タグ神道を含む動画:33件 1ページ目を表示
2024年4月29日 06時22分に生成された05時00分のデータです
2018-12-31 00:21:02
神社建築してみたギリ年内に間に合った。信仰心を高めるため自宅に神社を建立しました。初詣は近所の神社に行こうと思います。
お借りした音楽→ sm32809030 sm23430127 sm28292343 sm30940324
追記:たくさんの再生コメントマイリス、そして広告ありがとうございます。超驚いております。 神棚コメ→その手があったか 。 邪神・悪霊コメ→そうならないよう丁重にお祀りします。すっげー(子並感) 出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出雲出 だいぶ浮いてるけどww バルスはだめでしょww ワイルド wwwwwwwwwwww...
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2018-12-30 14:38:50
【海幸山幸の詩 #35】日本文化の神髄「大麻」~戦後初めて三重県で栽培・奉納[桜H30/12/30]八百万の神が息づく森や海に様々な形で関わりながら、それらを守り続けている人々を葛城奈海が紹介し、自然との共生や伝統文化を含めた国の守りについて考えていきます。
今回は、平成30年4月5日に三重県から神事用大麻の栽培認可がようやく下りて大麻栽培が始まり、12月14日に県内2神社に精麻を奉納したことを受け、大麻農家の谷川原さん、伊勢麻振興協会の新田均教授などを訪ね、1年目の苦労、課題、意義などをお伺いする。
案内人:葛城奈海
出演:
谷川原 健(大麻農家)
新田均(皇學館大学教授/一般社団法人「伊勢麻」振興協会理事)
日紫喜康史(多度大社 権禰宜)
岩崎均(椿大神社 権禰宜)
※24:45頃に表記した名前は誤りでした。訂正し、お詫び申し上げます。
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます
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http://www.ch-sakura.jp歴史・伝統を守る為にすごい努力されているのですね。頭の下がる想いです。 三重の宝 有難う御座いました 桜教育テレビ へー 新田均さんといえば・・・・「パチのり」との女帝論争をおもいだす
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2018-01-16 00:23:25
【神道シリーズ】第一回・朝鮮半島と日本の古代神祇信仰(倭人とは?)この神道シリーズは私個人の推測ではなく、あくまで今日本の古代史学会や考古学学会などの学者の意見が向かってる方向を分かりやすくまとめてお伝えする形で進めて行こうと思ってます。第一回は、倭人についてですが、倭人とは紀元前5世紀頃から中国江南地方の呉という国から難民になった人たちが、古代中国の鬼神信仰や社稷信仰、そして道教神仙思想や陰陽五行思想なども携えて朝鮮半島および日本列島に移民してきた人たちのことで、日本列島はその後、朝鮮半島からの移民が続き、その中で古代神祇信仰を形成して行きます。専門的意見のアドバイスを歓迎しますが、無内容な断言・レッテルはすべてNGにします(タグも含めて)
学会の意見じゃ参考にならない感じなのかな? ウミガメじゃねーよワニ(サメ)だよ 海水面が下がってたんだろ 氷河で繋がってた?は? 復習 民間信仰的仏教と言われているものかwww 物語と事実を混同している所が痛いなw 古モンゴロイドと新モンゴロイドの違...
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2018-07-22 14:02:29
【海幸山幸の詩 #32】来たる御代の大嘗祭に向けて~大正から伝わる六ツ美「悠紀斎田」お田植えまつり[桜H30/7/22]八百万の神が息づく森や海に様々な形で関わりながら、それらを守り続けている人々を葛城奈海が紹介し、自然との共生や伝統文化を含めた国の守りについて考えていきます。
新たに即位した天皇が最初に行う新嘗祭である「大嘗祭」。 一代一度かぎりの最も重要な儀式に献納する新穀を育てるための特別な水田として、京都を境に東西から一ヶ所ずつ、「悠紀斎田(ゆきさいでん)」と「主基斎田(すきさいでん)」が選ばれる。今回は、大正天皇即位に際して「悠紀斎田」が選定された愛知県岡崎市の六ツ美地区にて、当時からずっと続いているお田植えまつりの模様をご紹介しながら、栄誉ある斎田の歴史と米づくりの伝統を継承していく人々の思いを、お伝えします。
