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2024年5月10日 06時21分に生成された05時00分のデータです
2018-03-18 19:05:11
【松風】肥前国唐津城 平成30年(2018) 仲春2018年の3月上旬、佐賀県唐津市にある唐津城を訪れました。
関ヶ原の戦いで、東軍につき唐津・天草12万3千石の領主となった寺沢広高が
慶長7年(1602)に築城を開始し、慶長13年(1608)に完成しました。
唐津平野を流れる松浦川の河口にある満島山(まんとうざん)に築かれた平山城で、
城の北側は唐津湾に面しており、船入門や水手門等、海に出られる海城でもありました。
また、寺沢広高は新田開発の一環として、防風林・防砂林の植樹を行い、後の虹の松原を整備しました。
天守台は造られたようですが、天守はなかったようで、
昭和41年(1966)に鉄筋コンクリートの模擬天守が建てられました。
現在、城は舞鶴公園として整備され、模擬天守からは北は玄海灘、東に虹の松原、
南に唐津市街を見渡せる眺望絶佳の地となっています。
動画の後半は初代城主・寺沢広高の墓がある鏡神社も訪れています。
※しのしの殿・世界の味殿・霞舞伎殿、広告ありがとさんでござんす。
お城→mylist/37297571美しい… 佐賀いいなぁ…絶対一度は行きたいです(*´︶`*) そうですか。日付が分かるということは「攻城団」の方かな? 同じ日に訪ねてた 地元や!
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2018-12-08 08:18:01
【ゆっくり】千狐の城娘デザイン考察 ~大和郡山城~ 【城プロRE】城娘と実際のお城を見比べて、ゆる~くデザイン考察
今回は大和郡山城ちゃん
前回 (三木城ちゃん): sm34189525
次回(高島城):sm34381632
マイリス:mylist/62550176
【18/12/27追記】
宣伝して下さった方々、ありがとうございます!『わが町 やまとこおりやま げすい』って、なんか我が町がゲスいみたいなw エンチャントファイヤ これは教科書にも書いてあるね キャラのボイスが小さい。もう少し上げて。 編集丁寧だなぁ うぽつ うぽーーーつ 多分前2層後ろ三層の五層天守を前から見た図だ...
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2018-05-20 18:51:34
【鳥峰】美濃国金山城 平成30年(2018) 初夏2018年の4月下旬、岐阜県可児市にある美濃金山城を訪れました。
天文6年(1537年)、美濃国の斎藤道三の一族の斎藤正義(まさよし)が築城したとされ、
織田信長の美濃攻略後は、信長の家臣の森可成(よしなり)が城主となりました。
以後、森長可(ながよし)・森成利(なりとし・蘭丸)・森忠政(ただまさ)と
森氏が城主を務め、関ヶ原の合戦後、森氏が川中島へ転封となると、
城は石川貞清の所有となった後、廃城になったようです。
北に木曽川が流れる標高270m(比高170m)程の山頂に築かれた山城で、
森忠政の頃には天守があったようですが、現在は建物はなく、石垣が残っています。
山頂の本丸からは北の木曽川、西の木曽川と飛騨川の合流地点が一望でき、
木曽川の河上輸送を抑える要衝であったと推測できました。
現在、現地の地名は兼山となっていますが、
これは明暦2年(1656年)に金山村から兼山村に改名されたからだそうです。
※美濃金山城パンフレットより
しのしの殿、広告ありがとうござりまする。
お城→mylist/37297571- 343
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2018-01-28 20:52:30
【十五万石】三河国吉田城 其の一 大手門~本丸編 平成30年(2018) 晩冬2018年の1月下旬、愛知県豊橋市にある吉田城址を訪れました。
永正2年(1505年)、牧野古白が今橋城を築城したのが始まりと言われ、
戦国時代には戸田氏と牧野氏で城主がめまぐるしく変わります。
今川義元が三河に進出すると、家臣・小原鎮実が城主となり。
松平(徳川)家康が吉田を攻め、酒井忠次が城主を務めました。
