号を再度改称した。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社厳島神社 旧兼帯七社 〜江戸時代まで兼務の社が7箇所あったらしい、速谷神社(速田神社)、廿日市の大頭神社や大竹市大瀧神社、広島市祇園の安芸津彦神社、三翁神社、府中の惣社(今の多家神社の元になった神社の一つ)
祭祀を厳島神社の祀官が行い社殿などの修築も厳島神社が賄った。境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。御手洗川沿いあたりは大体 旧山陽道にあたるらしい。風情はありますよ。
廿日市市宮内は県道30号線が走り県道と御手洗川がぶつかる所の旧道を少し川沿いに遡ると参道入り口がある。ちょうど交番のところを入れば良い(交差点のところには島根県吉賀町の柿木村アンテナショップがあるがオススメw)駐車スペースが細長く狭い。
*同市内 県指定天然記念物津田の大カヤの木と真幡神社 sm39209336
*宮内天王社 紅葉途中の頃 sm37905347(この頃はムクロジに苔がないな)
使用音楽 のる様作(ニコニココモンズ)1雫~優しく穏やかメロディックな ピアノソロ2KANADE~ゆったりリラックス系 ピアノソロうぽつです
- 106
- 10.9
- 21.9
- 00.0
2020-06-03 21:47:02
<広島県の神社> 天照大神を祀る 廣田神社 廿日市市串戸広島県の西部にある廿日市串戸 藤掛山の山腹に鎮座する 廣田神社。西国街道沿いの宮内村下組の氏神だった古い神社。広島藩の通史芸藩通志に記載されている。
御祭神=天照大神 鉄筋コンクリート製で吹き抜けの拝殿が再建されていました。
境内には稲荷社 御免石(藤掛山遷座したとき社頭にあった岩で参拝者は昔から「御免なさいませ」などと挨拶して 通った故事による)などある。
桜が植えられている境内から広島湾、宮島などが眺められる。
元は御衣尾山の山麓にあり、宮内〜地御前へ流れる御手洗川の瀬替えでこの山の谷に移転(現在そこには御旅所跡の石碑が残る川のそばで山のようなものは現在はない)さらに宝暦年間社殿焼失したために宝暦十二年藤掛山の現在地へ遷座した。
参道入り口の由緒書きによれば、現在の社殿は藤掛山が開発された時、再建されたものだそうです。 戦国時代は桜尾城の支城=藤掛城があった藤掛山〜現在住宅開発や道路建設で団地に大きく姿を変えています。旧山陽道の街道は藤掛山が大きく迫り出していたので海側は通行できず街道は山側を抜けて宮内へ向かっていたそうです。
また麓の東側には下平良(へら)地区の氏神 新宮神社(藤掛城の元 鎮守社)がある。
JR宮内串戸駅、広電宮内駅近く。- 102
- 00.0
- 11.0
- 00.0
2019-09-28 09:44:01
西国街道旧跡 小己斐島(旧小己斐明神)広島市西区井口明神西国街道沿いにある 小己斐島 小さな島ですが埋め立てられた商工センター内の公園の池に残る。
古には刻印の明神と言われ 平清盛が鈴が峰山できを切り出し厳島神社建設場所へ運ぶとき刻印を打った場所とも言われている。もともと市杵島姫を祀っていたとも言われる。
西広島の己斐にある旭山神社(八幡宮)を分祠し小己斐明神と称された。子授けの子乞い明神など
とも呼ばれたらしい。
小己斐明神は参拝したんですが井口大歳神社境内に遷座して合祀されている模様。
大木のある地元の素朴な歴史のある氏神でいい感じでした。
かつては夫婦島で女明神&男明神の二つの小島があり 今は男明神島のみ残る。
両部鳥居がかつての信仰の跡を残す。
街道筋の名所の一つだった。干潮時には西国街道を行く旅人は山越えを避けこの辺りを歩いて迂回もしたという。
池は海水の池なのでボラなどがいます。- 100
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2019-09-30 23:48:01
西国街道を行く 廿日市市大野 向原の石畳と九州探題今川了俊歌碑西国街道廿日市市 大野地区にある 向原の石畳(復元)を歩いてみた。
昔の西国街道の姿を少しだけイメージできます。