案内人:葛城奈海・秋山仁美
テーマ:来たる御代の大嘗祭に向けて~大正から伝わる六ツ美「悠紀斎田」お田植えまつり
ゲスト:
野々山克彦(「大嘗祭 悠紀斎田」著者)
村田春樹(自治基本条例に反対する市民の会 会長)
高木栄三(八幡社)
都築正治(大正宮 宮司)
六ツ美西部小学校 合唱部
六ツ美中学校 吹奏楽部
加藤祐幸(六ツ美「悠紀斎田保存会」運営部会長)
栗本昌彦(六ツ美「悠紀斎田保存会」おどり部会長)
早川佐代子(六ツ美「悠紀斎田保存会」)
※ VTR出演
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2018-01-29 22:53:40
【神道シリーズ】第三回・卑弥呼と邪馬台国(畿内説?九州説?)卑弥呼や邪馬台国に関しては江戸時代の頃から九州説と畿内説の論争が続いてきましたが、最近では、魏書に書かれていた「卑弥呼に与えた100枚以上の鏡」に相当する魏の年号が書かれた三角縁神獣鏡が纏向遺跡から見つかったり、箸墓古墳が卑弥呼の墓に相当するのでは?と圧倒的に畿内説が有利になってきています。今回は新羅系の天日槍族の血統のオキナガタラシヒメ(神功皇后)と卑弥呼の繋がりについて検証します。専門的な知識に基づくアドバイスは歓迎しますが、感情論や願望による中傷・レッテル張りはすべてNGにします。
新羅からの渡来勢力は鉄の武器と先進技術を持ってたので侵略はけっこう楽だったと思います。 鳥居はあるだろ・・・本殿がないの間違いのないの? 1代でできることなのか? 行ったぞそこ
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2018-02-06 00:11:38
【神道シリーズ】第4回・天日槍(新羅からの渡来勢力)の足跡その1古事記、日本書紀には新羅王子とされ、播磨風土記では新羅神とされた天日槍は、その足跡を北九州から瀬戸内海、そして近畿、北陸まで朝鮮半島から持ち込んだとされる品目(須恵器、金銅製冠・装飾物、馬具、鉄器製品、支墓石、新羅製鏡など)を遺跡に残しながら、地方風土記や神社の伝承、地元の祭祀など濃厚に残しながら今日の発掘研究を可能にしています。この天日槍の血統上にある五十迹(いそて)、田道間守らは地方信仰の対象となり、そしてその末裔である神功皇后はスサノオ王朝(新羅系)を倒し、今日の皇統に繋がる存在となっています。(夫とされる仲哀天皇の非実在性は確実視されてます)専門的アドバイスは歓迎しますが、感情論、願望に基く中傷やレッテル張りはすべてNGにします。
27ですがどの学者ですか どの学者ですかwww ムーかオカルト雑誌の読みすぎですか 天日槍族など学術的に存在が認められていない 古事記日本書紀のどこにスサノオ族王国が出ていますかwww 山口のだけどコウゴイシは何回か見に行きましたなどうゆう歴史がある...
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2018-03-30 19:03:28
「即位の礼」と「大嘗祭」って何? 詳しく解説退位や即位の儀式は平成の代替わりを踏襲することになりました。
「即位の礼」と「大嘗祭(だいじょうさい)」。新天皇の即位に伴う儀式は、皇居の宮殿で国事行為として行われる「即位礼正殿の儀」が中心となります。これは新天皇の即位を国内外に示すための儀式で、天皇の位を表す高御座と皇后の位を表す御帳台が京都御所から運ばれ、新しい天皇がこの台座の上で即位を宣言します。その後、国民から祝福を受ける「祝賀御列の儀」があり、宮殿から赤坂御用地の東宮御所までパレードが行われます。こちらも国事行為となります。また、即位を披露する祝宴「饗宴(きょうえん)の儀」も国事行為です。前回は、外国の元首や総理大臣、国会議員、自治体の代表なども招いて、4日間にわたって7回行われました。続いて「大嘗祭」です。新しい天皇が即位後に一度だけ行われる最も重要な儀式が大嘗祭です。新天皇がその年に収穫された米などを供え、自らも食べて国の安寧(あんねい)と五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈ります。これは宗教的な儀式のため、皇室行事として行われることになりました。何気に本格的ですね・・・
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2018-11-30 08:11:02
秋篠宮さま、大嘗祭の公費支出に否定的「大嘗祭は宗教色強い」秋篠宮さま、大嘗祭の公費支出に否定的「大嘗祭は宗教色強い」- 2018.11.30
