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2024年5月16日 06時20分に生成された05時00分のデータです
2018-10-13 23:09:02
ノルベルト・ブルグミュラー:交響曲第1番 ハ短調 作品2Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=7MU14tyNkyg)。
ピアノ教則本で有名なヨハン・ブルグミュラーの弟であるノルベルト・ブルグミュラー(1810 - 1836)は、
優れた音楽の才能を嘱望されながら、26歳の若さでこの世を去った悲運の作曲家として知られています。
1830年、20歳のノルベルトは婚約者から破談を宣告されました。大きな衝撃を受た彼に、更に追い打ちを
かけたのが、この婚約者がその年の10月に死亡したことでした。もともと控えめな性格であったノルベル
トは度重なる衝撃に耐えられず、失意のどん底に陥り、ほどなくしててんかんを発症する(これが彼の間
接的な死因となります)など、後遺症に苦しめられます。
しかし、この失意から回復した後のノルベルトは再び創作活動に入り、2年の月日を掛けて1833年に念願の
交響曲第1番 ハ短調 作品2を完成させました。これは時期的にはベルリオーズの「幻想交響曲」(1830年)
とメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」(1833年)の間にあたりますが、曲想はむしろ後年のシュ
ーマンの交響曲第1番(1841年)に近く、彼の才能の片鱗を示していると同時に、その早すぎる死が惜しま
れる作品でもあります。
フリーダー・ベルニウス指揮
シュトゥットガルト・ホープカペレ- 248
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2018-10-14 13:10:02
ノルベルト・ブルグミュラー(シューマン補筆):交響曲第2番 ニ長調 作品11Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=Hc4pXAxkg9k)。
ピアノ教則本で有名なヨハン・ブルグミュラーの弟ノルベルト・ブルグミュラー(1810 - 1836)は、
作曲家としての能力は兄を上回る逸材として期待されていましたが、1836年に26歳の若さで亡くな
りました。当時、彼は交響曲第2番を作曲中でしたが、第2楽章までを完成させたものの、第3楽章の
途中まで作曲したところで絶筆となります。
ノルベルトの訃報を知ったシューマンは「シューベルトの早世以来、ブルグミュラーの早世ほど悲
しいことはない」と語るほどでしたが、せめて遺された交響曲第2番を演奏可能な形にすべく、第3
楽章を補筆して完成させました。ノルベルトは本作を標準的な4楽章制の交響曲にしようと考えてお
り、シューマンの補筆をもってしてもフィナーレを欠いた未完成作品であることに変わりはありま
せんが、それでも演奏時間は優に30分を超える規模であり、また第3楽章は重厚なスケルツォになっ
ているため、便宜的に3楽章の交響曲として聴くことが可能になっています。
なお、シューマンの補筆は彼が交響曲第1番「春」を完成させる5年前のことで、この補筆には後の
シューマンの交響曲を連想させる特徴が表れていると言われています。
デビッド・スターン指揮
コンチェルト・ケイン- 223
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2018-10-13 22:33:16
ノルベルト・ブルグミュラー:ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 作品1Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=jKX8NXOH55I)。
ピアノ教則本で有名なヨハン・ブルグミュラーの5歳下の弟であるノルベルト・ブルグミュラー
(1810 - 1836)は、幼いころから神童として知られ、ルイ・シュポーアに作曲を学び、将来を
嘱望されていました。しかし彼は26歳という若さでこの世を去り、その才能を知る多くの音楽
家から惜しまれました。
ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 作品1は1829年、ノルベルトが19歳の時に完成させた唯一の協奏曲で、
当時の彼は婚約直前の時期であったためか、音楽的に充実した作品となっています。本作は1歳
年上のメンデルスゾーン(第1番:1831年)や同い年のショパン(第2番:1830年)よりも早く
作曲されながら、その曲想が示すスケールの大きさは両者を上回り、ロマン派音楽のピアノ協
奏曲としてはシューマンの協奏曲(1845年)を先取りするかのような先進性を見せるなど、近
年では作曲者と同様に再評価が進んでいます。
ニコラウス・ラフゼン(ピアノ)
ヘリベルト・バイセル指揮
ハレ管弦楽団- 199
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