宮島に一番近い温泉 宮浜温泉の駐車場に停めて歩きました。
実物の石畳遺跡は保存のため埋め戻されています。
背後の高い山は経小屋山 古代の防人が一切経を守護神に祀ったからとと云われます。
また、街道の石畳の実物ですが、ここから少し先の鳴川の鉾ノ峠ヘ向う山の入り口のところにはそのまま残っています。
今川了俊(貞世)の歌碑
遠州今川氏の祖で、足利三代義満に仕えた。九州探題として九州の南朝方を駆逐する司令官となる。
優れた歌人でもあり、九州へ赴くときに西国街道通り、各地で歌や紀行文を残している。
『道ゆきぶり』がそれです。また自らの体験を記した「難太平記」なども表した。
廿日市には今川了俊の歌碑があと2箇所有ます。- 97
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2020-07-03 12:13:02
<山口県の神社案内> 令和2年1月 防府天満宮へ初詣と旧山陽道 宮市宿と観音堂令和2年1月 防府天満宮への初詣 記録整理。正月休み明けの頃なので人は少なめ。あいにく曇天の中 防府駅から歩いて天神の門前の宿場町である「宮市」へ回る。
宮市観音堂、蓮華カフェ〜天満宮〜境内の春風楼〜庭園の入り口にある暁天楼と御神木。
宮市=西国街道が走る防府天満宮(松崎天神)門前にある町。かつての宿場町として栄えた。 自由律俳諧 山頭火なども宮市の商家の出であった。本陣跡が一部今も残る。
萩から続く萩往還が重なる区間であり、天満宮の門前鳥居前で萩往還は山陽道から分岐 南へ向かい港や公式の茶屋英雲荘のある三田尻(毛利 水軍の拠点でもある)へと続く。
宮市観音=寺の開山和尚が観音信仰に篤く、あるとき宿泊した旅の僧が背負っていた荷を置いていったというそれが観音像で恵心僧都が彫ったとも言われているそうです。初めてお参りしました。
蓮華カフェ=自然派かふぇでオーガニック食材なども販売していた。天神さん門前にある。カレーは菜食カレーでベジタリアン仕様 カフェメニューもある。カレーとコーヒーをいただきました。
ちなみに天神商店街にも空間茶天というオーガニックカフェがありますのでそちらもいい。
暁天楼=宮市にあった維新の志士も泊まったという旅籠の建物を移築したものだったが 老朽化で子孫の方が復元再建して寄進したという。奥にくすの御神木がある。
この場所は旧社坊圓楽坊跡で奥には天満宮が近年建立した日本庭園と芳松庵という茶室がある。- 80
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2021-03-03 18:30:03
【 西国 街道 】木野「大元神社」と旧跡「太閤さんの振舞い井戸」 〜広島県大竹市木野(この)〜江戸時代の官道〜旧山陽道(西国街道)沿い木野(Kono)集落。街道沿いの二ヶ所の小さな旧跡を訪ねた。大元神社と太閤の振舞い井戸。
小瀬川沿いに面した川にせまる急な山に囲まれた場所。大竹の御薗〜苦の坂を越えた街道は、やや川下の「木野の渡し場」へと続く。今は両国橋がかかりかつての国境線を繋いでいる。
*ちなみに小瀬川は江戸期までは木野川(芸州藩)、小瀬川(長州藩)で名前が違っていた。
この辺りはよく通るので、久々に登ってみた。神社も井戸も交通量も多く車だとそばには止められないのでやや不便。 高速道路、山、川に田園、風景にそこはかとない風情を感じます。
この後は、県境を越え錦帯橋へ臥竜梅など梅の花を拝見に行きました。バテた^^;
臥竜の梅〜観梅と吉川公菩提寺 洞泉寺 sm38335880
大元神社=上木野の鎮守。天正年間以前の勧請だそうですので眼下に西国街道を長く見守っていたと思われる御社。急な山の山腹にあり長いスロープと石段がある。明治期に二度河川氾濫のおり土石流が社殿の両脇を流れ落ちた。祭神=国常立尊を祀る。厳島神社の摂社「大元神社」を勧請したと思われる。木野神楽団の根拠地。訂正〜参道修復碑をよくみますと狛犬→唐獅子のようです。