https://blog.goo.ne.jp/sithux7/e/e3c3ea56befd73ba79d19a36e3a04ccb
【説明】秋篠宮さまが大嘗祭(だいじょうさい)の公費支出に、政教分離の観点から
否定的な見解を記者会見で述べました。
この問題について、ぽぽんぷぐにゃんが考えます。
【参考資料】秋篠宮さま、大嘗祭支出に疑義「宮内庁、聞く耳持たず」(朝日新聞)
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2018-05-28 21:45:32
【神道シリーズ】第19回・(践祚)大嘗祭について(桓武以降中国化した朝廷文化>即位儀礼・天長節・・)大嘗祭と言えば新天皇即位の宮中儀礼として知られてますが、実は新嘗祭(大嘗祭)が天皇即位の年の11月に行われるようになったのは平安時代の桓武天皇の時代からで意外と歴史が浅く、しかも、大嘗祭=天皇即位儀式としたのは中国(唐)の皇帝即位儀礼である冬至の郊祀(こうし)を真似たものだったのです。
そもそも(文献で確実に行われたと確認できる範囲だと)大嘗祭が新嘗祭として行われるようになったのは奈良時代の天武天皇の頃からだとされますが、この大嘗祭(当時は天皇即位儀礼ではなかった)も天日槍来日時代に新羅より伝わったとされる天の羽衣伝説から来ており、その伝説のように天皇が羽衣を来て沐浴すし(天羽衣伝説と同様)、その後地方で採れた新米を食する、という儀礼は、朝廷儀礼の中国化を進めた桓武天皇の時代に即位儀礼として今日に至ります。
しかしながら、嵯峨天皇より明治の前まで途絶えることなく続いた真言密教による荼枳尼天即位灌頂に比べ、この践祚(せんそ)大嘗祭も室町時代から江戸時代に至る240年間の中断があったり、伊勢神宮の式年遷宮も120年以上の中断があったりと、皇室自体がこうした儀礼に強い興味を示していなかった(真言密教一筋だった)ことが窺われます。てんじでしょ、読み方くらいしっかりしてよ
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2018-03-26 23:20:31
【神道シリーズ】第10回・三輪山信仰と朝鮮半島(新羅)三輪山にある大神神社は日本最古の神社と言われますが、現在の風貌とは異なり、もともとは鳥居も本殿(神殿)もなく、三輪山にある磐座(石)自体が信仰の対象だったのですが、それと同じ形態の信仰形態が新羅(現在の韓国の慶州)の神堂(しんだん・しんたん)と呼ばれる神石や神木などの自然を対象とした巫覡によるシャーマニズム的な信仰と酷似してることが学者たちに指摘されてます。
古事記などに出てくる大物主神の神話と朝鮮半島の蛇と針に関する口伝伝説の酷似や、神の正体が蛇であった点とか、これも朝鮮半島の伝承との類似性が指摘されてます。
巻向遺跡や箸墓古墳でも新羅製の須恵器や鉄製品、馬具などが出土しており、さらにこの傾向は伊勢神宮の外宮の高倉山古墳でも見られています。
スサノオ族や天日槍族という半島(新羅)からの渡来勢力が古代日本や日本の古代信仰(神道)を形成した跡が窺われます。古いっていつだよ。古いっていうならせめて4世紀には遡れよ 6世紀でも国産できるだろ 7世紀なんだから国産できてるだろ は?穢の概念が仏教伝来以前に無かったら、禊ぎする意味ないじゃん どの経典だよこら 仏教のケガレ? 薬でもやってんのか
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2018-04-24 00:08:53
【神道シリーズ】第14回・本地垂迹説(日本のすべての神々(朝鮮渡来の神々および人工神)は仏の眷属の化身とされる)宇佐八幡(八幡大菩薩)シリーズの第三話に進む前に、この本地垂迹説、つまり、日本の神々(元は朝鮮半島・新羅から)は仏の眷属(仲間たち)の化身であるとする思想をよく理解しておく必要があると思い、この一話を挿入することにしました。
八幡大菩薩が釈迦如来(本地)の化身(垂迹)だとされたのは9世紀後半で、本地垂迹説の先駆けだと言われます。
その後、11世紀、12世紀を通じて日本のすべての神社の神々は仏の眷属の化身であるとされるようになり、各神社に設置された神宮寺(神社を支配する寺)が中心となり各地独特の神仏習合文化を形成して行きます。
そして、これは一時期明治政府により否定され、神宮寺は破壊されたものの、この神仏習合思想は今日まで全国各地のお祭りや祭祀にまで生き続けています。
神社本庁を解体して全国神宮寺を復活させることこそが真に日本を取り戻すことだと思います。空海が軟禁されてるタイミングだったんすか!
