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2024年4月29日 06時22分に生成された05時00分のデータです
2018-09-29 10:56:02
ブルックナー(マーラー改訂稿):交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=4P5a_QdX5l0)。
1900年1月28日、ウィーン・フィルの定期演奏会において、首席指揮者であったマーラーはブルックナーの交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」を演奏しました。この時に使用された楽譜は、現在一般的に演奏される第2稿ではなく第3稿(通称「レーヴェ改訂版」)にマーラー自身が手を加えたものでした。ただ、この時の楽譜はパート譜が残存しているものの、出版されてはいませんでした。1984年、ブルックナーの交響曲全集録音を行っていた指揮者ロジェストヴェンスキーは、このパート譜を編纂して演奏可能な形に復元し、「マーラー改訂稿」として録音して、広く知られることとなります。
この改訂稿の最大の特徴は、批判派から「原曲から大幅なカットを行った改竄版」と呼ばれる第3稿から更に大幅なカットがなされていることで、第2~第4楽章は第3稿の2/3に圧縮されています。当然、このような解釈は批判が多い(マーラー自身もそれを認識していたためか「改訂稿」として出版していない)のですが、このように作品に対して演奏家が原曲の楽譜を「改訂」するのは後期ロマン派の時代においては一般的なことで、個人的には「こういう解釈で演奏されることもあった」という認識さえあれば、さほどカリカリするようなことでもないかと思います。
ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー指揮
ソビエト国立文化省交響楽団- 1,081
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2018-03-10 22:52:47
東方Project交響組曲 (東方アレンジ)草稿 2017-05-25 -1. 法界の火 0. 永夜抄 1. 故郷の星が映る海 2. 風神少女 3. 廃獄ララバイ 4. 緑眼のジェラシー 5. 旧地獄街道を行く 6. 亡き王女の為のセプテット 7. 天空の花の都 、人形裁判 8. 墨染の桜 9. 魔力の雷雲、始原のビート 10. 緋想天 11. 萃夢想 砕月 12. 少女さとり ~ 3rd eye (更新 sm36628573) 13. 死体旅行, 亡失のエモーション (更新 sm34601689) 14. - 15. 稲田姫様に叱られるから 16. 秘匿されたフォーシーズンズ (心の在処, 輝く針の小人族)
おつでした! もっと評価されてほしい いい 良い曲
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2018-10-19 22:42:02
グラズノフ:交響曲第5番 変ロ長調 作品55Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=WZeZtXPjqgg)。
アレクサンドル・コンスタンティノヴィチ・グラズノフ(1865 - 1936)はチャイコフスキー亡き後のロシア音楽界を作曲家・指揮者・教育者の3つの立場で主導しました。彼が作曲した交響曲8曲のうち、最高傑作とされているのが第5番 変ロ長調 作品55で、第1~3楽章はドイツ・ロマン派の影響が見て取れるものの、第4楽章はロシア由来の民族音楽の要素が前面に打ち出されており、曲全体としては西洋音楽とロシア音楽の様式を高いレベルで融合させた、チャイコフスキーの流れを受け継ぐ交響曲となっています。その輝かしい響きから「英雄」もしくは「ワグネリアン」という通称で呼ばれることがありますが、グラズノフ本人は本作を「沈黙の響き」「詩の建築」と評しています。
なお、指揮者ムラヴィンスキーはグラズノフの交響曲の中では本作を好んで演奏したといわれ、レニングラード・フィルとの来日公演でもプログラムに入れています。特に最後の来日公演となった、この1978年6月8日のNHKホールでのライヴ録音は、ムラヴィンスキーが遺したグラズノフの交響曲録音の中で最も高品質なもののひとつとされています。
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団うぽつ
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2018-11-18 12:15:02
ブリテン:「シンフォニア・ダ・レクイエム」作品20Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=IZAgYQSTTJA)。
1940(昭和15)年、日本政府は皇紀2600年を祝うために英仏独伊洪の各国政府を通じて奉祝曲の作曲依頼を行いました。このうち、イギリスは既に第2次世界大戦でドイツと交戦状態に入っており、ドイツとの関係を深める日本の要請には乗り気でなかったらしいのですが、当時アメリカに移住していたベンジャミン・ブリテン(1913 - 1976)に作曲を依頼します。このとき、26歳のブリテンは経済的に厳しい状況にあり、一説には「報酬目当てに自分から立候補した」ともいわれています。
