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2024年5月14日 06時21分に生成された05時00分のデータです
2018-11-18 12:15:02
ブリテン:「シンフォニア・ダ・レクイエム」作品20Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=IZAgYQSTTJA)。
1940(昭和15)年、日本政府は皇紀2600年を祝うために英仏独伊洪の各国政府を通じて奉祝曲の作曲依頼を行いました。このうち、イギリスは既に第2次世界大戦でドイツと交戦状態に入っており、ドイツとの関係を深める日本の要請には乗り気でなかったらしいのですが、当時アメリカに移住していたベンジャミン・ブリテン(1913 - 1976)に作曲を依頼します。このとき、26歳のブリテンは経済的に厳しい状況にあり、一説には「報酬目当てに自分から立候補した」ともいわれています。
作品は6月頃に完成し、日本に送付手続きが取られました。しかし、当時のイギリスはドイツ空軍の空襲に対する本土防衛戦の最中であり、送付手続きは大幅に遅れて9月にようやく日本に到着したものの、12月の式典までには練習時間が不足していました。また、作品名に「レクイエム」とあることで「祝典に鎮魂曲を演奏するのはふさわしくない」との意見が日本政府内で広まり、結局式典での演奏は拒否されました。本作の初演は翌1941年、バルビローリ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによってカーネギー・ホールにて行われました。本作の日本初演は戦後の1956(昭和31)年、来日したブリテン自身の指揮、NHK交響楽団によって行われています。
作品はブリテンが初めてフルオーケストラ編成により作曲した交響曲で、3楽章で構成されていますが、内容的には「レクイエムの要素が入った交響曲」であり、合唱パートはありません。本作作曲の3年前にブリテンは母と姉を失っており、肉親に対する鎮魂の意図が作品に込められていたのは確かなようです。
トーマス・アデス指揮
BBC交響楽団- 636
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2018-05-13 21:44:16
ドビュッシー:燃える炭火に照らされた夕べYoutubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=XnnEiBb7Dyg)。1917年の冬、ドビュッシーは末期の直腸がんに苦しむ闘病生活を送っていました。しかし、当時のフランスは第一次世界大戦による総力戦体制のため多くの物資が欠乏しており、特にこの冬は暖炉にくべるための石炭が不足していました。幸い、ドビュッシーの名声を知る石炭屋が彼の家に便宜を図ったため、冬を越せるだけの石炭を得ることができましたが、その見返りとして石炭屋はドビュッシーに曲を注文しました。それに応じて作曲されたのが「燃える炭火に照らされた夕べ(Les soirs illuminés par l'ardeur du charbon)」です。
この長い題名はボードレールの詩集「悪の華」に収められた詩「バルコニー」からの一節によるもので、石炭屋から依頼を受けたため「燃える炭火に(par l'ardeur du charbon)」という箇所を含んだ一節を選んだと考えられています。全体で23小節、約2分30秒の小品で、楽譜に指示された強弱記号もpp, mp, pの弱音のみの静かな雰囲気を漂わせており、晩年のドビュッシーの心境をうかがわせるものとなっています。
この曲の存在は長い間知られていませんでしたが、2001年にアメリカで自筆譜が発見されました。そして研究の結果、従来ドビュッシー最後の完成作とされていたヴァイオリンソナタより後に作曲されたことが判明しています。つまり、本作がドビュッシー最後の完成作品となります。
ジャン=エフラム・バヴゼ(ピアノ)- 312
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2018-07-01 20:31:02
ヒンデミット(キース・ウィルソン編):ウェーバーの主題による交響的変容(吹奏楽版)Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=OqKBDucKyek)。
ヒンデミットはナチスの迫害を恐れて1940年に渡米し、1943年に代表作の一つである「ウェーバーの主題による交響的変容」を作曲しました。この作品は、その名の通りウェーバーのピアノ連弾曲「8つの小品」作品60(sm33448379)、「6つのやさしい小品」作品10a(sm33454601)、劇付随音楽「トゥーランドット」作品75の序曲(sm33442990)の中から主題を引用し、自由に管弦楽作品として編曲・変奏したものです。
管弦楽作品として作曲された本作ですが、管楽器の使用法が際立っていたことから、ヒンデミットはアメリカ滞在中にイェール大学にて音楽学部長として教鞭を執っていた頃、同大学のクラリネット科教授キース・ウィルソン(バンドディレクターも務めていた)に依頼して、吹奏楽版の編曲が行われました。これにより、本作は20世紀に作られた音楽作品として、管弦楽版も吹奏楽版も有数の知名度を誇る成功作となっています。
ミグリアロ・ユージーン・コーポロン指揮ノース・テキサス・ウィンド・シンフォニー- 214
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2018-11-16 20:25:01