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2018-11-11 07:00:00
竹田恒泰の富山チャンネル 2018.11.09 <即位の礼について>作家であり、明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰さんが「過去を学んで、日本の未来を考える」をコンセプトに国史、日本神話、日本の伝統・歴史・文化などをわかりやすく解説します。
ラジオ 竹田恒泰 政治 竹田恒泰の富山チャンネル京都でやってほしい
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2018-05-14 22:46:25
【神道シリーズ】第17回・稲荷信仰(新羅系秦氏の伊奈利神と真言密教の習合)①山背国風土記によると、新羅から渡来した秦氏の秦伊侶具が餅を的に矢を射てたら餅が白鳥になって飛んでいき、峯に留まって稲となり、711年にはその地に伏見稲荷大社が創建されたとありますが、もともと稲荷とは伊奈利という新羅系秦氏が持ってきた神で、この神はこの伝説以降「稲荷」と稲が当てられるようになったのですが、平安時代になり真言密教の作った両部神道の理論により、大日如来の化身である荼枳尼天(だきにてん)と習合することになり、荼枳尼天の乗るジャッカルという生き物が狐に似てることから稲荷神のイメージとして狐が生まれてきます。
真言密教と繋がることにより稲荷信仰は全国へ広がり、一方、朝廷の中でもこの荼枳尼天を天皇家の本尊として祀るようになり、荼枳尼天真言による即位灌頂が皇位継承の絶対条件となり、この習慣は明治前の孝明天皇の時代まで続きます。(始まりは11世紀の後三条天皇の時代からと言われる)テスト
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2018-01-22 22:54:19
【神道シリーズ】第二回・新羅本紀と古事記・日本書紀(対比検証)よく保守系の人たちの間で、「新羅の国王は日本人(倭人)だった」「日本は強い高句麗から新羅・百済・任那を守ってた」「古代の朝鮮半島は日本の一部だった」などという首を傾げてしまうような言論を耳にしますが、そもそも倭人という点で当時の列島と半島の間の人種的な差は無く、しかも、新羅本紀や記紀を比較すると、そこには壮絶に戦争をし続けた両国の歴史が綴られており、決して「新羅が日本の一部」とは言えない歴史が記されています。当シリーズでは、専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論・願望に基づく根拠無き断定やレッテル張りはすべてNGにします(タグも含めて)
新羅に帰れよ 新羅好きだねぇーwwww 日本人と朝鮮人はDNAから見ると起源が違う 韓国人にはないという研究を発表した この人は日本人は環太平洋の民俗に似たDNAがあり ないないwww ソース無しwww しかしよく調べたもんだな期待してるぞ 倭人文化...
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2018-05-21 22:55:22
【神道シリーズ】第18回・稲荷信仰(新羅系秦氏「伊奈利」の神と真言密教の習合)②江戸時代以降室町時代の応仁の乱で焼け落ちた伏見稲荷大社の再建の為、真言宗の東寺(教王護国寺)は、その末寺で愛染寺という寺を創建し、そのお寺を伏見稲荷大社の神宮寺(つまり、伏見稲荷社を支配・管理する寺)とし、その愛染寺に集まった真言宗の密教僧らが中心となり、「稲荷勧進聖(かんじんひじり)」として全国に散って稲荷大社再建の為の寄付を集め、怒涛の勢いで勧進聖たちは伏見稲荷大社を再建すると同時に全国に(真言密教系)修験道を通じて稲荷信仰を広めました。これにより全国(特に関東を中心に)広がった稲荷信仰は、屋敷神、流行(はやり)神、農業神など多岐の性質を持った神として、武家、商人から農民へと国の辻浦浦まで広まっていきます。
明治以降は、神仏判然令の弾圧を受け、神仏が切り離されましたが、民衆の中に根強く残る稲荷信仰はお塚(石碑)を作り般若心経を唱え、やがてはお塚に建てた鳥居が千本鳥居となり、現在各地に見られる「お稲荷さん」になっていきます。トラック さっしょうせきw いなり寿司食べたいw 護摩? 口笛w タミヤ たまものまえ殺生石な しんでんやろw 面白いねえ れいむじゃない? 1
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2018-06-04 22:26:02
【神道シリーズ】第20回・天神信仰(真言密教僧(道賢)によって広まった御霊信仰)神道関係無し①【神道シリーズ】第20回・天神信仰(真言密教僧(道賢)によって広まった御霊信仰)神道関係無し①
日本の御霊信仰は、8世紀の聖武天皇の時代の長屋王の変や9世紀の桓武天皇の時代の早良(さがら)親王事件などの第一期御霊信仰と、菅原道真の大宰府左遷での憤死のよる
菅公(道真)御霊(怨霊)に始まる第二期御霊信仰の二期に分かれます。
第一期での鎮霊は雑密の法相宗の僧侶たちによってなされ、第二期になると真言宗の僧侶たちによってなされてます。