作品は6月頃に完成し、日本に送付手続きが取られました。しかし、当時のイギリスはドイツ空軍の空襲に対する本土防衛戦の最中であり、送付手続きは大幅に遅れて9月にようやく日本に到着したものの、12月の式典までには練習時間が不足していました。また、作品名に「レクイエム」とあることで「祝典に鎮魂曲を演奏するのはふさわしくない」との意見が日本政府内で広まり、結局式典での演奏は拒否されました。本作の初演は翌1941年、バルビローリ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによってカーネギー・ホールにて行われました。本作の日本初演は戦後の1956(昭和31)年、来日したブリテン自身の指揮、NHK交響楽団によって行われています。
作品はブリテンが初めてフルオーケストラ編成により作曲した交響曲で、3楽章で構成されていますが、内容的には「レクイエムの要素が入った交響曲」であり、合唱パートはありません。本作作曲の3年前にブリテンは母と姉を失っており、肉親に対する鎮魂の意図が作品に込められていたのは確かなようです。
トーマス・アデス指揮
BBC交響楽団- 636
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2018-06-15 23:58:12
ドヴォルザーク(E・E・シュテンダー編):交響曲第9番 ホ短調「新世界より」作品95(オルガン版)Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=PqFKURKMMjQ&t=300s)。
ドイツのオルガニストであるエルンスト=エーリヒ・シュテンダーは、バッハをはじめとする
各作曲家のオルガン作品を演奏するのみならず、交響曲などの管弦楽作品をオルガン独奏用に
編曲して演奏することも行っています。
この動画もその一つで、名高いドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」全曲をオルガン
独奏用に編曲したものです。この手の編曲では第2楽章のみを対象とすることが圧倒的に多い
中、全4楽章を編曲しきったことは、原曲の管弦楽の響きを完全再現とまではいかなくとも、
充分に偉業と言ってもいいように思われます。
エルンスト=エーリヒ・シュテンダー(オルガン)おつ!! うぽつ! この辺がいろいろ潰れてて残念(´・ω・`) すげえ wktk
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2018-12-05 09:21:02
機動戦士ガンダム~逆袭のシャア~宿命機動戦士ガンダム~逆袭のシャア~宿命
*Last 2 bars come from Mahler 2.MAIN TITLEかSALLYの方もお願いいたします!アレ大好きなんです
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2018-05-18 20:47:14
ハイドン:交響曲第44番ホ短調Hob.I-44「悲しみ」Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=UegqnUU9I18)。
18世紀後半のドイツでは「シュトゥルム・ウント・ドラング (疾風怒濤)」と呼ばれる文学
運動が盛んとなっていました。これは、啓蒙思想や古典主義に顕著な「理性」「調和」の重
視に異を唱え、「理性」に対する「感情」の優越、すなわち感情や心の内面を隠すことなく
表に出すことで人間の本質を表す、というものです。ゲーテやシラーが実践したこの文学運
動にハイドンも共感して、それまでになかった生の感情や激しい曲想を取り入れた短調の作
品を手掛けるようになります。暗い雰囲気の短調は当時の観衆から好まれなかった時代であ
ったことを考えると、これはかなりの冒険だったと思われます。
交響曲第44番ホ短調Hob.I-44はそういった作品の1つですが、ハイドン自身にとって会心の出
来だったようで、特に第3楽章については「自分の葬式の際に演奏してほしい」と語ったとさ
れています。そして彼の葬儀にはモーツァルトのレクイエムが演奏されたものの、ベルリン
での追悼祭においては希望通りに第3楽章が演奏されました。本作の通称が「悲しみ」なのは、
この逸話によるものです。
なお、後にブラームスがウィーン楽友協会芸術監督(1872年~1875年)を務めた際に、その
演奏会で指揮者として演奏した交響曲は本作のみで、その後の1885年に交響曲第4番を作曲す
るにあたって調性を「ホ短調」としたのは、本作の影響があったとする説が唱えられています。
クリストファー・ホグウッド指揮
エンシェント室内管弦楽団- 601
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2018-05-19 08:07:06
交響曲をつまみ食いする作業用BGMクラシックの中でも長大で超絶技巧などの分かりやすさが少ない交響曲というジャンルはクラシック初心者にとっつきにくい。
ということで、交響曲を裁断し、少々のピアノ曲を緩衝材に寄せ集めた冒涜的動画。コンピレーションアルバムみたいな。つなぎがクソなのは許して。
背景が「MEMORIES」のばっかだけど意味はないです。
作曲:マーラー、レントヘン、シューマンなど
指揮:バルビローリ、サヴァリッシュ、ゲルギエフなど
ピアノ曲イロイロsm33263989
南米のピアノ sm33327580
クラシック作業用BGM動画一覧mylist/62149666この曲いい! 背景のアニメ何? うぽつ
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2018-05-11 22:31:12