天正18年(1590)、池田輝政が15万2千石で吉田城主となり、
11年間に渡り城の改修や城下町の整備を行いました。
江戸時代には東海道の要衝として、譜代大名が城主を務め、
明治を迎え廃城となりました。
現在、城址は豊橋公園となり、鉄櫓が模擬再建されています。
吉田城其の二→sm32683435
お城→mylist/37297571本当ですか?それは残念です。櫓の復元調査の為等の前向きな理由なら良いのですが・・・ 先月末に登城してきました。この本丸まわりの石垣の上はどれも登れなくなっててすこしかなしみ……
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2018-01-08 20:53:01
【伊勢は津で持つ】伊勢国津城(安濃津城) 其の一 平成30年(2018) 晩冬2018年の1月、三重県津市にある津城址を訪れました。
津はかつて安濃津(あのつ)と呼ばれ、古くから港町として栄えており、
筑前の博多津と共に三津の一つでした。(三つ目は摂津の堺津又は薩摩の坊津)
永禄年間(1558-1569年)に、長野氏の一族の細野藤光が安濃川・岩田川の間に
安濃津城を築いたのが起源とされ、その後は織田信長の伊勢侵攻により、
織田信包が入城、石垣や堀、五重の天守のある城に改修しました。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、城主・富田信高は東軍についた為、
毛利秀元率いる西軍の攻撃を受け開城しました。
慶長13年(1608年)、築城の名手と知られる藤堂高虎が入城、大改修を施しました。
津城其の二→sm32584829
お城→mylist/37297571- 238
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2018-04-22 20:42:11
【読谷山】琉球国座喜味城(ざきみグスク) 平成30年(2018) 晩春2018年の4月中旬、沖縄県中頭郡読谷村にある座喜味(ざきみ)グスクを訪れました。
15世紀初期、読谷山の按司(あじ=王族)の護佐丸(ごさまる)が築城したと伝わり、
沖縄島中南部の座喜味集落の北端に位置し、標高127mの山頂に築かれました。
沖縄島中南部のグスクは琉球石灰岩崖上に築城されることが多いですが、
このグスクは国頭マージ(赤~黄色の土壌)の台地上に立地しています。
石灰岩の城壁は屏風状に屈曲しており、カーブの各角に丸みをもつ
沖縄特有の城郭形態をしており、アーチ型の拱門(きょうもん)の上部に
はめこまれているくさび石はこのグスクにしか見られないそうです。
2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」として世界遺産に登録されました。
動画の途中には泊城(トゥマイグシク)跡も登場します。
※城址・史跡巡り備忘録 殿、広告ありがとうでござる
※タグを追加してくれた方ありがとうございます
北山王の居城「今帰仁グスク」→sm33128989
阿麻和利の居城「勝連グスク」→sm33168574
護佐丸最期の城「中グスク」→sm33203091
お城→mylist/37297571- 202
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2018-05-06 19:00:28
【肝高】琉球国勝連城(かつれんグスク) 平成30年(2018) 晩春2018年の4月中旬、 沖縄県うるま市の勝連(かつれん)グスクを訪れました。
13~14世紀に茂知附(もちづき)按司(あじ)によって築城されたとされ、
勝連半島の付け根にある標高80m程の丘の上にあります。
15世紀の初め、阿麻和利(あまわり)が城主となり、
大和の鎌倉に例えられる程の繁栄をみせますが、
護佐丸・阿麻和利の乱で、中山(首里)の軍勢に攻められ、
勝連グスクは落城、阿麻和利は自害しました。
一の郭~四の郭と東の郭の五つの郭からなるグスクで、
布積みの綺麗な城壁に蘇鉄の木が印象的でした。
2000年には、琉球王国のグスク及び関連遺産群として
ユネスコの世界遺産に登録されています。
護佐丸が築城した「座喜味グスク」→sm33092887
北山王の居城「今帰仁グスク」→sm33128989