第一期では朝廷内だけでの御霊信仰でしたが、第二期の道真の御霊信仰は、吉野峯真言修験僧の道賢(どうせん)が自らの臨死体験を綴った「道賢上人冥途(めいど)記」の中で蔵王菩薩が現れ、道賢を道真の御霊である大政威徳天に会わせられ、そこで地獄の煉火の中で苦しむ藤原時平や醍醐天皇の姿を見せられた上で(道賢)に「日蔵」という名前を与えてもらった、という話が書かれています。
この逸話は朝廷のみならず農民を中心とする民衆の間にも広く広まり、自在天神、大富天神などの名で全国に広まります。
その天神信仰は御霊信仰を越えて農民の田歌や田楽にも影響を与え今様(いまよう)歌として広まり今日に続いていきます。- 362
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2018-04-09 23:18:49
【神道シリーズ】第12回・宇佐八幡(新羅の神々(ヤハタ神・応神霊)と弥勒信仰の習合)①現在日本の神社12万社(摂社・末社も含めて)のうちその三分の一以上を占める八幡社は、もともと宗像神(宗像三女神)を信仰していた宇佐氏の住む宇佐に、西の香春に降臨した新羅の神「ヤハタ」を持ち込んだ(新羅系秦氏の)辛嶋氏が香春より東進を続け、宇佐の駅館川(宇佐川)で宇佐氏と対峙するまで勢力を広め、宇佐氏が磐井との戦いで勢力を弱めると(6世紀)、一旦は宇佐の馬城嶺(御許山)まで支配下に収めますが、その後、大和より大神氏が応神霊を持ち込み、辛嶋氏との戦いの末、御許山を含む宇佐を支配しますが、その後、英彦山に出現した宇佐氏系の法蓮は新羅系仏教の弥勒菩薩信仰により強大な影響力を広げ、大神氏と辛嶋氏は法蓮に懇願して八幡神を菩薩へと地位を高めてもらい、ここに八幡大菩薩の信仰が完成します。専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論や願望論、あるいはその場の思い付きによる非難や中傷に対してはすべてNGにします。(タグも含めて)
ネット記事だして「ここに書いてあるでしょ」というのは危険やで~、内容はともあれ 持統天皇も信仰してなかったのか… 八王子、八大龍王、胎蔵界の八葉、八正道… 釋迦菩薩の化身なのに、新羅神のヤハタ???? ん? ものが通りますよー 宇佐八幡の初代神官家系...
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2018-04-02 22:51:24
【神道シリーズ】第11回・神宮寺(神道(古代朝鮮信仰)が仏教の傘下に下る)6世紀に百済から日本へ仏教が公式に伝来する以前から道教色(呪術的色彩)の強い雑密(ぞうみつ)と呼ばれる新羅仏教が新羅からの渡来人により伝えられ、皇族も豪族も競って自らの氏神を仏教へ帰依させようという動きが一機に広がりました。
これはそれまで信仰に無関係だった一般庶民の間にも雑密(新羅仏教)が燎原の火のごとく広まり、皇族や豪族たちもその時代の変化に対応したものでした。
そして、この動きは私度僧(無資格僧侶)たちによる神宮寺、つまり、氏神の仏教帰依を助けるお寺が日本国中すべての神社に建てられ、神宮寺が神社を支配する時代が始まります。
この神宮寺は平安時代になると真言・天台密教の傘下に入り、江戸時代終わりまで続く本地垂迹説の時代に突入します。
専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論、願望およびその場の思い付きに基づく非難、中傷は一切NGにします。年代はともかく『中世神道入門』などにもこれらの思想は書いてある。 それは嘘。何を基準にすべてと言っているかわからない。すべて見ることはまず不可能。 載ってなかったらないことになるんですか? 修験道についてもデタラメだろう ここにはあなたの言うことが載...
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2018-03-19 23:28:33
【神道シリーズ】第9回・天日槍の足跡(但馬・丹後・播磨編)古事記・日本書紀では新羅王子とされ、播磨国風土記では新羅の大神とされた天日槍は、北九州(糸島)⇒瀬戸内海⇒播磨⇒難波⇒近江⇒若狭⇒丹後⇒但馬と足跡を残して行きますが、その中で先住のスサノオ族(新羅系)の祭神であったスサノオ=牛頭天王と天日槍族が信仰したイササワケ神(天日槍)が習合し、さらに秦氏(天日槍族)が持ち込んだ(中国秦王朝より新羅に伝わった)兵主神もそれに習合していきます。
今回はその信仰の習合も含めた天日槍(族)の但馬・丹後・播磨の足跡を追います。
専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論や願望に基づくその場の思い付きによる批判や中傷はすべてNGにします。(タグも含めて)播磨じゃなくて備後じゃなかったっけ? あれですよね 山の辺の道沿いだな 浄土教や禅宗か・・ 古代倭国はフロンティア