グリーグ:交響曲ハ短調 EG.119Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=heaPy7cBMHA)。1863年、それまでピアノ曲や歌曲といった小規模作品を手掛けていたグリーグは、初めての大規模な管弦楽曲作品として交響曲の作曲に取り組み、翌1864年に完成させました。
作品はメンデルスゾーンやシューマンといったドイツ・ロマン派の作曲家の影響が濃厚に見て取れますが、作曲当時のグリーグが20歳(5年後にピアノ協奏曲を作曲)であったことを考えると、むしろきちんと様式に従ったうえで北欧の作曲家として個性を出そうとしている部分を評価すべきかと思います。
しかし、後のグリーグ自身は本作を「ドイツの影響を受けすぎた」と考え、楽譜に「決して演奏してはならない」と書き込んで、作品番号を付けることもせずに封印してしまいました。 結局この作品が再び日の目を見るのは、楽譜が遺族の手からベルゲンの公立図書館に移され、1981年に蘇演されてからとなります。
ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団888888888888888888
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2018-03-30 23:59:27
ジークフリート・ワーグナー:交響曲ハ長調より 第2楽章(原典版)Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=Id64uPCw6P0&t=6s)。
リヒャルト・ワーグナーの息子であるジークフリート・ワーグナー(1869 - 1930)は、作曲家としては多作で、オペラの数は父より多い19作、他に交響詩や協奏曲などの器楽曲も手がけました。ただし、彼は作曲を父リヒャルトから直接学んでおらず、歌劇「ヘンゼルとグレーテル」のフンパーディンクに学んだため、生前から「保守的」との評価が一般的で、後世まで演奏される作品はほとんどありません。
彼が作曲した交響曲は、奇しくも父と同じく1曲で、調性も同じくハ長調ですが、後期ロマン派の感覚が濃厚な原典版が作曲されたのは1925年で、アルバン・ベルクが「抒情組曲」に着手した年であることを考えると「古色蒼然」と言わざるを得ません。ただし、第2楽章には父リヒャルトの「トリスタンとイゾルデ」を思い起こさせる和音の使い方が聴かれ、ワーグナーの血筋を感じさせます。
なお、この第2楽章は1927年に第2稿が書かれており、原典版がイ短調で4分の4拍子なのに対し、ト長調の4分の2拍子に変更されています。
ヴェルナー・アンドレアス・アルベルト指揮
ラインラント=プファルツ州立フィルハーモニー管弦楽団- 504
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2018-09-02 21:47:02
ヨアヒム・ラフ:交響曲第5番ホ長調「レノーレ」作品177Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=K1gG2FI7Kbc&t=4s)。
1774年、ドイツの「疾風怒濤」時代に活躍した詩人ゴットフリート・アウグスト・ビュルガー(1747-1794)は、彼の代表作となるバラード「レノーレ」を発表します。この作品のあらすじは、
「兵士として出征した恋人ヴィルヘルムを待ち続ける娘レノーレは、戦争が終わっても彼が戻ってこないことを嘆き、神を冒涜する言葉を発する。しかし、その日の晩に鎧を着けた騎兵の姿のヴィルヘルムが現れ、『これから婚礼の場所へ行く』とレノーレを馬に乗せて駆け出す。夜明け前、二人は婚礼の場所にたどり着くが、そこは墓場であり、死者たちが墓からよみがえる。レノーレを連れてきたヴィルヘルムは体から肉が崩れ去り、骸骨の姿の死神と化して、彼女を墓場の地下深くの穴に引きずり込むのだった」
という、怪奇小説の先駆けと言うべきものでした。このバラードは「うら若き乙女と馬に同乗する死神」という強烈なヴィジュアル・イメージを周囲に植え付け、ロマン主義の全盛期である19世紀には「レノーレ」を題材にした芸術作品が数多く登場します。
音楽の分野では、リストのピアノ独奏のためのバラード第2番(sm33782037)が本作を下敷きにしているという説もありますが、より直接的なのが、リストの弟子であったスイス出身のヨーゼフ・ヨアヒム・ラフ(1822-1882)の交響曲第5番ホ長調「レノーレ」作品177で、「愛の幸福」「別離」「死しての再会」の3部で構成されていますが、「愛の幸福」は2つの部分に別れているため、実質的には標準的な4楽章の交響曲となっています。本作は標題音楽と正統な古典派交響曲様式の融合が高いレベルでなされており、1873年の初演で大成功を収めたあとは海外でも繰り返し演奏され、後世の標題付交響曲に大きな影響を与えました。現在では、本作はラフの交響曲の最高傑作と評価されています。
バーナード・ハーマン指揮ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団吸血鬼解説でレノーレ知ったけど、こんな曲なんか 第3部:死しての再会 第2部:別離 (アンダンテ、クアジ・ラルゲット) (アレグロ) 第1部:愛の幸福
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2018-02-10 23:11:09
ベートーヴェン:交響曲第2番 ニ長調 作品36(ピアノ三重奏版)Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=-PoBiubTFJQ&t=112s)。