太閤振る舞い井戸=地元で云う「つぼかわの井戸」の別名。九州征伐の折(または文禄の役の折にもか)と思われるが、山陽道を進む軍勢がこの地で休息、太閤秀吉に里人は井戸の水で湯を沸かし茶を点て振る舞ったと云い、太閤はことのほか上機嫌に喜んだという故事に因んで呼ばれる。飲料水、田畑への灌水と長く里を潤してきた井戸は今も守られている。大竹歴史研究会記事参照。
やや川下の同県道沿いに駐車スペースがありました。
またやや川上の県道沿いに「苦の坂」入り口(古戦場跡入り口)「ちきり神社」(油見トンネル木野側出口)がある。川下〜木野渡し場跡の広場。両国橋の向こう側岩国市に吉田松陰歌碑。- 78
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2020-07-04 10:05:03
旧山陽道 旧道 欽明路峠を越えて七曲手前まで欽明路峠越え車載 梅雨真っ只中の中の休日 6月末に(緑が濃いですなぁ)記録。
まだまだ梅雨は続きます。
二軒屋地区〜中峠〜欽明路峠を越えるところまで。
標高は200mくらいらしいです。
玖珂方面に行くときバイパスがしんどいなあと言うとき たまに走りますが今回は対向車もなくて良かった。
ちょいとだけ高画質で。- 78
- 00.0
- 00.0
- 00.0
2022-07-02 09:48:04
【ゆっくりボイス】日本酒の町〜酒都・西条1 御建神社と酒造の守護神 松尾神社参拝記〜ゆっくり〜広島県東広島市西条 広島の酒都西条 ゆっくりボイス系動画お初です^^
酒の町西條の神社編です。酒蔵通り sm40692643
伏見、灘と並び三大酒どころとも言われる。蔵元は駅近くの酒蔵通りに集中している。
西国街道(旧山陽道)に沿って並んだ酒蔵は見事で散策にもってこいです。
西条は江戸時代は四日市宿駅と言われ村としては、次郎丸村と言われた。
明治以後合併で西条・・現在は東広島市である。
最近は賀茂鶴のワンカップ純米よく飲みます^^まあ年に数回なんですがね。普段飲まない。
ただ賀茂鶴のね日本酒の梅酒は今度買いたいなあ味が気になる。
R41.7日に日帰りの旅。
*みなさま広告恐れ入りますです^^人
酒や西条に関しては詳しく知らないので以下
wiki西条、酒蔵通りなどの解説部分、東広島市HP,酒蔵通りに置かれた解説、賀茂鶴、賀茂泉、白牡丹などなど酒造会社サイトの記事などを参照一部利用しています。おせわになりました^^;人
*教善寺に関しては広島ぶらり散歩のHPの該当記事を参照させていただいています。
詳しいサイトですよ
ボイスは ゆくも!サイトを利用させていただきました。
使用音楽 ニコニ・コモンズ
坂道のカフェ。.*:+☆軽快でおしゃれなピアノソロ
作者名:のる様みゆきち!こんなとこに… ラカンノランマ 羅漢の欄間
- 76
- 33.9
- 1114.5
- 00.0
2020-04-15 19:11:03
西国街道(旧山陽道)沿いの 旧村社 新宮神社 広島県廿日市市新宮旧村社 新宮神社 元々は傍の藤掛山にあった桜尾城の支城=藤掛城の鎮守として祀られた御社。しかし藤掛城は陶晴賢に攻め落とされた。後に永禄年間に地元で熊野新宮から祭神を勧請され下平良の鎮守としたと言われている。今でも本地仏の懸け仏が祀られている。
平良(へら)と廿日市南東部の地域は、延喜式内名神大社 速谷神社などがあるエリアで古代山陽道の「へら」駅家があったとされるあたりでもある。
今は住宅街になっており 藤掛山も開発され団地や道路が走る(西広島バイパス〜木材港下りる道路がある)麓の海側も旧国道2号線宮島街道が通る。昔はこの山のため山陽道は海のそばを通れずやや山側を宮内村へ抜けていたらしい。
廿日市天満宮hp記載の縁起によれば江戸時代廿日市天満神(旧天神坊)が廿日市の鎮守とされ新宮社の祭神も勧請し、ここを御旅所としたそうです。今も廿日市天満宮が祭祀を続けているようです。
いつお参りしても綺麗に箒の掃き跡があり 手入れがされ花が植えられ公園のようになっている。いこいの空間的な旧村社である。古木にはしめ縄がされ神木として鎮守の森も守られております。
近くへ行ったので花の頃でもあり参拝しました。初夏の匂いがもうしています。
帰る前に近くの 厳島神社外宮のある地御前の海から宮島を眺め帰りました。- 73
- 00.0
- 00.0
- 00.0