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【神道シリーズ】第5回・天日槍(九州編)砂鉄製鉄による鉄製品、金銅製冠装飾品、横穴式石室、鉄製馬具、須恵器などを朝鮮半島(新羅)から持ち込んだ天日槍族は、北九州の糸島に降り立ち、さらに瀬戸内海を通じて播磨より北上し、近江、若さを通って最後は但馬に永住した、と記紀では伝えてますが、この勢力は濃厚な足跡を残し、やがて出雲系のスサノオ王朝を倒し、「国譲り」を実現し、神功「皇后」(天皇)に始まる応神朝を形成し、今日の皇統へ続いていきます。専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論や願望に基づく誹謗中傷・レッテル張りはすべてNGにします。
伝説を歴史にすり替える朝鮮野郎
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2018-06-18 22:51:43
【神道シリーズ】第22回・春日信仰(興福寺(法相宗)や臨済宗とともに歩んで今日に至る春日浄土の世界)①春日大社と興福寺はその歴史からして、興福寺(669年)に始まり、春日大社(768年)が創建されて以来、興福寺が実質春日大社を支配管理する形で今日まで至っています。
明治の神仏判別令でこの一体の体制は破壊されたものの、やはり歴史の中で培われた文化力の強さはそんな弾圧も乗り越えて、今日では以前のように春日大社の中で興福寺の僧侶たちが神前読経をする姿やおん祭のように共同開催で行われる行事が生き続けています。
興福寺(法相宗)が藤原氏の信仰に基づいて創建されたの対し、その100年後に作られた春日大社は藤原氏の朝廷内の格付け証明の為に創建された経緯があります。
なぜ(創建時に)藤原(中臣)氏の本来始祖神であったはずの天児屋根命(あめのこやねのみこと)が(春日大社の)第一殿に祀られずに第三殿になってしまったのか?
その辺の謎を解きながら興福寺とともに歩んだ春日大社の歴史を見て行きたいと思います。
(あと、なぜ奈良では鹿が神扱いされるようになったのか?も、鎌倉後半以降の仏教説話から出て来た鹿島立神影図からお話していこうと思います)あらしおのしおのやおぢのやしおぢのしおのやおあいにます 祝詞ですよ
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2018-12-28 20:00:00
竹田恒泰の富山チャンネル 2018.12.28 <異常気象と神様>作家であり、明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰さんが「過去を学んで、日本の未来を考える」をコンセプトに国史、日本神話、日本の伝統・歴史・文化などをわかりやすく解説します。
ラジオ 竹田恒泰 政治 竹田恒泰の富山チャンネル良いお年を また来年
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2018-06-25 22:43:18
【神道シリーズ】第23回・春日信仰(藤原氏の正体(百済人)・真言密教系神道(両部神道)の影)②春日大社は藤原氏(不比等・永手ら)によって政治的な意図で作られた神社であることは①の方で説明しましたが、そもそもこの藤原氏とは何なのか?
今回はそれと三社託宣(春日・八幡・伊勢)に見られる両部神道(真言密教が作った神道)の影響に焦点を当て春日大社創建の背景を見て行きたいと思います。
藤原氏の出自に関してはさまざまな研究と見解がありますが、どれも共通していることは「日本人ではなく百済人である」という点です。
朝廷の祭祀を司る役職にいた中臣氏の家系の中に滅亡百済王族がどのように入り込んで来たのか?
百済王族は、藤原氏の計らいで百済王氏としてその後も朝廷の中で生き続け、桓武天皇の母親(高野新笠)などを輩出したりしてますが、百済村と呼ばれる地域に住み、百済人の濃厚な血筋を維持しながら朝廷内で生き続けて行きました。
一方、三社託宣では、春日・八幡・伊勢の三社が同時に儒教・道教的な道徳的訓示を託宣発表するという事になり、その中でアマテラスは真言密教理論に基づく両部神道で描かれた雨宝童子という16歳の少女として描かれています。
百済系の藤原氏の政治的思惑と興福寺のバックアップの中で生まれ、真言密教によって理論づけされ春日信仰は誕生します。- 277
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2018-04-30 23:47:42
【神道シリーズ】第15回・宇佐八幡(新羅と仏教の神)の発展(石清水八幡・鶴岡八幡・そして全国へ)奈良の盧舎那仏(大仏)開眼式以来朝廷の絶大な崇敬を集めた宇佐八幡の八幡神はやがて朝廷から菩薩号を与えられて八幡大菩薩となり、その崇敬と信仰は天皇・貴族・一般民衆の間で絶大な信仰の拡大を見たのですが、我が子である惟人親皇(後の清和天皇)を天皇に即位させたがってた藤原北家の藤原良房は、大安寺(真言宗)の僧侶の行教に命じ、八幡大菩薩を宇佐八幡より平安京に分霊を持ってきて勧請(分霊を祀ること・分祀)させ、それが石清水八幡宮となり、さらに石清水八幡は清和源氏の流れを汲む源頼義の時代から源氏の氏神となり、源頼朝が鎌倉を拠点のするようになると鎌倉の由比にも勧請され、鶴岡八幡宮が創建されます。
八幡大菩薩はその後、荘園鎮守、国府鎮守、寺院鎮守への勧請を通じ、日本全国へ燎原の火の如く短期間に広がり、日本全体が八幡大菩薩一神教のような様相を帯びてきます。