交響曲第3番「英雄」の公開初演を行った1805年、ベートーヴェンは自ら交響曲第2番をピアノ三重奏用に編曲し、楽譜を出版しました。当時は王宮や貴族が所有するオーケストラ以外に確かな技術を持つ演奏家が少なかったことから、大編成の管弦楽曲は演奏の機会に恵まれないことが多々ありました。このような事態は他の作曲家の作品でも多かったため、庶民に作品を認知してもらうべく、管弦楽曲を室内楽に編曲する試みが頻繁に行われています。ベートーヴェン自身によるこの編曲版も、そのような動きの一環といえます。
ロバート・レヴィン(ピアノ)
ピーター・ハンソン(ヴァイオリン)
デイヴィッド・ワトキン(チェロ)1
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2018-08-25 00:10:02
ヨアヒム・ラフ:交響曲第1番ニ長調「祖国に寄す」作品96Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=292A0Ixj0OU)。
ヨーゼフ・ヨアヒム・ラフ(1822 - 1882)は、スイス出身の作曲家で、若いころはリストに弟子入りし、交響詩などの彼の管弦楽作品の作曲を手伝って管弦楽技法を習得して、1856年に独立してからは精力的な作曲活動を約20年にわたって行いました。ラフの最も有名な作品は「ヴァイオリンとピアノのための6つの小品」作品85の第3曲「カヴァティーナ」ですが、彼が最も力を入れたジャンルは交響曲で、その生涯に13曲(未完作品を含む)を遺し、ブラームスが登場する前までは「現在ドイツ最大の交響曲作曲家」と高く評価されました。 これらの交響曲は、リストの交響詩等の標題音楽を古典的な交響曲様式に落とし込むというコンセプトで一貫しており、後のチャイコフスキー等の国民楽派の交響曲に大きな影響を与えました。
ラフの交響曲第1番ニ長調「祖国に寄す」作品96は全5楽章からなり、ウィーン楽友協会の作曲コンクールで第1位を獲得したことで、彼の出世作となります。なお、副題の「祖国」とは彼の出身地スイスではなく、大ドイツ主義に基づくドイツ圏全体を指しています。
ハンス・シュタットルマイアー指揮バンベルク交響楽団- 442
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2018-09-30 12:38:02
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調(ヘルマン・シェルヘン指揮フィラデルフィア管)Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=6DSslGg-cDk)。
ドイツの指揮者ヘルマン・シェルヘン(1891 - 1966)が遺したマーラーの交響曲録音は、その個性的な解釈による演奏がスキャンダルを巻き起こしたことで知られています。特に有名(悪名高い)なのが交響曲第5番の演奏で、フランス国立放送管弦楽団を指揮した1965年のライブ録音は、シェルヘンの解釈に加えて、アンサンブルが崩壊しかけながら必死に指揮に追いつこうとするオーケストラ、演奏終了後の「ブラボー」とブーイングが飛び交う聴衆の反応など、一度聴いたら忘れられない記録となっています。
しかし、実はその前年である1964年、シェルヘンはフィラデルフィア管弦楽団を指揮してほぼ同じ解釈で交響曲第5番を演奏し、アメリカデビューを果たしています。この演奏はラジオ番組として実況放送され、録音も遺されました(なので演奏の前後に番組司会のナレーションが入っている)。技量に優れるフィラデルフィア管はシェルヘンの指揮によく応え、アンサンブルを破綻させることなく演奏しています。聴衆の反応も「ブラボー」一色の好意的なもので、この曲に対するシェルヘンの解釈を冷静に批評するのであれば、フランス国立放送管との録音よりこちらの方が有益と思います。
この演奏の特色は、第1・第2楽章の急激なテンポ変更、第3・第5楽章の大幅カット、第4楽章の遅さ(約15分)により、通常70分以上かかる演奏時間が1時間以内に収まるという極端なものです。一説には、ラジオ番組の放送時間(1時間)以内に収めるためだったとされています。
ヘルマン・シェルヘン指揮フィラデルフィア管弦楽団- 386
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2018-05-11 23:10:11
ヨハン・スヴェンセン:交響曲第1番ニ長調 作品4Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=VXs0y5mXRUQ)。ヨハン・セヴェリン・スヴェンセン(1840 - 1911)はノルウェーの作曲家で、3歳年下のグリーグと共に、北欧の国民楽派を牽引する役割を果たしました。グリーグがピアノ曲などの小規模編成の作品を得意としたのと対照的に、スヴェンセンは交響曲などの大規模管弦楽作品を得意とし、生前は作曲家・指揮者として名声を博しました。
スヴェンセンの交響曲第1番ニ長調 作品4は1867年、彼が27歳のときの作品です。メンデルスゾーンやシューマン等のドイツ・ロマン派の影響を受けつつも、第3楽章に民族的な舞曲を導入するなど、北欧の作曲家としてのスヴェンセンの個性が如実に表れており、スヴェンセンの名声を高めた出世作となりました。
なお、本作を聴いたグリーグは「(北欧要素の導入という)アイディアと(管弦楽法)技術の完壁なバランス」を絶賛する一方、自作の「交響曲 ハ短調」があまりにドイツ・ロマン派の影響を受けすぎているとして封印してしまうこととなります。
マリス・ヤンソンス指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団88888888888888888888 楽しい