ピツェッティ:交響曲 イ調Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=U5S0nAujlMU)。
1940(昭和15)年、日本政府は皇紀2600年を祝うため、英仏独伊洪の5か国に祝典曲の作曲依頼を行いました。このうち、イタリア政府は祝典曲の作曲者としてミラノ音楽院長のイルデブランド・ピツェッティ(1880 - 1968)に協力を要請します。当時、ピツェッティは日本との同盟を促進していたファシスト政権と近しい関係にあり、後期ロマン派に属しつつもルネサンス音楽やバロック音楽への回帰を志向していたため、祝典曲の作曲にふさわしい人物と判断されました。そうして作曲されたのが「交響曲 イ調」です。完成した楽譜は同年7月に日本へ送られ、同年12月に初演されました。ピツェッティには謝礼と共に印刷された楽譜とスタジオ録音されたSPレコードが送られています。
作品としては、海外の作曲家による皇紀2600年奉祝曲の中では最大の規模を誇り、後期ロマン派の流れを汲みながらグレゴリオ聖歌風の主題が循環するという新古典主義の傾向が混在する、4楽章制の標準的な交響曲となっています。
ニーノ・サンツォーニョ指揮ミラノ・イタリア放送響- 201
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2018-11-17 21:36:02
ヴェレシュ:交響曲第1番より 第3楽章「終曲」Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=x9lMUGSgLN8)。
1940(昭和15)年の皇紀2600年奉祝曲として作曲されたヴェレシュ・シャーンドル(1907 - 1992)の交響曲第1番は、同年12月の演奏会にて橋本國彦の指揮、紀元二千六百年奉祝交響楽団(6つの演奏団体の団員を臨時に編成)の演奏により初演が行われ、スタジオ録音によるSPレコードも発売されました。しかし、本作は日本とハンガリーが枢軸国であったことから誕生した作品であること、さらにヴェレシュが戦後のハンガリー社会主義政権を嫌ってスイスに亡命したため、彼の作品が長らくハンガリー国内で演奏禁止とされたことなどから、初演以降は演奏も録音もされない幻の作品となっていました。
本作が再び日の目を見たのは、2002(平成14)年2月にハンガリーのフンガトロン社が新規の録音を行ったことによります。これは、同年7月に天皇陛下がハンガリーを訪問されるのにあわせたもので、この録音CDはフンガトロン社から直接陛下に献上されました。
第1楽章:sm34187186
第2楽章:sm34187440
タマーシュ・パール指揮
サヴァリア交響楽団- 103
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2018-11-17 20:51:02
ヴェレシュ:交響曲第1番より 第1楽章「前奏曲」Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=qwvv8yW-O9I)。
1940(昭和15)年、日本政府は皇紀2600年の記念事業の一環として、海外の作曲家に奉祝曲を依頼するため、英仏独伊、そして枢軸国であったハンガリー政府に協力を要請します。これに対してハンガリー政府が選んだのが、ブダペストの民族音楽研究所でバルトークの助手を務めた経験もあった作曲家・民族音楽学者のヴェレシュ・シャーンドル(1907 - 1992)でした。彼は祝典用であることと祭典の時期から勘案して、作品を3楽章のやや小ぶりな交響曲として極めて短期間に仕上げました。これが、ヴェレシュが作曲した最初の交響曲となります。
なお、ヴェレシュは作曲家としてよりは音楽教師としての功績が大きく、リゲティ、クルターグ、ハインツ・ホリガーに作曲を教えています。 このことから、近年ではハンガリーの音楽史においてバルトークとリゲティの間をつなぐ重要な存在として再評価されているほか、教え子のホリガーが彼の作品をレパートリーとしてしばしばとりあげています。
第2楽章:sm34187440
第3楽章:sm34187544
タマーシュ・パール指揮
サヴァリア交響楽団- 102
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2018-11-17 21:12:02
ヴェレシュ:交響曲第1番より 第2楽章Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=PwwAOcUbbqU)。
ハンガリーの作曲家・民族音楽学者であるヴェレシュ・シャーンドル(1907 - 1992)は、1940(昭和15)年に日本政府から皇紀2600年奉祝曲の作曲依頼に応じて交響曲第1番を作曲しました。
本作は3楽章の小ぶりな様式だったこともあり、依頼から極めて短期間で作曲されています。日本政府は他に英仏独伊の各国の作曲家にも奉祝曲を依頼していましたが、彼らの作品譜(単独の祝典序曲を含む)が同年7月頃に日本に到着したのに比べ、ヴェレシュの交響曲は5月に楽譜が日本に届けられており、ヴェレシュの作曲速度がそれだけ速かったことがうかがえます。ただ、作品の内容は祝祭気分が強く明るい曲調である反面、深みに乏しい面もあり(祝典用の曲である以上仕方がないともいえます)、作曲速度の速さはヴェレシュが「手を抜いた」ことの裏返しと見る向きもあるようです。
第1楽章:sm34187186
第3楽章:sm34187544
タマーシュ・パール指揮
サヴァリア交響楽団- 65
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