専門的なアドバイスは歓迎しますが、知識に基づかない感情論・願望論・その場の思い付きによる非難中傷はすべてNGにします(タグも含めて)- 266
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2018-05-19 19:04:04
明治神宮 創設100年前に ご神体移す初の儀式2020年に創建100周年を迎える明治神宮で、本殿の修復工事に向けてご神体を仮殿に移す儀式が初めて執り行われました。
1920年に創建された明治神宮の本殿は第2次世界大戦の空襲で焼失し、1958年に再建されました。東京オリンピック・パラリンピックが開かれる2020年に合わせて修復されることになり、18日夜にご神体を仮殿に移す儀式が執り行われました。ご神体が取り出される際には境内の明かりが一斉に消され、神官らが暗闇のなかを慎重に運んで行きました。仮殿への移動が終わると再び明かりがともされ、玉串が捧げられました。工事は来年8月に終わり、改めてご神体を本殿に戻す儀式が営まれます。ご神体はなんですか 何がご神体なんですか かりどの。 かりどの。 かりとの? 仮殿 えんじそとへでる いまコロナお盆すぎw 研鑽! 石の上にも三年かあー 研鑽? ケンサンケンサンとかなの?? ケンサンケンサン研鑽を積みやがれ
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2018-02-26 23:11:54
【神道シリーズ】第6回・天日槍の足跡(瀬戸内海編)古事記と日本書紀では新羅王子とされ、播磨国風土記では新羅の神とされていた天日槍は、学者の間では鉄製の武器で武装し、半島より鉄製品、鏡、金銅装飾品、横穴式石室、須恵器などをもたらした集団として考えられてますが、古事記や日本書紀での古代皇統が架空のものであったことを考えると、まさにこの天日槍系こそが現在の皇統に繋がる存在だと言えます。
その天日槍は九州・瀬戸内海・畿内・近江・北陸・山陽・東海の一部と広範な範囲に濃厚に足跡を残しましたが、今回は瀬戸内海に残るその足跡を追ってみました。
専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論や願望に基づく断言や中傷はすべてNGにします。こういう話になると東北も古いのに置いてかれるよなぁw 東北も藤原が居たんだからソレより前に居たんだよね 半島と言うけど・・ようするに中国からの流れでしょ? 半島は中国の属国だし
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2018-03-05 23:40:18
【神道シリーズ】第7回・天日槍の足跡(近江編)古事記・日本書紀では新羅王子とされ、播磨国風土記では新羅の大神とされた天日槍(天日矛)は、学者の間では個人ではなく、新羅から鉄武器や金銅製品、鉄器、須恵器などの文化を持って日本に移住した武装集団(部族集団でもある)とされています。
天日槍族は、その一族の息長氏や三尾氏や和邇氏らを率い、九州から瀬戸内海、難波、近江、北陸、そして山陰へと勢力を伸ばし、その足跡を追って今回はもっとも天日槍族が濃厚な足跡を残した地域の一つの近江を追ってみます。
専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論や願望に基づく断言や中傷はすべてNGにします(タグも含めて)- 241
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2018-03-12 23:13:50
【神道シリーズ】第8回・天日槍の足跡(若狭編)古事記・日本書紀では「新羅王子」、播磨国風土記では「新羅の大神」とされている天日槍は、学者の間では鉄製の武器を持った朝鮮半島(新羅)からの移民集団であったろうとされてますが、その天日槍族は九州・瀬戸内・播磨・難波・近江・若狭・丹後・但馬に渡り多くの足跡を今日にまで残してます。
古事記や日本書紀のアマテラスから仲哀天皇(14代)までの足跡が皆無である一方、これほどまでに日本各地に濃厚な足跡を残している天日槍系は、実質今日に至る皇統に繋がる重要な位置づけになります。
今回はその天日槍の若狭における足跡と、イササワケと天日槍の関係などを中心にお話します。
専門的アドバイスは歓迎しますが、感情論や願望に基づく断定や中傷はすべてNGにします。(タグも含めて)- 239
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2018-04-16 23:11:28