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2018-08-10 20:38:02
チャイコフスキー(タネーエフ編):交響曲第4番ヘ短調 作品36(4手ピアノ版)Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=_RhOp6QY2Vg)。
ロシアの作曲家、ピアニスト、教育者であるセルゲイ・イヴァノヴィチ・タネーエフ(1856 - 1915)は、作曲に関してはチャイコフスキーの弟子として多くを学んだことから、彼が遺した未完の草稿に補筆して完成させたり、多くの作品を編曲するといった活動をしばしば行いました。
そのような活動の一つとしてタネーエフが行ったのが、チャイコフスキーの交響曲第4番ヘ短調 作品36の4手ピアノ編曲版です。タネーエフ自身が、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のモスクワ初演や第2番の初演を担当するほどの優秀なピアニストだっただけあって、この編曲版は原曲のエッセンスをうまく引き出した名編曲となっています。
アンソニー・ゴールドストーン、キャロライン・クレモウ(ピアノ)- 332
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2018-08-25 21:12:02
サンマルティーニ:交響曲イ長調 J-C 60Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=N9zW4teglfI)。
イタリアの古典派作曲家であるジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニ(1700頃 - 1775)は、器楽曲を中心として作曲活動を行い、数多くの協奏曲や室内楽曲、そして最初期の交響曲を70曲以上(一説には78曲)遺しました。
彼の交響曲は、オペラの序曲として作曲された器楽曲数曲をオペラ本体から独立させて、演奏会用に3楽章の曲として編集するというシンプルなもので、演奏時間も15分弱程度と短いですが、サンマルティーニは従来「交響曲の父」とよばれるハイドンより約30歳年上であり、近年では実質的な古典派様式の交響曲を初めて作曲した「交響曲の始祖」であると再評価されるようになっています。
この交響曲イ長調 J-C 60はサンマルティーニの交響曲としてはごく標準的な作品で、バロック音楽の合奏協奏曲からハイドンの交響曲に変化していくまでの中間的な構成様式がわかりやすく示されています。
アレッサンドラ・ロッシ・ルーリック指揮アカデミア・ダルカディア- 297
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2018-03-10 17:28:25
チャイコフスキー 交響曲第五番 ホ短調 [DTM]チャイコフスキー作曲交響曲第五番ホ短調全曲です。作曲者のメトロノーム指定に従ったテンポで演奏するようにしています。Overture5.5を使いGarritan Personal Orchestra5、MiroslavPhilharmonick2、Kirk Hunter StudiosのConcert Strings2 Concert Brass Legacyなどのソフト音源を使用して演奏しています。
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2018-01-06 14:38:09
グスタフ・マーラー 交響曲第五番 嬰ハ短調 [DTM]マーラー作曲交響曲第五番嬰ハ短調全曲です。以前アップしたものに手を入れて録音しなおしました。音量レベルをはじめ楽章ごとの音の統一が取れていない部分もあるので機会があれば最初から作り直したいと思います。
生だと聞こえにくい部分も聞こえるね 88888888888888888888888888
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2018-10-13 23:09:02
ノルベルト・ブルグミュラー:交響曲第1番 ハ短調 作品2Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=7MU14tyNkyg)。
ピアノ教則本で有名なヨハン・ブルグミュラーの弟であるノルベルト・ブルグミュラー(1810 - 1836)は、
優れた音楽の才能を嘱望されながら、26歳の若さでこの世を去った悲運の作曲家として知られています。
1830年、20歳のノルベルトは婚約者から破談を宣告されました。大きな衝撃を受た彼に、更に追い打ちを
かけたのが、この婚約者がその年の10月に死亡したことでした。もともと控えめな性格であったノルベル
トは度重なる衝撃に耐えられず、失意のどん底に陥り、ほどなくしててんかんを発症する(これが彼の間
接的な死因となります)など、後遺症に苦しめられます。
しかし、この失意から回復した後のノルベルトは再び創作活動に入り、2年の月日を掛けて1833年に念願の
交響曲第1番 ハ短調 作品2を完成させました。これは時期的にはベルリオーズの「幻想交響曲」(1830年)
とメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」(1833年)の間にあたりますが、曲想はむしろ後年のシュ
ーマンの交響曲第1番(1841年)に近く、彼の才能の片鱗を示していると同時に、その早すぎる死が惜しま
れる作品でもあります。