護佐丸最期の城「中グスク」→sm33203091
お城→mylist/37297571- 201
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2018-09-01 21:11:02
【避来矢】下野国唐沢山城 其の一 城下~二の丸編 平成30年(2018) 初秋2018年の8月中旬、栃木県佐野市にある唐沢山城を訪れました。
延長5年(927年)、藤原秀郷が築城したと伝わりますが、
16世紀の中頃に現在の形に整えられたと考えられており、
秀郷の子孫である佐野氏の居城でした。
戦国時代には、上杉謙信が3万を超える北条軍に包囲された唐沢山城を
敵中突破し救援したとされる伝説の舞台でもあり、
城主・佐野昌綱は上杉・北条間で離反離合を繰り返し、戦国時代を生き抜きました。
江戸時代に入り、江戸の大火に唐沢山城から気付いた城主・佐野信吉が
江戸に早馬を出した所、江戸を見下ろせることを危惧した徳川家康により、
廃城にさせられたとの逸話も伝わります。
今回は吉水駅から佐野氏の先祖の藤原秀郷公のお墓に参ってから、
佐野氏の清水城址を見学後、唐沢山城の二の丸跡までを散策します。
※霞舞伎殿、aaaaaa 殿、広告ありがとさんでござんす
佐野氏の佐野城 → sm33748431
唐沢山城其の二 → sm33829226
お城 → mylist/37297571毘の旗… こういう山道の雰囲気好きです(ᵔᵕᵔ˶)
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2018-10-28 19:29:02
【枯樹生花】陸奥国三春城 平成30年(2018) 初秋2018年の8月中旬、福島県三春市にある三春城を訪れました。
築城年は不明ですが、戦国時代には田村氏の居城だったようです。
田村氏は小田原征伐に参加しなかったので、豊臣秀吉による奥州仕置で改易されました。
蒲生氏時代には田丸具直や蒲生郷成が城主を務め。
江戸時代には松下氏・秋田氏が居城としました。
城は大志多山(おおしだやま)に築かれていますが、城山から見る周囲は山がちで平野は少なく、
守るには不利な(各個撃破されやすく、すぐに城まで攻め込まれる)地形であるし、
ここで勢力が大きくなることは難しいと思われ、戦国時代に伊達氏や蘆名氏や相馬氏や岩城氏に囲まれた田村氏は生き残りの為に苦労したのだろうと往時が偲ばれました。
幕末の秋田氏の奥羽列藩同盟からの脱退も、田村氏の苦悩を時を越えて再現したかのように思えました。
現在、城址は本丸等が公園として整備されており、蒲生氏時代の石垣等を見ることができます。
※飲兵衛殿・aaaaaa殿・霞舞伎殿、広告ありがとさんでござんす❤
お城 → mylist/37297571お役にたてたようで何よりです 三春町民だけど勉強になりました!おつでした~ 子孫を称しているようですが、確かな資料等はないようです。 坂の上の田村麻呂の子孫だっけか
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2018-09-09 18:10:02
【避来矢】下野国唐沢山城 其の二 本丸~南城編 平成30年(2018) 初秋2018年の8月中旬、栃木県佐野市にある唐沢山城を訪れました。
延長5年(927年)、藤原秀郷が築城したと伝わりますが、
16世紀の中頃に現在の形に整えられたと考えられており、
秀郷の子孫である佐野氏の居城でした。
戦国時代には、上杉謙信が3万を超える北条軍に包囲された唐沢山城を
敵中突破し救援したとされる伝説の舞台でもあり、
城主・佐野昌綱は上杉・北条間で離反離合を繰り返し、戦国時代を生き抜きました。
江戸時代に入り、江戸の大火に唐沢山城から気付いた城主・佐野信吉が
江戸に早馬を出した所、江戸を見下ろせることを危惧した徳川家康により、
廃城にさせられたとの逸話も伝わります。
今回は本丸から長門丸・金の丸・南城を散策します。
※aaaaaa殿、広告ありがとさんでござんす
唐沢山城其の一 → sm33787143
佐野氏の佐野城 → sm33748431
お城 → mylist/37297571- 132
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