【神道シリーズ】第13回・宇佐八幡(新羅の神々(ヤハタ神・応神霊)と弥勒信仰の習合)②新羅から渡来した新羅系秦氏の辛嶋氏が伝えたヤハタ神と、自ら新羅(辛国)から日本に来て天皇となりこの国(倭国)の王となったと主張する応神霊(宇佐八幡託宣集)と、出雲系の宗像三女神を信仰していた地元の宇佐氏の三つが合体して出来た「八幡大神」は、さらに英彦山で弥勒信仰(新羅仏教)を広めていた法蓮に依頼し、仏の道の修行をすることになり、鷹居(今の宇佐八幡宮所在地のすぐ近く)へ鎮座することになりました。その後、厭魅(えんみ)事件、道鏡天位託宣事件などを経て、やがて八幡大神は朝廷が崇敬する国家神(つまり日本は八幡神を絶対神とする国)となり、「八幡大菩薩」の称号を朝廷が与え(781)、天皇、公家、貴族はもとより民衆全体の中に広く信仰が伝わり、さらに平安時代になると武家の間でも圧倒的な崇敬を受けることになります。専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論、願望論およびその場での思い付きによる誹謗中傷はすべてNGにします。
辛嶋勝与曽女とか大神杜女とか女の人ですよ~ 1
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2018-05-07 22:56:21
【神道シリーズ】第16回・主要八幡宮巡り(宇佐八幡・筥崎八幡・石清水八幡・鶴岡八幡)今回は、これまでに学んだ宇佐八幡の歴史に出てくる宇佐八幡宮、筥崎八幡宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮などを動画を通じて巡り、復習も兼ねて今日まで伝わる伝統儀礼や庶民の間にも伝承されてきた行事を見て行きたいと思います。
中でも宇佐八幡の放生会や神幸祭などは古代より今日まで続くもので、新羅の神(ヤハタと応神霊)と新羅仏教(法蓮)の習合に基づく信仰儀式は興味を引くものがあります。
オマケとして、朝鮮半島(新羅)から伝わり今日でも伝承され続けてきている出雲の田植え祭も動画でご紹介したいと思います。
専門的なアドバイスは歓迎しますが、感情論、願望論、その場の思い付きで知識的な根拠を示せないコメントはすべてNGにさせていただきます。(タグも含めて)厳かじゃなくてユーモアがあるのが良いね ※かつての日本 6つの鏡にもなにか意味があるのかな。
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2018-07-17 12:00:00
【ch北海道】こちらチャンネル北海道 Vol.20[桜H30/7/17]キャスター:川田 ただひさ(前札幌市議会議員)・コジマ
■ 北海道神宮での「禊」
VTR:北海道神宮例祭に備えた「禊」の様子(平成30年6月10日)
■ 地域で支える札幌まつり
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※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
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◆チャンネル北海道HP
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2018-06-24 02:01:41
知ってました?「夏越ごはん」 昔は厄払い 今は夏を越すごはんと書いて「夏越ごはん」という言葉をご存じだろうか。古くはその年、前半の厄払いのためのものだったが、今は新たな形で紹介されている。
大みそかに食べるのは年越しそばだが、その半分、6月30日に食べるものが存在する。夏越ごはんだ。タマネギの輪っかにちくわを通しカラッと揚げる。この丸いかき揚げが乗った丼が夏越ごはんだ。毎年6月30日に神社では茅の輪を使った「夏越の祓(はらえ)」という神事が行われる。鳥居に付けられた茅の輪を神職や参拝者は八の字にくぐる。神社でも夏越の祓に合わせ、夏越ごはんの提供も始めた。始まったのは4年前。米の消費が減る夏こそごはんへの関心を高めてもらおうというもので、外食店やスーパーでの取り扱いは倍増したという。夏越ごはんには定義がある。茅の輪をイメージした丸いかき揚げ。旬の緑の野菜と邪気をはらうとされる赤の食材など。夏越ごはんには絵馬が付いていて、夏越の願い事を書くことができる。ささやかな願いを投函すれば、店が代わりに神社でおたき上げ。果たして、土用の丑(うし)の日や恵方巻きのように定着するのだろうか。恵方巻同様日本には無かった文化のねつ造 ええやん、なんぼなん
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2018-10-24 19:47:02
安芸の宮島一周の船旅と七浦神社参拝 (御嶋廻りについて) 序ぐるっと宮島再発見 (年3回くらい行われている)
宮島観光協会主催の 宮島をめぐる船旅。2時間程度で島を一周します。
まずは序として「御嶋廻り」について簡単に紹介してみます。
厳島神と佐伯鞍職(さえきのくらもと)の伝説に由来するものです。
宗像三神のお告げに鎮座地を船で探して厳島を回り、佐伯鞍職は養父崎で現れた
神の使い「神烏」(おかがらす)様に先導してされ 鎮座地を探したという伝説がある。
字幕誤りの訂正=「神烏」=おがらす です。
ツアーでは 広島大学の戦国史専門の先生が講師。ガイドにアシスタントの女性がつきました。 ほか総勢40人程の数時間の船旅。
其の1へ(〜鷹ノ巣浦まで) sm34070826動画アップお疲れ様ですw
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