フリーダー・ベルニウス指揮
シュトゥットガルト・ホープカペレ- 247
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2018-05-31 11:19:11
2018.5.30 京都芸術花火 【京都競馬場】 ⑦花火とMMDをうpしてる火龍と言います。
文化庁京都移転の記念で開催しました。
来年もあるそうです^^b
曲ことに分けました。
曲:ベートーベン交響曲第9番 ニ短調 作品 125 合唱 第4楽章 / →Pia-no-jaC←
11曲メドレーはこちらです →sm33291397
撮影場所:京都競馬場内(カメラエリア)
※曲は芸術花火のホームページで書いているのを映しました。→ https://www.kyoto-hanabi.com/
次回の投稿は6月9日、愛知県蒲郡市の「はなびFes.2018 in ラグーナビーチ 」です。
『うp主が出してる今年のMMD&花火動画のマイリスト』
MMD動画→ mylist/57902780
花火動画→ mylist/57902796
火龍のコミュニティ→ co378925
ブログ「日本の花火(ニコニコ動画)」→ http://ameblo.jp/hanabi-kt- 238
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2018-04-28 00:00:08
シューマン:ツヴィッカウ交響曲 ト短調(初演版)Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=XK3AR0FAXt4)。1832年、22歳のシューマンは初めて交響曲の作曲に着手します。彼は3楽章構成の交響曲にすると決めて同年中に第1楽章を完成させ、初演までこぎつけましたが、全く評判になりませんでした。翌年には第1楽章の改訂(序奏8小節の削除など)と並行して第2楽章を完成させたものの、その後のシューマンはピアノ曲の作曲に専念するようになり、結局は最終楽章が書かれないまま、作品番号も付けられることなく放置されました。この未完成に終わった交響曲は、シューマンの故郷にして初演された場所の地名を取って「ツヴィッカウ交響曲」と呼ばれています。
なお、シューマンはこの後もハ短調の交響曲の作曲に挑みますが、こちらも作曲途中で放棄されることとなり、最初の完成された交響曲である第1番「春」作品38を書き上げるのは、それから9年後の1841年となります。投稿者様、誰の演奏か教えていただけるとありがたいです
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2018-11-23 20:39:03
カール・ゴルトマルク:交響曲「田舎の婚礼」作品26Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=6eoIl8GKXbc)。
カール・ゴルトマルク(1830 - 1915)はハンガリー出身のユダヤ人作曲家で、ワーグナー派とブラームス
派が対立した19世紀後半のウィーンにおいて、両者の影響を受けつつ、オペラや交響曲などの多彩なジャ
ンルにおいて作曲を行い、生前は高く評価されました。 また、3歳年下のブラームスとはウィーンで同じ散
歩道を歩く同士として、交流が多かったといわれています。
代表作の1つである交響曲「田舎の婚礼」作品26は1875年に作曲され、翌1876年に初演されました。本作
は初演直後から好評で、ブラームスも「あなたの今までの作品の中で最高の曲だ」と絶賛したと伝えられ
ています。ゴルトマルクが死後にほとんど忘れ去られかけた時代においてもレパートリーとして根強く残
り、トマス・ビーチャムやレナード・バーンスタインも録音を遺しています。
構成は「婚礼の行進」「新郎新婦の歌」「セレナード」「庭園にて」「舞踊」の5楽章からなり、標題通り
に中欧における農村の結婚風景をわかりやすく描写しています。また、通常の交響曲では終楽章に採用さ
れることが多い「変奏曲」の様式が、本作では第1楽章「婚礼の行進」となっており、本作以外の交響曲で
はほとんど見られない特徴となっています。
モーリス・アブラヴァネル指揮
ユタ交響楽団- 230
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2018-10-14 13:10:02
ノルベルト・ブルグミュラー(シューマン補筆):交響曲第2番 ニ長調 作品11Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=Hc4pXAxkg9k)。
ピアノ教則本で有名なヨハン・ブルグミュラーの弟ノルベルト・ブルグミュラー(1810 - 1836)は、
作曲家としての能力は兄を上回る逸材として期待されていましたが、1836年に26歳の若さで亡くな
りました。当時、彼は交響曲第2番を作曲中でしたが、第2楽章までを完成させたものの、第3楽章の
途中まで作曲したところで絶筆となります。
ノルベルトの訃報を知ったシューマンは「シューベルトの早世以来、ブルグミュラーの早世ほど悲
しいことはない」と語るほどでしたが、せめて遺された交響曲第2番を演奏可能な形にすべく、第3
楽章を補筆して完成させました。ノルベルトは本作を標準的な4楽章制の交響曲にしようと考えてお
り、シューマンの補筆をもってしてもフィナーレを欠いた未完成作品であることに変わりはありま
せんが、それでも演奏時間は優に30分を超える規模であり、また第3楽章は重厚なスケルツォになっ
ているため、便宜的に3楽章の交響曲として聴くことが可能になっています。
なお、シューマンの補筆は彼が交響曲第1番「春」を完成させる5年前のことで、この補筆には後の
シューマンの交響曲を連想させる特徴が表れていると言われています。
デビッド・スターン指揮
コンチェルト・ケイン- 223
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2018-05-05 13:29:12
モーツァルト(フランツ・テオドール・シューベルト編):交響曲第38番 ニ長調「プラハ」K.504(弦楽五重奏版)Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=QE4cE6y-80Q&t=90s)。フランツ・シューベルトの父フランツ・テオドールは教区の教師を務めていましたが、アマチュア音楽家でもあり、息子たちに音楽や楽器の演奏法を教えて、しばしば自宅で自分と息子たちによる私的な室内楽の演奏会を開いていました。曲目はテオドールが作曲したものが多かったようですが、当時の有名曲を室内楽用に編曲したものもありました。
そんなテオドールの死後、遺品の中からモーツァルトの「プラハ」交響曲の弦楽五重奏版の楽譜が発見されています。専門家によると、これはテオドール自身が編曲したもので、息子フランツは第1ヴィオラを担当して、シューベルト家で開かれた演奏会で演奏したと考えられています。
ウィーン・シューベルト・アンサンブルこれは初めて聴きましたありがとう
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2018-11-16 20:25:01
ピツェッティ:交響曲 イ調Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=U5S0nAujlMU)。
1940(昭和15)年、日本政府は皇紀2600年を祝うため、英仏独伊洪の5か国に祝典曲の作曲依頼を行いました。このうち、イタリア政府は祝典曲の作曲者としてミラノ音楽院長のイルデブランド・ピツェッティ(1880 - 1968)に協力を要請します。当時、ピツェッティは日本との同盟を促進していたファシスト政権と近しい関係にあり、後期ロマン派に属しつつもルネサンス音楽やバロック音楽への回帰を志向していたため、祝典曲の作曲にふさわしい人物と判断されました。そうして作曲されたのが「交響曲 イ調」です。完成した楽譜は同年7月に日本へ送られ、同年12月に初演されました。ピツェッティには謝礼と共に印刷された楽譜とスタジオ録音されたSPレコードが送られています。
作品としては、海外の作曲家による皇紀2600年奉祝曲の中では最大の規模を誇り、後期ロマン派の流れを汲みながらグレゴリオ聖歌風の主題が循環するという新古典主義の傾向が混在する、4楽章制の標準的な交響曲となっています。
ニーノ・サンツォーニョ指揮ミラノ・イタリア放送響- 200
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2018-11-14 11:09:02
Chrono Triggerクロノ・トリガー 交響組曲Selections from Chrono Trigger - Orchestral Suite (2016 draft)
クロノ・トリガー 交響組曲
Original video : https://www.youtube.com/watch?v=ZuAI3nzFDHo
List :
1. Presentiment
2. Main Theme
42. Magus Battle
4. Peaceful Days
6. Millennial fair
44. Tyrano (Intro)
17. Fanfare
18. Kingdom Trial
9. Wind Scene
16. Frog's Theme
45. At The Bottom of Night
46. Corridors of Time
58. Epilogue
65. World Revolution
59. To Far Away Times
1. Presentiment- 183
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2018-05-22 18:18:04
【DTM】ブラームス 交響曲第3番第3楽章1883年作曲。とてもせつないメロディーの主部と、不思議な雰囲気の中間部からなる一曲です。主題の合間、長調になって2種類の楽器がメロディーを受け渡していくあたりが好きです
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2018-01-08 14:33:07
シューマンの交響曲第三番 変ホ長調「ライン」[DTM]シューマン作曲交響曲第三番変ホ長調「ライン」です。各楽章楽譜に記載されたメトロノーム表示でほぼ演奏しているので通常より速く感じられるかもしれません。特に第四楽章はケルン大聖堂と戴冠式に影響されているとされていますが、楽譜の指示通りだとそういった荘厳な感じがあまりしないのではないかと思います。そうはいってもシューマンはそう指示しているのでそのように演奏してみました。
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2018-11-25 22:29:02
クロノ・トリガー 遙かなる時の彼方へ Chrono Trigger To Far Away TimesChrono Triggerクロノ・トリガー To Far Away Times
Update of last movement of https://www.nicovideo.jp/watch/sm34170720- 136
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2018-03-27 13:27:17
交響曲第2番 ホ短調4楽章構成の自作品です。
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2018-10-04 21:12:02
【オリジナル】幻想音画祭りOST DEMOー悪月&ヤンデレシンデレラ幻想音画祭りOST
13.悪月(DEMO)
14.ヤンデレシンデレラ(DEMO)
Composer: Samune Masakib
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2018-11-17 21:36:02
ヴェレシュ:交響曲第1番より 第3楽章「終曲」Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=x9lMUGSgLN8)。
1940(昭和15)年の皇紀2600年奉祝曲として作曲されたヴェレシュ・シャーンドル(1907 - 1992)の交響曲第1番は、同年12月の演奏会にて橋本國彦の指揮、紀元二千六百年奉祝交響楽団(6つの演奏団体の団員を臨時に編成)の演奏により初演が行われ、スタジオ録音によるSPレコードも発売されました。しかし、本作は日本とハンガリーが枢軸国であったことから誕生した作品であること、さらにヴェレシュが戦後のハンガリー社会主義政権を嫌ってスイスに亡命したため、彼の作品が長らくハンガリー国内で演奏禁止とされたことなどから、初演以降は演奏も録音もされない幻の作品となっていました。
本作が再び日の目を見たのは、2002(平成14)年2月にハンガリーのフンガトロン社が新規の録音を行ったことによります。これは、同年7月に天皇陛下がハンガリーを訪問されるのにあわせたもので、この録音CDはフンガトロン社から直接陛下に献上されました。
第1楽章:sm34187186
第2楽章:sm34187440
タマーシュ・パール指揮
サヴァリア交響楽団- 102
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2018-11-17 20:51:02
ヴェレシュ:交響曲第1番より 第1楽章「前奏曲」Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=qwvv8yW-O9I)。
1940(昭和15)年、日本政府は皇紀2600年の記念事業の一環として、海外の作曲家に奉祝曲を依頼するため、英仏独伊、そして枢軸国であったハンガリー政府に協力を要請します。これに対してハンガリー政府が選んだのが、ブダペストの民族音楽研究所でバルトークの助手を務めた経験もあった作曲家・民族音楽学者のヴェレシュ・シャーンドル(1907 - 1992)でした。彼は祝典用であることと祭典の時期から勘案して、作品を3楽章のやや小ぶりな交響曲として極めて短期間に仕上げました。これが、ヴェレシュが作曲した最初の交響曲となります。
なお、ヴェレシュは作曲家としてよりは音楽教師としての功績が大きく、リゲティ、クルターグ、ハインツ・ホリガーに作曲を教えています。 このことから、近年ではハンガリーの音楽史においてバルトークとリゲティの間をつなぐ重要な存在として再評価されているほか、教え子のホリガーが彼の作品をレパートリーとしてしばしばとりあげています。
第2楽章:sm34187440
第3楽章:sm34187544
タマーシュ・パール指揮
サヴァリア交響楽団- 102
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2018-02-20 03:22:17
宇宙共鳴 Cosmic Sympathy with Earth オーケストラ ピアノ協奏曲 幻想曲 オリジナル【コメント&お気に入りありがとうございます(涙)‼】
森の動物たちで編成した最初のオーケストラ曲です♪メンバーはTwitterで紹介してます。
https://twitter.com/CosmoHarmony1231コメだ( ^ω^)おっ
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2018-11-17 21:12:02
ヴェレシュ:交響曲第1番より 第2楽章Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=PwwAOcUbbqU)。
ハンガリーの作曲家・民族音楽学者であるヴェレシュ・シャーンドル(1907 - 1992)は、1940(昭和15)年に日本政府から皇紀2600年奉祝曲の作曲依頼に応じて交響曲第1番を作曲しました。
本作は3楽章の小ぶりな様式だったこともあり、依頼から極めて短期間で作曲されています。日本政府は他に英仏独伊の各国の作曲家にも奉祝曲を依頼していましたが、彼らの作品譜(単独の祝典序曲を含む)が同年7月頃に日本に到着したのに比べ、ヴェレシュの交響曲は5月に楽譜が日本に届けられており、ヴェレシュの作曲速度がそれだけ速かったことがうかがえます。ただ、作品の内容は祝祭気分が強く明るい曲調である反面、深みに乏しい面もあり(祝典用の曲である以上仕方がないともいえます)、作曲速度の速さはヴェレシュが「手を抜いた」ことの裏返しと見る向きもあるようです。
第1楽章:sm34187186
第3楽章:sm34187544
タマーシュ・パール指揮
サヴァリア交響楽団- 65
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